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『ノンフィクション』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『ノンフィクション』関連の読書ノートリスト

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  • 幸福論 (角川ソフィア文庫)

    幸福論 (角川ソフィア文庫) の引用ノート

    アラン / 石川 湧 / / KADOKAWA / 角川学芸出版

    楽しい猟師と悲しい猟師とがあるのと同じことだ。悲しい猟師は兎をしくじって、《これがおれの運というやつさ》と言い、やがてこんなことはおれだけだ、などと言う。楽しい猟師は、兎の賢いことに感心する。鍋の中に飛びこむことが兎の天職ではないことを、よく知っているからだ。ことわざには、こういう男らしい知恵が多い。(続きを読む
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    chiyorinさん
    chiyorin さん(2015/03/02 作成)
  • 誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
    【第4章 明日香】 2008年2月1日時点の「児童養護施設入所児童等調査結果(厚生労働省)によれば,入所理由で最も多いのが,「母の精神疾患等」で18.9%。注目すべきは「両親の放任・怠惰」や「両親の虐待・酷使」「棄自」など虐待にあたる理由で,これらを含めれば27.3%と最大の入所理由となる。 彩加ちゃんは病院の待合室で目が合った人には誰でもべたべたとくっついて,その人のバッグを開けて中身を片っ端から出していくという行為も繰り返したという。人との距離感が取れないのは愛着障害の典型的な行動であり,また,施設には「これは誰かのモノ」という私物の概念がないための行動だ。 「『おいしいね』って私たちが食べるところを見せないと,子どもは大人が“食べる”ということがわからないのです」 一般に「親の,子への愛は無償だ」と言われるが,虐待を見ていく限り,それは逆だとしか思えない。子の,親への愛こそが無償なのだ。 【第5章 沙織】 厚生労働省から発表される,児童相談所における「相談種別対応件数」(2010年度版)の割合においても,「身体的虐待」が38.3%,「ネグレクト」が32.7%,「心理的虐待」が26.5%に対し,「性的虐待」は2.4%と非常に低いものとなっている。性的虐待の相談件数が全体の3%前後というのは,年によって相変化はない。 この数字が実態とかけ離れていると,臨床現場からの指摘がある。 「あいち小児保健医療総合センター」において,2001年11月から2011年10月までの期間に,虐待で治療を行った患者数は1110名。そのうち性的虐待を受けていたのは男性56名,女性132名の計188名で,全体の役17%にも上っている。 あいち小児の新井康祥医師は,性的虐待の被害者を治療してきた経験からこう語る。「トラウマを抱える被害者全般に言えることですが,本人はまるで悪くないにもかかわらず,自分を責めたり,自己評価が低かったりします。だから,虐待の件について,『それは,お父さんが悪いと思うよ』と伝えても,『えっ,そうなの?』と言ってくれればまだましで,しばらく治療してからも,『自分が悪かったから仕方がない』とか,『お父さんのおかげで生活できているから』『お母さんにあまり迷惑をかけられない』と話す子も多いので,とても根が深い問題だと思います」 あいち小児でカルテを作った親の実に63%が性的虐待の被害があり,解離性同一性障害という診断名がついたケースでは42%にも及んでいる。 トラウマ治療である「EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing=眼球運動による脱感作と再処理法):患者の目の前に指を二本立てて左右に振り,患者が目でその指を追い眼球を動かすという眼球運動を主な特徴とする治療法だ。眼球運動とともに,トラウマになっている記憶を思い出すと,なぜかその記憶との間に心理的な距離が取れるようになる。すると苦痛が薄れ,同時に自己の評価が向上するという。 「お母さん」である里親女性は,こう話してくれた。「自分と同じ痛みを持った仲間だっていう思いが,子どもたちのなかにすごくあるの。同時に,私がなぜ里親をやっているかっていう思いもちゃんと伝わっているの。男女,年令に関係なく。男女,年齢に関係なく。あの子たち,本当にすごいよ。6歳の子だって,3歳の子に何かあったら率先して手伝おうとするの。これが,多人数養育の素晴らしさだと思う。仲間って大事だよね。心強いことだよね。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • 誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
    【第3章 拓海】 2013年10月1日時点で,対象児童焼く4万7千人のうち,児童養護施設で約2万9千人,乳児院に約3千人,情緒障害児短期治療施設などのその他の施設に約9千人と,約9割が「施設養護」の場で暮らしているのだ。 小学4年生で,自分の将来への足がかりとなるイメージ一つ,その欠片すら描けない。それはただ「生きてきた」「生かされてきた」だけと言わざるを得ないのではないか。 児童相談所に「この子には知的に遅れがある」と子どもを連れて行き知能検査を行い,診断書を児童相談所や社会福祉事務所などに提出すれば,手帳(療育手帳)は交付される。ではなぜ,知的に問題のない子どもにそのような診断が下りるのか。それは検査そのものに問題がある(からだ)。「施設での暮らしで,いろんなことを投げ出しているような子どもたちだから,心理士が『これ,やれる?』と言っても,まず『そんなもん,やれない』となる。知能検査も一般常識を問うものが多くて,たとえば文房具の中に鏡を入れて,『どれが仲間外れ?』と聞かれたとする。でも,彼らは小学校に上がるまで自分の文房具を持たせてもらってないから,わからない。あるいは『テニスのラケットはどれ?』と聞かれても,彼らはそんなもの,見たことがない」 ある男性職員は,児童養護施設はこんな場所でありたいと話す。「僕が実家に帰るのと同じように,嫌なことがあってもここに帰ってくれば安心なんだ,と感じとれる場所にしてあげたい。人に頼れる,人が裏切らない,人が自分の味方になってくれることを体験できる場所でありたい」 「彼の学習が遅れているのは,彼のせいではありません。今までの環境がそうさせているのです。彼にそうさせてしまった社会に,私たちはいます」 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • 誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
    【第2章 雅人】 この「愛着障害」こそ,被虐待児のほとんどが抱えている問題といっていい。虐待を受けた子どもの「その後」に向きあう中,必ずと言っていいほど直面せざるを得ない問題だった。 (愛着とは)心理学的には,幼児期までの間に子どもと養育する側との間に作られる,母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指す。 赤ちゃんにとって,世界は恐怖に満ちているのだ。戻ることのできるお母さんの膝がきちんとあることを確信し,安心感をしっかりもらった赤ちゃんは次第に,お母さんと離れて一人でいても平気になってくる。不安に駆られたとしても,お母さんをイメージするだけで不安を払拭できるから。この赤ちゃんは,お母さんとの間に「愛着」という関係を作ることができたのだ。こうして人は自分の世界を広げていく。これが,すなわち成長だ。 赤ちゃんが獲得した「愛着関係」こそ,対人関係の基本となり,自分をコントロールするもととなる。人を信じ,自分を信じ,世界を信じ,成長していく全ての基盤となるのが「愛着」なのだ。 愛着とは,愛され,守られ,大切にされた記憶。いつでも戻れるあたたかなお母さんの膝があり,守られてきたことにより,自分を信じ,他人を信じることができるのだ。 ゆえに愛着が育っていない子は,往々にしてスキンシップをすることができない。その子にとって「触られる」ということは,即,攻撃になってしまう。後ろから肩を叩かれただけで,瞬時にその人に殴りかかることも少なくない。触れられたことが,叩かれたことをフラッシュバックさせてしまうのだ。 アルコールの問題がある父のもとで暴力に怯えて育った娘が,「絶対,父親のような男とは結婚しない」と心に誓っているのに,同じような男性と一緒になり,DV被害を受け,さらに自分の子どもを殴るという・・・。彼女が獲得した生きる基盤=愛着は,それ以外なかったから。アルコール臭い息や飲んで暴れる父こそ「馴染みの世界」であり,それ以外の対人関係の有りようや感覚を,彼女は何一つ知らないまま大人になったのだ。 (ADHD=注意欠陥多動性障害の子どもの治療について)その子の生きにくさを改善することが目的であり,「扱いやすい子」にすることが目的ではない。 「愛着障害」による症状とADHDの特徴が重なってくることに気づく。たとえば「愛着障害」の特徴である「多動」「衝動や欲求不満に自制がきかない」「忍耐力や集中力が低く,学習障害が起きることもある」などはそのまま,ADHDの子どもの特徴だ。 なぜ,被虐待児に発達障害の子が多いのか。それは養育者が,発達障害を持つ子どもに対して育てにくさや非社会的な特徴を感じ,それを「しつけ」によって正そうとした時に,あっという間に虐待へと横滑りしてしまうという傾向があるからだ。 何よりも驚いたのは,虐待は脳全体の成長に物理的に影響を及ぼすということだ。それが脳画像診断によって明確に確認されると聞いた時には,耳を疑った。 子どもへの虐待そのものが,子どもの脳に器質的な変化を与え,広範な育ちの障害をもたらし,発達障害と言わざるを得ない状態を作り出す。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • 誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
    【第1章 美由】 厚生労働省の「児童養護施設入所児童等調査結果」(2008年2月1日)によると,里親に委託された子どものうち,約三割は虐待された過去を持つ。当然,この子たちは「虐待の後遺症」を背負って,里親宅にやってくる。 「虐待を受けた子どもたちが抑えこんでいた怒りは,保護されて安心や安全を感じるようになることで,次第に表に出てきます。本来,その怒りは虐待をした親に向けられるべきものなのでしょうが,子どもにとってそれは危険極まりないことです。親を攻撃すれば,もっと激しく親を怒らせてしまい,仕返しをされるのがわかっているので,怖くてできない。そして,そのやり場のない怒りは,優しく保護してくれる人達に向かってしまうのです」(あいち小児・診療科の新井康祥医師) 「解離」とは脳が器質的な傷を受けていないのに,心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称だ。たとえば記憶が飛んでいたり,気づいたら全く別の場所にいたり,ある年齢の記憶がなかったり,有名なものでは2つ以上の人格が存在する多重人格など。それらを総称して「解離」と言う。 あいち小児での臨床経験から,虐待を受けた子どもには解離症状が見られることが多い。 「解離過程症状としては,離人感(もの事の実感がなくなってしまい,とても苦しい現象),被影響体験(何かに操られているような感じ),解離性幻覚(お化けが見えたり,お化けの声が聞こえたりする),トランス体験(没我状態に陥る現象),交代人格状態(一人の人間に別の人格が現れる現象),スイッチ行動(ふだんとは違った状態へとスイッチが切り替わる現象),解離性思考障害(内なるお化けなどの声に邪魔されて考えがまとまらない)などがある」 あいち小児で「解離性障害」と診断を受けた子どものうち,八割が被虐待児だった。 「落ち着いてからそのこと(切れたこと)を聞くと,子どもはその間のことを『知らない』『覚えていない』と言います。子どもによってはキレイに人格が分かれている場合と,そこだけ記憶が抜け落ちている場合といろいろですね。人格が分かれている場合を『解離性同一性障害』と呼んでいます。昔で言う,多重人格です。ほかにも解離症状としては『自分が自分でないような』存在する実感の乏しさや,自分がどこかへ行ってしまって,なんで自分はここにいるんだろうとなるもの(遁走)などがあります」(あいち小児の新井康祥医師) (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第五部 第二の人生】 もちろん、一番になりたい。物理の教科書がとくにほしかった。苦手だからこそ、勉強したい。計算の練習問題もやりたい。数学も得意ではないけど、だからこそやりたい。 わたしは笑えなくなっていた。左目がぎょろっと飛びだしているようになっていたし、髪も半分なくなっていた。口は斜めになって、まるで下に引っぱられているような感じだ。にっこり笑おうとしても、顔をしかめたようになってしまう。顔の半分の存在を脳が忘れてしまったみたいだ。それに、左の耳が聞こえない。しゃべる言葉も、赤ちゃんの言葉のようになっていた。 骨を取りもどすかわりに、チタンを使った頭蓋形成手術をおこなうことになった。わたしの頭蓋に合うように成形したチタンプレートを、ねじを八本使って埋めこむそうだ。 頭のなか、耳に近いところに、人工内耳という電子装置を埋めこんだ。 ひとりの人が放った弾丸が、わたしに当たった。弾丸のせいでわたしの脳は腫れ、耳がきこえなくなり、顔の左半分の神経が切れた。 神様は、わたしがお墓に行くのを引きとめてくれた。だから、いまのわたしは第二の人生を歩んでいるようなもの。人々は神様に、わたしを助けてと祈ってくれた。そしてわたしは助けられた。それには理由があるのだ。わたしには、第二の人生をかけて、みんなを助けるという使命がある。 わたしは〝タリバンに撃たれた少女〟だとは思われたくない。〝教育のために戦った少女〟だと思われたい。そのためにも、わたしは人生を捧げるつもりだ。 【エピローグ ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、一本のペン】 わたしの人生をどう生きるかはわたしが決める。 タリバンに殺されなくても、子どもたちは死んでいく。無人機に攻撃されたり、紛争に巻きこまれたり、食べるものがなかったり。家族に殺されることもある。 すべての家庭に、すべての村に、すべての町に、すべての国に、平和が訪れること――それがわたしの夢。世界じゅうのすべての男の子とすべての女の子が教育を受けられますように。 【国連本部でのスピーチ】 テロリストたちは、わたしの目的を変えさせてやろう、目標をあきらめさせてやろう、と考えたのでしょう。でも、わたしのなかで変わったことなど、なにひとつありません。あるとすれば、ひとつだけ。弱さと恐怖と絶望が消え、強さと力と勇気が生まれたのです。 言葉には力があります。わたしたちの言葉で世界を変えることができます。 ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第三部 三発の銃弾、三人の少女】 (父の友人で、スワート大学の副学長をしていたムハンマド・ファルーク博士が銃殺されたことを受けて)苛立ちと恐怖を、ふたたび味わうことになった。IDPになったとき、わたしは政治家になることを考えはじめた。やはりそうするべきだと、このとき確信した。パキスタンは問題だらけなのに、それを解決しようとする政治家がひとりもいない。 わたしたちの学校に、うちから歩いて10分くらいのところに住んでいる先生がいる。その先生のお兄さんが、軍に逮捕された。足かせをつけられ、拷問を受け、冷蔵庫に入れられて死んでしまったそうだ。タリバンとはなんの関係もない、ごく普通の商店主だったのに。あとになって、軍が謝罪にやってきた。名前のよく似た別人と間違えて逮捕した、とのことだ。 わたしがしたのは、意見をはっきりと口にすることだけ。組織を作って活動したわけじゃない。いままでの受賞者はみんなそういうことをやっている。 首相から賞と賞金の小切手を渡されたあと、私は政府にお願いしたいことを次々に述べたてた。破壊された学校を再建してほしい。スワートに女子の大学を作ってほしい。まともに取り合ってもらえるとは思っていなかったので、強い口調では言わなかった。いつかわたしが政治家になったら、自分の力でやってやる、と思っていた。 クラスメートのだれが、私と同じことをやっていてもおかしくない。わたしには両親の後押しがあったから、ここまでやれただけだ。 戦争があると、勝ったほうの兵士たちは、戦利品を手にしたり、報奨金をもらったりする。わたしが報奨金や賞金をもらったり、有名になったりしたのも、それと同じかもしれない、という気がしてきた。そんなものは小さな宝石と同じで、たいした意味はない。そんなものに気をとられることなく、真剣に戦っていかなければならない。 パキスタンの女性が自立したいという思いを口にすれば、父親やきょうだいや夫に従うのがいやなんだ、と受け取られてしまう。そういう意味ではないのに。自分のことは自分で決めて生きていきたいだけなのに。自由に学校に行きたいし、自由に働きたい。コーランのどこにも、女は男に依存するべきだ、なんて書かれていない。すべての女は男のいうことをきくべきだ、なんて神様がいったこともない。 なぜか、わたし自身は、怖いとは思わなかった。だれでもいつかは死ぬ。それはだれにもどうにもできないことだ。タリバンに殺されるかもしれないし、ガンで死ぬかもしれない。どちらでもかまわない。それまでに、やりたいことをやるだけだ。 スピーチの依頼がいくつも来ている。断ることなんてできない。命の危険があるからできない、なんていえない。わたしたちは誇り高きパシュトゥン人なのだ。 コーランの第二章、雌牛章にある「玉座の誌」をよく暗唱していた。この誌は特別なもので、夜に三回暗唱すれば、悪魔から身を守ることができると信じられている。五回暗唱すれば町全体が守られるし、七回暗唱すれば地域全体が守られる。だからわたしは、七回かそれ以上、毎晩暗唱した。 「神様、わたしたちをお守りください。父と家族を、この町を、この地域を、そしてスワートを」それからつけくわえる。「いいえ、イスラム教徒全員をお守りください。いえ、イスラム教徒だけでなく、人類のすべてをお守りください」 「どの子がマララだ?」男の声がした。答えるチャンスは与えてもらえなかった。答えることができたとしたら、女の子が学校に行くのを認めるべきだ、あなたたちの娘や妹も学校に行かせるべきだ、といってやれたのに。 【第四部 生と死のはざまで】 手術室では、ジュナイド先生がのこぎりのような器具を使って、わたしの頭蓋骨の左上の部分を切りとっていた。大きさは8センチ×10センチくらい。これで、脳が腫れてもだいじょうぶだ。それから、おなかの左側の皮下組織に切れ目を入れて、切除した頭蓋骨をうめこんだ。そうやって保存しておくのだ。続いて気管切開。脳の腫れのせいで気管が狭くなっている可能性があるからだ。脳にできていた血塊を除去し、肩甲骨近くにあった弾丸も摘出した。すべての処置が終わったあと、人工呼吸器を取りつけた。終わったときには5時間近くたっていた。 わたしは適切なタイミングで適切な手術を受けたけれど、アフターケアに問題があって、無事に回復できるかどうかが微妙な状態だったのだ。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第二部 死の渓谷】 タリバンはまず、私たちから音楽を取りあげ、次に仏像を取りあげた。それから、私たちの歴史を奪った。 タリバンの姿がスワートでみられるようになったのと同じ頃、赤のモスクの女子生徒たちが、イスラマバードでテロ活動をはじめた。(中略)タリバンを支持する活動であれば、女が堂々と意見を口にすることも、人前に出ることも、許されるのだ。 私はこう思う――ファズルラーのようなたったひとりの人間がすべてを破壊できるのなら、たったひとりの少女がそれを変えることもできるはずだ。 学校に行って、本を読み、宿題をする。それはただ時間を費やしているだけではない。未来を作っているのだ。 普通ならかくれんぼや鬼ごっこをしているはずの子どもたちが、いまは政府軍対タリバンの戦争ごっこをしている。木の枝で携帯用ロケット発射器やカラシニコフを作っている。 わたしはひとりの人間にすぎない。銃声をきくたびに、心臓がどきどきする。怖くてたまらないときもある。でも、泣き言はいわなかった。怖いからといって、学校に行くのをやめるつもりもなかった。でも、恐怖は人を変える。(中略)恐怖は人間を残酷にする。タリバンは、パシュトゥン人の誇りも、イスラムの尊さも、踏みにじっている。 わたしたちは教育を受ける権利がある。歌を歌う権利があるのと同じだ。イスラム教はこの権利を認めているし、男の子も女の子もみんな学校に行くべきだといっている。コーランには「知識を得よ、しっかり学んで、世の中のなぞを解明せよ」とある。 やっぱりペンの力は強い。ペンと、ペンが生み出す言葉は、マシンガンや戦車やヘリコプターなんかよりずっと強い力を持っていると思う。戦う方法がわかってきた。自分たちのあげる声にどれだけの力があるかも分かってきた。 タリバンは、女の子に勉強を教えるのは女性教師、女性を診察するのは女性医師であるべきだといいながら、女の子は学校に行ってはいけないという。それでどうやって、女の子に教師や医師になれというんだろう。 世の中にはいろんなものを怖がる人がいる。幽霊が怖いとか、クモが怖いとか、ヘビが怖いとか。あの頃のわたしたちは、人間が怖かった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第一部 タリバン以前】 ここは、男の子が生まれたら祝砲、女の子が生まれたらカーテンのうしろに隠す国だ。女の子の役割は、食事を作って、子どもを産むことだけ。 マララという名前は、アフガニスタンの偉大なヒロイン、マイワンドのマラライにちなんだものだ。 1880年の第二次アフガン戦争の大きな戦いで、マラライはアフガニスタンの兵士たちを励まして、イギリス軍を退けたのだ。 マラライはイギリス軍に撃ち殺されたが、その言葉と勇気が、アフガン軍の兵士たちを奮いたたせた。 結婚を申しこむときは理髪師に伝言を頼むのが、パシュトゥン人の伝統だ。 パキスタン建国の父ジンナーはこういっている。「男女が力を合わせなければ、なにごとも達成できない。世の中にはふたつの力がある。剣の力とペンの力だ。そしてもうひとつ、それらより強い力がある。それは、女性の力だ」 イスラム法では、法廷における女性の証言には、男性の証言の二分の一しか価値がないとされる。 レイプされて妊娠した13歳の少女が、レイプだったと証言してくれる男性の証人がいないばかりに、姦通罪で投獄される。 女性は、男性の許可がないと、銀行に口座も作れない。 難民キャンプの子どもたちに与えられる教科書も、アメリカの大学で作られたもので、基礎的な算数の計算でさえ、戦争を題材にして説明されていた。たとえば、「ソ連の異教徒10人のうち5人がわれわれイスラム教徒によって殺されたら、残りは5人です」とか、「(弾丸15発)-(弾丸10発)=(弾丸5発)」という具合だ。 父が子どもの頃の話をするとき、いつもこういう。自分の父親は気むずかしい人だったが、なにやりも大切な贈り物をくれた、と。それは、教育。 祖父はまた、知識を身につけることの楽しさを父に教えた。人間のさまざまな権利を踏みにじってはいけないということも、父は祖父に教わって、それをわたしに教えてくれた。 父はこういっている。教育は自分にとって最高の贈り物だった。その教育を受けられない人がたくさんいることが、パキスタンの抱える多くの問題の根底にある。無知な人々は、政治家にだまされていることに気づかない。悪い人間を、選挙でまた選んでしまう。すべての国民が学校に通えるようにするべきだ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。 シーマという、15歳の美しい女の子がいた。シーマには好きな男の子がいて、みんながそのことを知っていた。その男の子が近くを通りかかると、シーマは、ほかの女の子たちがうらやむような長いまつげごしに、男の子をみつめる。私たちの社会では、女の子が男性となれなれしく接してはいけない。女の子の家の恥になってしまうのだ。男性のほうはおとがめなしだというのに。私たちはシーマが自殺したときかされたけど、真実はあとでわかった。シーマは家族に毒殺されたのだ。 スワラという習慣もある。部族どうしの諍いをおさめるためには、女の子をやりとりしてもいいというものだ。 諍いをおさめるためとはいえ、どうして、なんの関係もない女の子が、人生を棒に振らなければならないんだろう。 マハトマ・ガンディーは、「間違いをおかす自由がなければ、自由には価値などない」といったそうだ。 仏教寺院だろうが、モスクだろうが、パキスタン国内の好きなところで礼拝すればよいのです。どのような神を信じていようと、どのようなカーストであろうと、ここパキスタンで生活するのにはなんの問題もありません。(建国の父ジンナーの演説) 軍は動揺した。戦うのを拒否する兵士もいた。同じ民族どうしで戦うのがいやだったのだ。 軍はたった12日で撤退し、(中略)地元の武装勢力指揮官たちと和平協定を締結した。パキスタン軍がアルカイダに金を払うかわりに、アルカイダは戦闘をやめる、という内容だ。(中略)ところがアルカイダは、その金でさらに武器を調達し、戦闘を再開した。数ヵ月後、米軍が無人飛行機によるパキスタン攻撃をはじめた。 わたしたちはアメリカと戦争をしているわけではないのに、どうしてアメリカに空爆されなければならないのか。 2006年1月、アイマン・アル・ザワヒリを狙ったと思われる無人機が、ダマドラという村を攻撃し、三軒の民家を破壊、18人の死者を出した。 同じ年の10月30日、アメリカの無人機が、カールという大きな町に近い丘にあるマドラサを爆撃した。死者は82人。その多くが少年だった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
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