作成者:SHOSHO さん
『バリューシフト―企業倫理の新時代』の読書ノート2015/05/28 作成
本書は、企業倫理では本源的な論争である「利益追求」か「社会貢献」か、という問題意識が底流に一貫して流れている。筆者の主張は、背反する2つの価値を単純化した二項対立では捉えない。そうではなく、企業の社会的役割が時代趨勢として本質的に変化していることを膨大な事例を交えて主張する。この時代趨勢としての変化を筆者は「バリューシフト」と呼ぶ。大筋としては時代趨勢を的確に捉えているが、本書で取り上げている事例は、アングロサクソン系大企業の事例に偏向しているきらいがあり、時代趨勢のいわば最先端グループに位置する企業についての説明という印象を受ける。筆者はこの趨勢は企業規模、地域性を問わず普遍的なものであると主張するが、昨今の人権問題に見られる「アジア的価値」や現代日本での「ブラック企業」現象を目の当たりにすると、「バリューシフト」は一部でのみに有効な概念である印象が拭い去れない。
この時代趨勢の根源は、企業が国家、すなわち「官」の主導のもとで運営されていた時代では、利益追求のみに従事する、いわば「機械」に過ぎなかった。ところが、「官」から解き放たれて、マーケットと対峙してイノべーションを繰り返す中で、意志を持たない利益装置である「機械」が、あたかも人間と同じように「人格」を制度的にも、機能的にも持つようになったという。「法人」として「人格」を持つことが、必ずしも単線的に正しい道徳的な行いをするとは限らないのは人間社会ではいわば常識であるが、どうして企業は、その人格によって正しい社会貢献にのみに向かっていくのか、その理由、背景、条件の説明がが欲しいところ。幾多の社会貢献事例を列挙すればするほど同じ分量のこの説明が望まれる。
単純に二項対立的に利益か、社会貢献かという表層的な議論ではなく時代趨勢を見据えたうえで展開される事例説明には一読する価値は十分あろう。
-E-
この時代趨勢の根源は、企業が国家、すなわち「官」の主導のもとで運営されていた時代では、利益追求のみに従事する、いわば「機械」に過ぎなかった。ところが、「官」から解き放たれて、マーケットと対峙してイノべーションを繰り返す中で、意志を持たない利益装置である「機械」が、あたかも人間と同じように「人格」を制度的にも、機能的にも持つようになったという。「法人」として「人格」を持つことが、必ずしも単線的に正しい道徳的な行いをするとは限らないのは人間社会ではいわば常識であるが、どうして企業は、その人格によって正しい社会貢献にのみに向かっていくのか、その理由、背景、条件の説明がが欲しいところ。幾多の社会貢献事例を列挙すればするほど同じ分量のこの説明が望まれる。
単純に二項対立的に利益か、社会貢献かという表層的な議論ではなく時代趨勢を見据えたうえで展開される事例説明には一読する価値は十分あろう。
-E-
SHOSHO さん
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