公務員のあるあるネタをまとめただけの面白本、ではなく、著者の仕事観が表現された良書だった。
【公務観】
「空気」として、生活の基盤を提供する。「風」として、動きを起こして生活に活力をもたらす。
「公務員の仕事は住民の暮らしを便利にも不便にもしうる」
「『社会性のない公務員』なんて何の役にも立たない」
本書の核心は以下。公務員である前に一人の国民であり住民であることを自覚する。社会の一員たること。思考の面でも行動の面でも、行政という組織に閉じこもってしまえば、己が果しうる役割を大きく制限してしまうことになる。そして「社会の一員として」行政組織と住民とを接続するために必要なのが、「わかりやすさ」。
以下引用。「いま必要なのは『公務員としての自分』よりも『社会の一員としての自分』に自覚をもつこと、『公務員』だからではなく、『社会の一員として』公的な仕事を担う誇りと責任をもつこと。そして、みんなと協力し合って『公的な仕事』に取り組むこと。このことに無自覚のままで『公務員という立場』を前提として仕事をしている限り、世間からの公務員への批判はなくならないでしょう。
就職したときから今まで、私は公務員という立場をあまり意識していません。社会に対して私たちは何ができるのか、私の役割は何なのか。一人でも多くの人が心豊かに暮らせるまちをつくりたいという想いが原点であり、いまもそのための方法を模索しています。」(pp.164-165)
【アイデア】
事業者に発注する際、受注者がいい仕事をするようにモチベーションを高める仕組みが必要。金銭的インセンティヴを持たせる契約や、成果物に受注者名を含めて公表する仕組みなど。
窓口業務において問題発生件数を抑えるリスクヘッジは「個人単位」ではなく「窓口単位」で行うべき。
役所には企業のようなお客様センターがない。窓口のワンストップ化が有効。
【豆知識】
国勢調査は2010年から戸別回収に加えて郵送での回答が認められるようになった。
「ゆるキャラ」は自治体的な世界の歪みの表れである。
国がつくる自治体向けのマニュアルは、自治体からすると「使えない」ものである場合が多い。
【感想】
僕はあまりマンガの入った本は買わない。つくりや考えの雑なものが多い気がするからだ。しかしこの本はなぜか興味をひいて、珍しく購入した。勘が働いたのだろう、結果としては僕がいま読んでおくに相応しい内容の本だった。(「手続き論でケンカをするよりは、達成したい目的に労力を集中するべき」という教訓など。)
本文の内容とは離れるが、僕は本音と建前の使い分けというものが余りよくわかっていない。行政は本音と建前を器用に交錯させてできた織物みたいなものなんだと思うんだけど。おそらく僕の場合、他人に対してだけではなく自身に対してさえ使い分けというものが出来ていないようだ。自身の頭の中を見渡せば、そこにあるものはどこまでも本音な気もするし、どこまでも建前な気もする。つまり、劇場の舞台も舞台裏も知ったうえで操作しているという感覚を、他者に対しては無論、自己に対してすらもっていないのだ。
なめらかに語りながら、そこにある態度・意図・流れ・視点・気分・立場を操作して、関わりの終着点を自身の意図するところへと少しでも引き寄せ、近づけること。そしてその意図同士を読みあい、応答すること。理解させぬために語らぬこともあれば、語らぬけれど理解させようとすることもある。言葉を通じて、その一義的な伝達内容をやりとりするだけではなく、その伝達の在りようを通じて二義的な意味をやりとりすること。官庁訪問という場所ではきっとそれが試されるのだろうし、それを理解できぬ僕はそこで面接官と「話し」ながらも「話せていない」、奇妙にふわふわした感覚を味わった。
とはいえ、僕が言葉の裏にある/裏で生成される関係に対してまるで無頓着であるという訳ではないようだ。フィリピンで藤原に「言葉の端々によって上に立とうとする」とか、LFAで大槻には「言葉で殺そうとしてもかわされる、さすが」といわれたことを思い出す。
何の話だかよく分からなくなってしまったが、関わりながらその関わりをメタ認知することが仕事の中で必要になってくるような気がする。その技術によって関わりを豊かなものにするかどうかはその使い方にかかっている。僕はいま「語らぬことによって表明する」へのことにほんのりとした嫌悪を抱いている。(「言いたいことはちゃんと言葉にして責任とれよ」という倫理。)それがこれからどうなるのか、その予期は楽観のみであることはできないが、未来の己を信じたい。
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