「丹青指南書」
大正15年・1926年に東京美術学校の校友会誌附録で掲載された技法書のこと。
著者は市川守静(号・探春)
幕末の狩野派に学んだ画家。狩野派の彩色知識と技術を記した。
※厚塗りよりも薄塗りのほうが発色がよい。丹青指南書は薄塗り技法を伝えている。
<丹青指南書緒言要約>
絵の彩色がはげると、画家のランクは落ちる。というか、非難されるのは免れない。
徳川絵所の胡粉の精錬方法はもとより、総ての絵具の調整法を網羅して隠すことなく明らかに述べる。
<丹青指南書彩色絵沿革大略>
中国では宋朝の徽宗皇帝をはじめとして、当時の画院に於ける画家などは、皆北画の丹青(彩色絵画)にすぐれ、その系統は宋・元・明の三朝にわたって最も盛んな時代と言える。
我が国においては、奈良時代から平安時代まで絵画は春日家絵所より、土佐家にうつりその後子孫の光信などの時代にいたるまで代々の絵を見てみると、はじめは仏画に興り、それより後は古い縁起式、もしくは戦記、風俗画などで、あらゆる彩色は皆精巧の美を極めたものである。
狩野の三兄弟(牧心斎安信、自適斎尚信、越前守元信)は徳川家に召され、江戸で狩野三派の絵所として、幕臣に加わった。慶応の末年まで幕府に専属し、その系統が続いた。
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