【第一部 タリバン以前】
ここは、男の子が生まれたら祝砲、女の子が生まれたらカーテンのうしろに隠す国だ。女の子の役割は、食事を作って、子どもを産むことだけ。
マララという名前は、アフガニスタンの偉大なヒロイン、マイワンドのマラライにちなんだものだ。
1880年の第二次アフガン戦争の大きな戦いで、マラライはアフガニスタンの兵士たちを励まして、イギリス軍を退けたのだ。
マラライはイギリス軍に撃ち殺されたが、その言葉と勇気が、アフガン軍の兵士たちを奮いたたせた。
結婚を申しこむときは理髪師に伝言を頼むのが、パシュトゥン人の伝統だ。
パキスタン建国の父ジンナーはこういっている。「男女が力を合わせなければ、なにごとも達成できない。世の中にはふたつの力がある。剣の力とペンの力だ。そしてもうひとつ、それらより強い力がある。それは、女性の力だ」
イスラム法では、法廷における女性の証言には、男性の証言の二分の一しか価値がないとされる。
レイプされて妊娠した13歳の少女が、レイプだったと証言してくれる男性の証人がいないばかりに、姦通罪で投獄される。
女性は、男性の許可がないと、銀行に口座も作れない。
難民キャンプの子どもたちに与えられる教科書も、アメリカの大学で作られたもので、基礎的な算数の計算でさえ、戦争を題材にして説明されていた。たとえば、「ソ連の異教徒10人のうち5人がわれわれイスラム教徒によって殺されたら、残りは5人です」とか、「(弾丸15発)-(弾丸10発)=(弾丸5発)」という具合だ。
父が子どもの頃の話をするとき、いつもこういう。自分の父親は気むずかしい人だったが、なにやりも大切な贈り物をくれた、と。それは、教育。
祖父はまた、知識を身につけることの楽しさを父に教えた。人間のさまざまな権利を踏みにじってはいけないということも、父は祖父に教わって、それをわたしに教えてくれた。
父はこういっている。教育は自分にとって最高の贈り物だった。その教育を受けられない人がたくさんいることが、パキスタンの抱える多くの問題の根底にある。無知な人々は、政治家にだまされていることに気づかない。悪い人間を、選挙でまた選んでしまう。すべての国民が学校に通えるようにするべきだ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。
シーマという、15歳の美しい女の子がいた。シーマには好きな男の子がいて、みんながそのことを知っていた。その男の子が近くを通りかかると、シーマは、ほかの女の子たちがうらやむような長いまつげごしに、男の子をみつめる。私たちの社会では、女の子が男性となれなれしく接してはいけない。女の子の家の恥になってしまうのだ。男性のほうはおとがめなしだというのに。私たちはシーマが自殺したときかされたけど、真実はあとでわかった。シーマは家族に毒殺されたのだ。
スワラという習慣もある。部族どうしの諍いをおさめるためには、女の子をやりとりしてもいいというものだ。
諍いをおさめるためとはいえ、どうして、なんの関係もない女の子が、人生を棒に振らなければならないんだろう。
マハトマ・ガンディーは、「間違いをおかす自由がなければ、自由には価値などない」といったそうだ。
仏教寺院だろうが、モスクだろうが、パキスタン国内の好きなところで礼拝すればよいのです。どのような神を信じていようと、どのようなカーストであろうと、ここパキスタンで生活するのにはなんの問題もありません。(建国の父ジンナーの演説)
軍は動揺した。戦うのを拒否する兵士もいた。同じ民族どうしで戦うのがいやだったのだ。
軍はたった12日で撤退し、(中略)地元の武装勢力指揮官たちと和平協定を締結した。パキスタン軍がアルカイダに金を払うかわりに、アルカイダは戦闘をやめる、という内容だ。(中略)ところがアルカイダは、その金でさらに武器を調達し、戦闘を再開した。数ヵ月後、米軍が無人飛行機によるパキスタン攻撃をはじめた。
わたしたちはアメリカと戦争をしているわけではないのに、どうしてアメリカに空爆されなければならないのか。
2006年1月、アイマン・アル・ザワヒリを狙ったと思われる無人機が、ダマドラという村を攻撃し、三軒の民家を破壊、18人の死者を出した。
同じ年の10月30日、アメリカの無人機が、カールという大きな町に近い丘にあるマドラサを爆撃した。死者は82人。その多くが少年だった。(
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