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『ノンフィクション』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『ノンフィクション』関連の読書ノートリスト

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  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第一部 タリバン以前】 ここは、男の子が生まれたら祝砲、女の子が生まれたらカーテンのうしろに隠す国だ。女の子の役割は、食事を作って、子どもを産むことだけ。 マララという名前は、アフガニスタンの偉大なヒロイン、マイワンドのマラライにちなんだものだ。 1880年の第二次アフガン戦争の大きな戦いで、マラライはアフガニスタンの兵士たちを励まして、イギリス軍を退けたのだ。 マラライはイギリス軍に撃ち殺されたが、その言葉と勇気が、アフガン軍の兵士たちを奮いたたせた。 結婚を申しこむときは理髪師に伝言を頼むのが、パシュトゥン人の伝統だ。 パキスタン建国の父ジンナーはこういっている。「男女が力を合わせなければ、なにごとも達成できない。世の中にはふたつの力がある。剣の力とペンの力だ。そしてもうひとつ、それらより強い力がある。それは、女性の力だ」 イスラム法では、法廷における女性の証言には、男性の証言の二分の一しか価値がないとされる。 レイプされて妊娠した13歳の少女が、レイプだったと証言してくれる男性の証人がいないばかりに、姦通罪で投獄される。 女性は、男性の許可がないと、銀行に口座も作れない。 難民キャンプの子どもたちに与えられる教科書も、アメリカの大学で作られたもので、基礎的な算数の計算でさえ、戦争を題材にして説明されていた。たとえば、「ソ連の異教徒10人のうち5人がわれわれイスラム教徒によって殺されたら、残りは5人です」とか、「(弾丸15発)-(弾丸10発)=(弾丸5発)」という具合だ。 父が子どもの頃の話をするとき、いつもこういう。自分の父親は気むずかしい人だったが、なにやりも大切な贈り物をくれた、と。それは、教育。 祖父はまた、知識を身につけることの楽しさを父に教えた。人間のさまざまな権利を踏みにじってはいけないということも、父は祖父に教わって、それをわたしに教えてくれた。 父はこういっている。教育は自分にとって最高の贈り物だった。その教育を受けられない人がたくさんいることが、パキスタンの抱える多くの問題の根底にある。無知な人々は、政治家にだまされていることに気づかない。悪い人間を、選挙でまた選んでしまう。すべての国民が学校に通えるようにするべきだ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。 シーマという、15歳の美しい女の子がいた。シーマには好きな男の子がいて、みんながそのことを知っていた。その男の子が近くを通りかかると、シーマは、ほかの女の子たちがうらやむような長いまつげごしに、男の子をみつめる。私たちの社会では、女の子が男性となれなれしく接してはいけない。女の子の家の恥になってしまうのだ。男性のほうはおとがめなしだというのに。私たちはシーマが自殺したときかされたけど、真実はあとでわかった。シーマは家族に毒殺されたのだ。 スワラという習慣もある。部族どうしの諍いをおさめるためには、女の子をやりとりしてもいいというものだ。 諍いをおさめるためとはいえ、どうして、なんの関係もない女の子が、人生を棒に振らなければならないんだろう。 マハトマ・ガンディーは、「間違いをおかす自由がなければ、自由には価値などない」といったそうだ。 仏教寺院だろうが、モスクだろうが、パキスタン国内の好きなところで礼拝すればよいのです。どのような神を信じていようと、どのようなカーストであろうと、ここパキスタンで生活するのにはなんの問題もありません。(建国の父ジンナーの演説) 軍は動揺した。戦うのを拒否する兵士もいた。同じ民族どうしで戦うのがいやだったのだ。 軍はたった12日で撤退し、(中略)地元の武装勢力指揮官たちと和平協定を締結した。パキスタン軍がアルカイダに金を払うかわりに、アルカイダは戦闘をやめる、という内容だ。(中略)ところがアルカイダは、その金でさらに武器を調達し、戦闘を再開した。数ヵ月後、米軍が無人飛行機によるパキスタン攻撃をはじめた。 わたしたちはアメリカと戦争をしているわけではないのに、どうしてアメリカに空爆されなければならないのか。 2006年1月、アイマン・アル・ザワヒリを狙ったと思われる無人機が、ダマドラという村を攻撃し、三軒の民家を破壊、18人の死者を出した。 同じ年の10月30日、アメリカの無人機が、カールという大きな町に近い丘にあるマドラサを爆撃した。死者は82人。その多くが少年だった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • 突き抜ける人材 (PHPビジネス新書)

    突き抜ける人材 (PHPビジネス新書) の引用ノート

    波頭 亮 / 茂木 健一郎 / / PHP研究所

    経験からから学び一皮剝ける、経験を経るたびに成長する人が、人を引っ張っていくリーダーの資質がある。経験から学ぶとは、つねに現状の自分に対して謙虚であること。状況が変われば、現状の自分に固執するのではなく、新しい状況に応じて新しい考え方ややり方を柔軟に取り入れていく。(続きを読む
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    JAZZ_MANさん
    JAZZ_MAN さん(2013/05/04 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第五部 第二の人生】 もちろん、一番になりたい。物理の教科書がとくにほしかった。苦手だからこそ、勉強したい。計算の練習問題もやりたい。数学も得意ではないけど、だからこそやりたい。 わたしは笑えなくなっていた。左目がぎょろっと飛びだしているようになっていたし、髪も半分なくなっていた。口は斜めになって、まるで下に引っぱられているような感じだ。にっこり笑おうとしても、顔をしかめたようになってしまう。顔の半分の存在を脳が忘れてしまったみたいだ。それに、左の耳が聞こえない。しゃべる言葉も、赤ちゃんの言葉のようになっていた。 骨を取りもどすかわりに、チタンを使った頭蓋形成手術をおこなうことになった。わたしの頭蓋に合うように成形したチタンプレートを、ねじを八本使って埋めこむそうだ。 頭のなか、耳に近いところに、人工内耳という電子装置を埋めこんだ。 ひとりの人が放った弾丸が、わたしに当たった。弾丸のせいでわたしの脳は腫れ、耳がきこえなくなり、顔の左半分の神経が切れた。 神様は、わたしがお墓に行くのを引きとめてくれた。だから、いまのわたしは第二の人生を歩んでいるようなもの。人々は神様に、わたしを助けてと祈ってくれた。そしてわたしは助けられた。それには理由があるのだ。わたしには、第二の人生をかけて、みんなを助けるという使命がある。 わたしは〝タリバンに撃たれた少女〟だとは思われたくない。〝教育のために戦った少女〟だと思われたい。そのためにも、わたしは人生を捧げるつもりだ。 【エピローグ ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、一本のペン】 わたしの人生をどう生きるかはわたしが決める。 タリバンに殺されなくても、子どもたちは死んでいく。無人機に攻撃されたり、紛争に巻きこまれたり、食べるものがなかったり。家族に殺されることもある。 すべての家庭に、すべての村に、すべての町に、すべての国に、平和が訪れること――それがわたしの夢。世界じゅうのすべての男の子とすべての女の子が教育を受けられますように。 【国連本部でのスピーチ】 テロリストたちは、わたしの目的を変えさせてやろう、目標をあきらめさせてやろう、と考えたのでしょう。でも、わたしのなかで変わったことなど、なにひとつありません。あるとすれば、ひとつだけ。弱さと恐怖と絶望が消え、強さと力と勇気が生まれたのです。 言葉には力があります。わたしたちの言葉で世界を変えることができます。 ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • 誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
    【第1章 美由】 厚生労働省の「児童養護施設入所児童等調査結果」(2008年2月1日)によると,里親に委託された子どものうち,約三割は虐待された過去を持つ。当然,この子たちは「虐待の後遺症」を背負って,里親宅にやってくる。 「虐待を受けた子どもたちが抑えこんでいた怒りは,保護されて安心や安全を感じるようになることで,次第に表に出てきます。本来,その怒りは虐待をした親に向けられるべきものなのでしょうが,子どもにとってそれは危険極まりないことです。親を攻撃すれば,もっと激しく親を怒らせてしまい,仕返しをされるのがわかっているので,怖くてできない。そして,そのやり場のない怒りは,優しく保護してくれる人達に向かってしまうのです」(あいち小児・診療科の新井康祥医師) 「解離」とは脳が器質的な傷を受けていないのに,心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称だ。たとえば記憶が飛んでいたり,気づいたら全く別の場所にいたり,ある年齢の記憶がなかったり,有名なものでは2つ以上の人格が存在する多重人格など。それらを総称して「解離」と言う。 あいち小児での臨床経験から,虐待を受けた子どもには解離症状が見られることが多い。 「解離過程症状としては,離人感(もの事の実感がなくなってしまい,とても苦しい現象),被影響体験(何かに操られているような感じ),解離性幻覚(お化けが見えたり,お化けの声が聞こえたりする),トランス体験(没我状態に陥る現象),交代人格状態(一人の人間に別の人格が現れる現象),スイッチ行動(ふだんとは違った状態へとスイッチが切り替わる現象),解離性思考障害(内なるお化けなどの声に邪魔されて考えがまとまらない)などがある」 あいち小児で「解離性障害」と診断を受けた子どものうち,八割が被虐待児だった。 「落ち着いてからそのこと(切れたこと)を聞くと,子どもはその間のことを『知らない』『覚えていない』と言います。子どもによってはキレイに人格が分かれている場合と,そこだけ記憶が抜け落ちている場合といろいろですね。人格が分かれている場合を『解離性同一性障害』と呼んでいます。昔で言う,多重人格です。ほかにも解離症状としては『自分が自分でないような』存在する実感の乏しさや,自分がどこかへ行ってしまって,なんで自分はここにいるんだろうとなるもの(遁走)などがあります」(あいち小児の新井康祥医師) (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • 死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)
    「国王の子は国王に、  処刑人の子は処刑人になる」 -王家においても、処刑人の家でも、世襲制が厳格に守られてきた。 違いは国王は社会の頂点に位置し、処刑人は社会の最低辺に位置するということだった。 この上下関係は覆ることは絶対にあり得ない・・・はずだった。(続きを読む
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    Tuckerさん
    Tucker さん(2013/03/03 作成)
  • 司馬遼太郎さんに倣って東アジアの「海道をゆく」
    (p234)小笠原島が捕鯨船の薪水補給基地として…注目…島に移住を試みる欧米人…。最初に移住…は1830年で、米国人ナザニール・セボレー、英国人リチャード・ミリチャンプ、マテオ・マザロ等5人と彼等の妻となるハワイやポリネシアの先住民を引き連れての総勢23人で…豚などの家畜、種子とともに現在の二見港に上陸し英国旗を掲げた。  その後、仲間内で考え方の違いや仲違い、死亡などで、最後まで島に残ったのは米国人ナザニエル・セボレーとその家族だけとなった…末裔は…1946年に135人…当時の島民は約八千人…  移住の頃は小笠原は英国領として国際的認知が進んでいた。ところが…熱がさめたように…こだわりを捨て領有権は(アメリカ海軍アジア提督の)ペリーの軍政下に置かれていく。  ペリーの支配下、セポレーを長とする“ピール島=父島植民政府”が成立。ペリーは小笠原を琉球とともに日本本土を開国する前進基地と考えていたようである。 (p236)1854年…日米和親条約を締結…英国に代わって米国がアジア太平洋の覇権を握った歴史的瞬間であった。小笠原諸島の日本領帰属は、その大いなるプレゼント…(続きを読む
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    midnightwakeuperさん
    midnightwakeuper さん(2013/10/26 作成)
  • 目に見えない相場の仕組み
    インドの無時間の魅力は、時計というものがまったく役にたたない次元である。そこでは通常誰もが持っている持続感、多忙感、焦燥感、無常感という時間に結びついた二次的感覚が無残にも消えてしまう。-中略- 時間表の無い列車を待つ。待てど暮らせど、列車がくるのか、来ないのかもわからない。ギラギラした太陽に灼かれ、ただ無為に列車の来るのを一日、二日と待っていると、いっさいの感情の動きが止まってしまう。 (続きを読む
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    yataさん
    yata さん(2012/12/16 作成)
  • わたしはマララ

    わたしはマララ の引用ノート

    マララ・ユスフザイ / クリスティーナ・ラム / / 学研パブリッシング

    【第二部 死の渓谷】 タリバンはまず、私たちから音楽を取りあげ、次に仏像を取りあげた。それから、私たちの歴史を奪った。 タリバンの姿がスワートでみられるようになったのと同じ頃、赤のモスクの女子生徒たちが、イスラマバードでテロ活動をはじめた。(中略)タリバンを支持する活動であれば、女が堂々と意見を口にすることも、人前に出ることも、許されるのだ。 私はこう思う――ファズルラーのようなたったひとりの人間がすべてを破壊できるのなら、たったひとりの少女がそれを変えることもできるはずだ。 学校に行って、本を読み、宿題をする。それはただ時間を費やしているだけではない。未来を作っているのだ。 普通ならかくれんぼや鬼ごっこをしているはずの子どもたちが、いまは政府軍対タリバンの戦争ごっこをしている。木の枝で携帯用ロケット発射器やカラシニコフを作っている。 わたしはひとりの人間にすぎない。銃声をきくたびに、心臓がどきどきする。怖くてたまらないときもある。でも、泣き言はいわなかった。怖いからといって、学校に行くのをやめるつもりもなかった。でも、恐怖は人を変える。(中略)恐怖は人間を残酷にする。タリバンは、パシュトゥン人の誇りも、イスラムの尊さも、踏みにじっている。 わたしたちは教育を受ける権利がある。歌を歌う権利があるのと同じだ。イスラム教はこの権利を認めているし、男の子も女の子もみんな学校に行くべきだといっている。コーランには「知識を得よ、しっかり学んで、世の中のなぞを解明せよ」とある。 やっぱりペンの力は強い。ペンと、ペンが生み出す言葉は、マシンガンや戦車やヘリコプターなんかよりずっと強い力を持っていると思う。戦う方法がわかってきた。自分たちのあげる声にどれだけの力があるかも分かってきた。 タリバンは、女の子に勉強を教えるのは女性教師、女性を診察するのは女性医師であるべきだといいながら、女の子は学校に行ってはいけないという。それでどうやって、女の子に教師や医師になれというんだろう。 世の中にはいろんなものを怖がる人がいる。幽霊が怖いとか、クモが怖いとか、ヘビが怖いとか。あの頃のわたしたちは、人間が怖かった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/02/01 作成)
  • 海外ブラックロード スラム街潜入編
    ”地球人”としてスラム抜きには考えられない時代に入っている。(続きを読む
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    Tatsuyaさん
    Tatsuya さん(2013/02/03 作成)
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