【第三部 三発の銃弾、三人の少女】
(父の友人で、スワート大学の副学長をしていたムハンマド・ファルーク博士が銃殺されたことを受けて)苛立ちと恐怖を、ふたたび味わうことになった。IDPになったとき、わたしは政治家になることを考えはじめた。やはりそうするべきだと、このとき確信した。パキスタンは問題だらけなのに、それを解決しようとする政治家がひとりもいない。
わたしたちの学校に、うちから歩いて10分くらいのところに住んでいる先生がいる。その先生のお兄さんが、軍に逮捕された。足かせをつけられ、拷問を受け、冷蔵庫に入れられて死んでしまったそうだ。タリバンとはなんの関係もない、ごく普通の商店主だったのに。あとになって、軍が謝罪にやってきた。名前のよく似た別人と間違えて逮捕した、とのことだ。
わたしがしたのは、意見をはっきりと口にすることだけ。組織を作って活動したわけじゃない。いままでの受賞者はみんなそういうことをやっている。
首相から賞と賞金の小切手を渡されたあと、私は政府にお願いしたいことを次々に述べたてた。破壊された学校を再建してほしい。スワートに女子の大学を作ってほしい。まともに取り合ってもらえるとは思っていなかったので、強い口調では言わなかった。いつかわたしが政治家になったら、自分の力でやってやる、と思っていた。
クラスメートのだれが、私と同じことをやっていてもおかしくない。わたしには両親の後押しがあったから、ここまでやれただけだ。
戦争があると、勝ったほうの兵士たちは、戦利品を手にしたり、報奨金をもらったりする。わたしが報奨金や賞金をもらったり、有名になったりしたのも、それと同じかもしれない、という気がしてきた。そんなものは小さな宝石と同じで、たいした意味はない。そんなものに気をとられることなく、真剣に戦っていかなければならない。
パキスタンの女性が自立したいという思いを口にすれば、父親やきょうだいや夫に従うのがいやなんだ、と受け取られてしまう。そういう意味ではないのに。自分のことは自分で決めて生きていきたいだけなのに。自由に学校に行きたいし、自由に働きたい。コーランのどこにも、女は男に依存するべきだ、なんて書かれていない。すべての女は男のいうことをきくべきだ、なんて神様がいったこともない。
なぜか、わたし自身は、怖いとは思わなかった。だれでもいつかは死ぬ。それはだれにもどうにもできないことだ。タリバンに殺されるかもしれないし、ガンで死ぬかもしれない。どちらでもかまわない。それまでに、やりたいことをやるだけだ。
スピーチの依頼がいくつも来ている。断ることなんてできない。命の危険があるからできない、なんていえない。わたしたちは誇り高きパシュトゥン人なのだ。
コーランの第二章、雌牛章にある「玉座の誌」をよく暗唱していた。この誌は特別なもので、夜に三回暗唱すれば、悪魔から身を守ることができると信じられている。五回暗唱すれば町全体が守られるし、七回暗唱すれば地域全体が守られる。だからわたしは、七回かそれ以上、毎晩暗唱した。
「神様、わたしたちをお守りください。父と家族を、この町を、この地域を、そしてスワートを」それからつけくわえる。「いいえ、イスラム教徒全員をお守りください。いえ、イスラム教徒だけでなく、人類のすべてをお守りください」
「どの子がマララだ?」男の声がした。答えるチャンスは与えてもらえなかった。答えることができたとしたら、女の子が学校に行くのを認めるべきだ、あなたたちの娘や妹も学校に行かせるべきだ、といってやれたのに。
【第四部 生と死のはざまで】
手術室では、ジュナイド先生がのこぎりのような器具を使って、わたしの頭蓋骨の左上の部分を切りとっていた。大きさは8センチ×10センチくらい。これで、脳が腫れてもだいじょうぶだ。それから、おなかの左側の皮下組織に切れ目を入れて、切除した頭蓋骨をうめこんだ。そうやって保存しておくのだ。続いて気管切開。脳の腫れのせいで気管が狭くなっている可能性があるからだ。脳にできていた血塊を除去し、肩甲骨近くにあった弾丸も摘出した。すべての処置が終わったあと、人工呼吸器を取りつけた。終わったときには5時間近くたっていた。
わたしは適切なタイミングで適切な手術を受けたけれど、アフターケアに問題があって、無事に回復できるかどうかが微妙な状態だったのだ。(
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