誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)』の読書ノート作成者:h_nagashima さん
『2012/12/03 作成
「ここが面白いと思いました」というひれ伏した感じではなく、「この言葉を私がインスパイアしてくれました」という感じを出すのです。いや、もっと偉そうに「この私をここまでその気にさせてくれた。それだけに、この物語はなかなか大したものだ」とあくまで「上から目線」の姿勢で臨みましょう。
読書エッセイを書くときには、それくらい大きな態度でいいのです。いくら高名な著者だからといって、著者にひれ伏してしまったら面白い感想文は書けません。
「生意気さ」というものは意外に重要なのです。「好きだ」という感情があって、その上で「生意気さ」というものが必要なのです。ドストエフスキーが大好きで、その上で生意気な感想を自由に述べる。そういう距離感が最高です。
読書エッセイを書くときには、それくらい大きな態度でいいのです。いくら高名な著者だからといって、著者にひれ伏してしまったら面白い感想文は書けません。
「生意気さ」というものは意外に重要なのです。「好きだ」という感情があって、その上で「生意気さ」というものが必要なのです。ドストエフスキーが大好きで、その上で生意気な感想を自由に述べる。そういう距離感が最高です。
MEMO:
これはレビューなどの文章を書く上で、非常に効果的かつ取り入れやすい姿勢ではないか。
読書感想文というと、往々にして本に書かれていることを自分の中に取り入れようとしてしまう。つまり、「ひれ伏した感じ」になってしまう。
この姿勢を変えてみるだけで、見違えるほどレビューは面白くなる。
例えば、日経新聞(2012年12月2日)の紙面上で、水原紫苑という作家が「ドストエフスキーは凄い、だが、小説としては下手なのではないか」と書いていた。水原氏は何度も読み返すほどドストエフスキーの作品にとりつかれている。だからこそ、このエッセイは面白いと感じられた。
読書感想文というと、往々にして本に書かれていることを自分の中に取り入れようとしてしまう。つまり、「ひれ伏した感じ」になってしまう。
この姿勢を変えてみるだけで、見違えるほどレビューは面白くなる。
例えば、日経新聞(2012年12月2日)の紙面上で、水原紫苑という作家が「ドストエフスキーは凄い、だが、小説としては下手なのではないか」と書いていた。水原氏は何度も読み返すほどドストエフスキーの作品にとりつかれている。だからこそ、このエッセイは面白いと感じられた。
h_nagashima さん
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