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『私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新…』からの引用(抜き書き)読書ノート

引用(抜き書き)私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)』の読書ノート作成者:kasuta さん

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 私はだから、人間は結局、他人の顔色を窺いながら、「本当の自分」と「表面的な自分」とを使い分けていくしかない、と言いたいのではない。他者と共に生きるということは、無理強いされた「ニセモノの自分」を生きる、ということではない。それはあまりに寂しい考え方だ。

 すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。

 そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。(まえがきーP6)

MEMO:
著者は、唯一無二の「本当の自分」など存在しないと述べ、つまり相手に見せるすべての顔がすべてが本当の自分であると説いた。そして、対人関係ごとに見せる様々な自分のことを、「分人」と呼んだ。

個人という言葉の語源はもともと「分けられない」という意味であるようだ。確かに、個人、つまり一人の人間は物理的にも分けることは不可能だ。しかし、いつでもそのようなことを前提にしてしまうと、まるで、自分という自我だとか、心だとか、性格などが、たった一つの固定されたものと捉えてしまいがちになる。

ゆえに、友達に見せる顔、仕事での顔、家族の顔がみんな違っていることに戸惑いや違和感を感じてしまうのだろう。

いったい本当の自分はどれが本当の姿なのか悩む。

著者は「個人」は分けられる、「分人」であると述べ、読者に対しアイデンティティーをクリアに考えるきっかけをつくった。
さん
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