対岸の彼女 (文春文庫)』の読書ノート作成者:itoko さん
『2012/11/01 作成
「私もこのまま浜松でも大阪でもいっちゃいたいけど、逃げてたってしかたないしね。それに楢橋さん、あさってはもう仕事じゃない。私たち、背中にのしかかってくる仕事と、また格闘しなきゃ。浜辺でぐずぐずできる高校生じゃないんだもんね」
小夜子は笑顔を作ってそう言った。そのとき、葵の顔に残っていた笑みが、顔の表面からなだれ落ちるように消えていき、ぽっかりと空洞のような無表情が広がった。
「逃げる?」葵は聞き取れないほどの声でつぶやく。
「私、無断外泊で夫を懲らしめてやろうと思ってたけど、そうやって逃げててもしかたないって思ったの。なんか私、楢橋さんといると、本当に大阪までだって、どこへだっていける気になるのよ、このままだったら、夫を置いて逃げかねないわ」
葵の変化に戸惑い、あわてて小夜子はそうつけ足した。いつもだったら葵は笑うはずだった。失踪妻ってわけ? そりゃあまずいよね、とかなんとか言って。けれど葵は無表情のまま、
「だれかに何か言われたの?」ちいさい声でそう言った。
「え?」意味が理解できず小夜子は訊き返す。
「私があなたに何をすると思ってるの?」
葵は言って、笑った。
小夜子は笑顔を作ってそう言った。そのとき、葵の顔に残っていた笑みが、顔の表面からなだれ落ちるように消えていき、ぽっかりと空洞のような無表情が広がった。
「逃げる?」葵は聞き取れないほどの声でつぶやく。
「私、無断外泊で夫を懲らしめてやろうと思ってたけど、そうやって逃げててもしかたないって思ったの。なんか私、楢橋さんといると、本当に大阪までだって、どこへだっていける気になるのよ、このままだったら、夫を置いて逃げかねないわ」
葵の変化に戸惑い、あわてて小夜子はそうつけ足した。いつもだったら葵は笑うはずだった。失踪妻ってわけ? そりゃあまずいよね、とかなんとか言って。けれど葵は無表情のまま、
「だれかに何か言われたの?」ちいさい声でそう言った。
「え?」意味が理解できず小夜子は訊き返す。
「私があなたに何をすると思ってるの?」
葵は言って、笑った。
MEMO:
P.237~
得体のしれない他人の心の深奥に触れた瞬間。
引用したこの一節だけを読んでも、その感触が伝わるから怖い。
得体のしれない他人の心の深奥に触れた瞬間。
引用したこの一節だけを読んでも、その感触が伝わるから怖い。
itoko さん
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