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『反哲学史 (講談社学術文庫)』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『反哲学史 (講談社学術文庫)』の読書ノートリスト

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  • 精神の本質は自覚にありその自覚は労働(自己外化)を通じて達成される、という時に考えているのは、右のような事態のですが、それは同時に実現でもあるわけです。もっとも、そうした労働は決して一回限りで済むものではなく、労働を通じて対象を自己の分身に変じ、そこでアットホームに感じたとしても、それはつかの間で、その間に労働の主体たる精神をすでに大きな成長を遂げているわけですから、実現された成果のうちに自己自身の十全な似姿を見ることができないのです。それは再び精神に異他的な対象として対立してくるわけでしょうから、精神は再度より高次の労働によって、対象に働きかけていかねばなりません。このように対象との直接的統一の関係(正)破れてそこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じて再び統一される(合)といったふうにして精神がその自覚を深め、より大きな自由を獲得し、いわば真の精神へと生成してゆくその運動の論理が、ヘーゲルのいわゆる「弁証法」に他なりません。そして、ヘーゲルによれば、世界史とは、人間精神がこのように絶えず高められてゆく労働(自己外化)を通じて、外的世界に働きかけ、一歩一歩自覚を深め自由を獲得してきた過程なのですから、弁証法とは正しく歴史の論理だと言うことになるわけです。(続きを読む
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chiyorinさん
chiyorin さん(2015/08/04 作成)
  • それにしても労働を通じて自らを自覚すると言うのはどういうことでしょうか。それは簡単にはこんな風に考えて良いかと思います。つまり一般に労働すると言う事は、労働の主体が己に異他的なものとして対立するものに働きかけてそれを己の望む形に変えることです。労働の主体は労働を通じていわば対象のうちに自己を移し入れ自己を外化するのだといってもよいかと思います。しかしそうした対象の変形は決して主体の勝手気ままにできるものではありません。それを成すには労働の主体が対象の本性をよく認識し、忍耐強く自らを対象に従わせねばなりません。例えば足を踏み入れるのも恐ろしい異他的なものとして、人間の前に立ち塞がっている前人未到のジャングルに労働によって働きかけ、それを美しい麦畑に変えようとする場合を考えてみましょう。そのためには切り倒そうと思う木の硬さや性質を知りそれに応じて道具を使い季節と播種の関係、収穫の時期等をよく心得ていなければならないでしょうし、疲れて休みたい時も強い意志の力で働き続けなければなりません。したがって労働によって対象がその姿を変える間その労働の主体のほうも消しても出ているわけでは無いのです。主体のほうも少なくともその対象の本性についての認識を置いたり自己の直接的欲望を抑えて対象を規定している本性に自らを従わせる訓練をすることによってたくましい肉体を持ちいわば高い教養を備え強い意志でおのれを制御することのできるいっそう人間らしい人間に成長していくことになるわけです。こうしてその労働が完了し労働の主体が対象のうちに自己を外化しそこにいわば己の分身を認めるようになったときその主体は自分の持っていた可能性の少なくとも1部を現実化しじっとしていては知ることのできなかった自己を自覚するに至るのです。ですからヘーゲルの言う自覚とは労働を通じての自己実現の事だと言っても良いかもしれません。そしてそのように自己実現した時この労働の主体は対象後に自己の分身を見、対象のうちにあっていわばアットホームでありうるヘーゲルの言い方を借りれば他者に置いて自己自身のもとにあることになり大きな自由を享受しうることになります。(続きを読む
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    chiyorinさん
    chiyorin さん(2015/08/04 作成)
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