『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~』の読書ノートリスト
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- ■ある日,祭典が催されました。(中略)そのお祭りがあったのが92年4月のはずですから,私は3歳くらいだったはずです。採点は2日間続けて開催され,大人でも何十時間もぶっ続けで起きているのはつらそうでした。3歳の幼児ともなればなおさら大変です。私は途中でお付きの信者に仮眠をとるように言われ,2時間ほど寝ました。その後,宴の時間だからと起こされましたが,私はぐずって起きられませんでした。ぶっ続けで起きていた後の睡眠が2時間というのは大人でも辛いはずです。私は父のところへお願いしに行きました。「もう少し寝させていただけませんか」「この宴は神への供養なのだから参加しなさい」「私一人いなくても大丈夫なのではないでしょうか」「いや,お前だからいないとダメなんだ」 ■父と話してもわかってもらえず,眠気もどうしようもなくて私は泣き出してしまいました。すると父は私のズボンをパンツまでおろし,むき出しのお尻を何十回も叩いたのです。私は泣き叫び,それを見て目を覚ます大人の信者が何人もいました。(中略)どういう理由であれ,何百人もの信者の前で下着を脱がされたことは,私の人生を変えてしまいました。それで私は女性としてのアイデンティティを失ってしまい,女ではいられなくなったのですから。 ■江川さんと決別してからは,派遣社員や水商売,ネットカフェ難民やホームレスなどをしてなんとか生きてきました。 ■それから「週刊新潮」に手記を掲載することになるのですが,その手記の反響でまた職場を辞めざるを得なくなりました。警察や公安調査庁が「松本智津夫の娘が就職している。やめさせろ」と言って,派遣会社と派遣先の工場の両方にたずねてきたのです。この話は訪ねて来られた側からも聞きましたし,後に警察や公安調査庁にも謝ってもらいました。派遣会社は「親なんて関係ない」と言って追い返してくれて,工場は「仕事ができるから雇っているんだ。帰れ」と追い返してくれたそうですが,やはり職場の雰囲気がおかしくなってしまい,仕事を続けられなくなりました。(続きを読む)
masudakotaro さん(2013/09/08 作成)