私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)』の読書ノート作成者:kasuta さん
『2013/04/23 作成
人間には、いくつもの顔がある。私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒臭がられるだけで、コミュニケーションは成立しない。
だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人individual」ではない。複数の「(分割可能な)分人」である。(P36)
分人はすべて、「本当の自分」である。
私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないのにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。
それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。(P38)
だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人individual」ではない。複数の「(分割可能な)分人」である。(P36)
分人はすべて、「本当の自分」である。
私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないのにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。
それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。(P38)
MEMO:
(要約)
人間は分割不可能な「個人」ではなく、分割可能な「分人」である。分人はすべて「本当の自分」であり、それが「私」とは何かというアイデンティティの問いである。
(メモ)
言い換えると、「私」とは(分割可能な)「分人」で成り立っており、それらがすべて「本当の自分」であるということ。
分人という言葉を使うことによって、考えがすっきりした気がする。
人間は分割不可能な「個人」ではなく、分割可能な「分人」である。分人はすべて「本当の自分」であり、それが「私」とは何かというアイデンティティの問いである。
(メモ)
言い換えると、「私」とは(分割可能な)「分人」で成り立っており、それらがすべて「本当の自分」であるということ。
分人という言葉を使うことによって、考えがすっきりした気がする。

kasuta さん
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