サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)』の読書ノート作成者:masudakotaro さん
『2013/08/10 作成
【第四講 否認する患者たち】
盲視覚:ある種の脳損傷者に見られる,特殊な視覚機能のこと。神経学的障害によって視野内の一部の領域に欠損があって,その領域では光点を呈示されても検出できない。この見えない領域内に刺激が呈示されると,知覚しているという当人の自覚がないにもかかわらず,(なんらかの仕方で)反応できる。
円の半分を盲視野に,残りの半分を健常視野に呈示すると,患者はしばしば完結した円が見えたと報告する。しかしむろん,盲視野に半円を呈示しただけでは自覚的には何も見えず,どんな形態も報告できない。さらに,健常視野だけに半円を呈示すると,半円を報告できるのみだった。円の完結が認知的な推論や判断の結果ではなくて,残存視覚の結果であること,つまり何らかの意味で「本当に見えている」ことがわかる。
半側無視:片半球大脳皮質の損傷によって,反対側視野に与えられた刺激に対して注意をはらう能力が損なわれることがあり,「半側無視」と呼ばれる。あたかも刺激が存在しないかのように,そちら側の刺激を無視し続ける。
(片側無視は)盲視覚と紛らわしいが,ひとつだけ根本的に違う点がある。それは視野計による検査で視野欠損が認められないという点。つまり単独で光点を呈示すると「見えた」と報告できる(盲視野の患者では「みえない」)のに,複雑な図柄を呈示すると,その片側半分を無視してしまう。
片側無視は,視覚レベルの障害ではなく,より高次の認知障害であると考えられる。
半側無視のケースでは普通,与えられた視覚的対象のうちの片側(多くの場合左)半分が無視されるが,その無視の程度は,はたで見ていて信じられないほどにドラマティックなもの。たとえば一枚の紙を与えて絵を描かせると,紙の中心線から右側だけに描くが,紙の幅を変えると,この境界線もそれに伴って動くことがある。つまり,常に与えられた幅の半分を無視するのだ。
対象の幅と対称性とが,無視される領域の範囲を決定する要因であることがわかっている。
(半側無視の空間症状には奇妙なパラドクスがある)。対象の左側が,はじめからまったく無視されており,患者はその存在にすら気づかない。すると患者は(患者の視覚認知系は)いったいどのようにして,注意をはらう範囲と無視する範囲の境目を決めたのか。
紙の幅を変えたり対象の幅や数を変えるだけで,この境界線もしばしば横方向に変化する。このことは明らかに,患者が少なくともあるレベルでは,対象全体を認知していることを示しているといえないだろうか。
半側無視における注意の範囲の変化ということの事実自体,自覚的な注意過程に先だつ,無自覚的な視覚情報処理過程の存在を示している。
病識欠損:半側無視の患者は自らの病状を自覚せず,その存在を否定することがある。
相貌失認と呼ばれる顔の認知だけに限定された障害がある。よく見知っているはずの顔を認知できなくなる障害だ。なじみ深いはずの顔をまったく再任できず,「なじみ深い」印象を持つことができない。
相貌失認の患者が,自ら自覚的には再認できない顔についても潜在的な知識を持っていることがわかってきた。
相貌失認患者でも,なじみ深い顔について健常者と基本的には同じ情報を持っている。ただその情報が完全に無自覚であるという点で,健常者と違う。
失読症:単語や文を読んで理解する能力の障害の総称。そのような患者でも,単語に関する無自覚的知識を持っていることを示す研究例がある。
失書(文章を書くことに関連した機能の障害)を伴わない失読の症例。このような患者はしばしば単語を全体として認知する能力を失い,読むことができないし,単語の意味も当然理解できない。ところが事物の名前を瞬間的に呈示し,その呈示時間が短すぎて一文字ずつ順に読むことが不能であるような場合でさえ,患者は配列されたたくさんの物体の中から「直観的に」正しいものを選ぶことができた。
失語症:ブローカ失語(運動性失語)とウェルニッケ失語(感覚性失語)が代表的。ブローカ失語は聞き取りはできるがしゃべれない,ウェルニッケ失語はしゃべれるが聞き取れない失語。ただしブローカ失語がしゃべりという運動そのものの障害というよりも統語論的な,つまり情報の処理の障害であること,またウェルニッケ失語も聞き取りの感覚的な障害というよりは意味論的な情報の処理の障害が主症状であることが,現在では定説となっている。
しかし最近になって,ブローカ失語における統語論的な能力,ウェルニッケ失語における意味論的な能力は,それぞれ従来考えられていたよりもはるかによく保存されていることがわかってきた。ただこれらの患者では,統語論的・意味論的情報が(患者自身によって)自覚化されないだけ。
盲視覚:ある種の脳損傷者に見られる,特殊な視覚機能のこと。神経学的障害によって視野内の一部の領域に欠損があって,その領域では光点を呈示されても検出できない。この見えない領域内に刺激が呈示されると,知覚しているという当人の自覚がないにもかかわらず,(なんらかの仕方で)反応できる。
円の半分を盲視野に,残りの半分を健常視野に呈示すると,患者はしばしば完結した円が見えたと報告する。しかしむろん,盲視野に半円を呈示しただけでは自覚的には何も見えず,どんな形態も報告できない。さらに,健常視野だけに半円を呈示すると,半円を報告できるのみだった。円の完結が認知的な推論や判断の結果ではなくて,残存視覚の結果であること,つまり何らかの意味で「本当に見えている」ことがわかる。
半側無視:片半球大脳皮質の損傷によって,反対側視野に与えられた刺激に対して注意をはらう能力が損なわれることがあり,「半側無視」と呼ばれる。あたかも刺激が存在しないかのように,そちら側の刺激を無視し続ける。
(片側無視は)盲視覚と紛らわしいが,ひとつだけ根本的に違う点がある。それは視野計による検査で視野欠損が認められないという点。つまり単独で光点を呈示すると「見えた」と報告できる(盲視野の患者では「みえない」)のに,複雑な図柄を呈示すると,その片側半分を無視してしまう。
片側無視は,視覚レベルの障害ではなく,より高次の認知障害であると考えられる。
半側無視のケースでは普通,与えられた視覚的対象のうちの片側(多くの場合左)半分が無視されるが,その無視の程度は,はたで見ていて信じられないほどにドラマティックなもの。たとえば一枚の紙を与えて絵を描かせると,紙の中心線から右側だけに描くが,紙の幅を変えると,この境界線もそれに伴って動くことがある。つまり,常に与えられた幅の半分を無視するのだ。
対象の幅と対称性とが,無視される領域の範囲を決定する要因であることがわかっている。
(半側無視の空間症状には奇妙なパラドクスがある)。対象の左側が,はじめからまったく無視されており,患者はその存在にすら気づかない。すると患者は(患者の視覚認知系は)いったいどのようにして,注意をはらう範囲と無視する範囲の境目を決めたのか。
紙の幅を変えたり対象の幅や数を変えるだけで,この境界線もしばしば横方向に変化する。このことは明らかに,患者が少なくともあるレベルでは,対象全体を認知していることを示しているといえないだろうか。
半側無視における注意の範囲の変化ということの事実自体,自覚的な注意過程に先だつ,無自覚的な視覚情報処理過程の存在を示している。
病識欠損:半側無視の患者は自らの病状を自覚せず,その存在を否定することがある。
相貌失認と呼ばれる顔の認知だけに限定された障害がある。よく見知っているはずの顔を認知できなくなる障害だ。なじみ深いはずの顔をまったく再任できず,「なじみ深い」印象を持つことができない。
相貌失認の患者が,自ら自覚的には再認できない顔についても潜在的な知識を持っていることがわかってきた。
相貌失認患者でも,なじみ深い顔について健常者と基本的には同じ情報を持っている。ただその情報が完全に無自覚であるという点で,健常者と違う。
失読症:単語や文を読んで理解する能力の障害の総称。そのような患者でも,単語に関する無自覚的知識を持っていることを示す研究例がある。
失書(文章を書くことに関連した機能の障害)を伴わない失読の症例。このような患者はしばしば単語を全体として認知する能力を失い,読むことができないし,単語の意味も当然理解できない。ところが事物の名前を瞬間的に呈示し,その呈示時間が短すぎて一文字ずつ順に読むことが不能であるような場合でさえ,患者は配列されたたくさんの物体の中から「直観的に」正しいものを選ぶことができた。
失語症:ブローカ失語(運動性失語)とウェルニッケ失語(感覚性失語)が代表的。ブローカ失語は聞き取りはできるがしゃべれない,ウェルニッケ失語はしゃべれるが聞き取れない失語。ただしブローカ失語がしゃべりという運動そのものの障害というよりも統語論的な,つまり情報の処理の障害であること,またウェルニッケ失語も聞き取りの感覚的な障害というよりは意味論的な情報の処理の障害が主症状であることが,現在では定説となっている。
しかし最近になって,ブローカ失語における統語論的な能力,ウェルニッケ失語における意味論的な能力は,それぞれ従来考えられていたよりもはるかによく保存されていることがわかってきた。ただこれらの患者では,統語論的・意味論的情報が(患者自身によって)自覚化されないだけ。
masudakotaro さん
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