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『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公…』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)』の読書ノートリスト

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  •  無自覚的故意性が何らかのかたちで立証された場合にはどうだろうか。自覚的な場合と同じ罪にすべきか,あるいは無自覚的にも故意性が存在しない場合と,同じ処理をするべきか。  責任の概念 1. 自由意思論に基づく古典主義:自由意思はすべての人間が持っている。そう考えて古典主義は行為者を捨象し,行為を前面に押し出す。自由主義に基づく罪刑法定主義であり,犯罪と刑罰との均衡を求める考え方。 2. 機械的決定論に基づく近代主義:罰せられるべきは行為ではなく,社会的危険性を持つ犯人自身であるとして,個々の犯罪人を対象にする。犯罪を個人の資質と社会環境との交互作用の必然的結果と見るため,行為者の自由意思を否定するか,あるいは自由意思の問題は刑法上直接の意味はないとする決定論の立場をとる。  行為能力の前提には,意思能力(=自分の行為の結果を判断する能力)が必要とされる。  自覚能力の欠如,すなわち自己の行為を客観的に記述し,規範に照らして評価する能力(=自覚的過程)の有無が問題とされる。  人を普通に拳銃で殺せば間違いなく重い罪に問われるが,十人以上連続的に殺して,その死体とセックスするか,食べるか,それとも皮を剥いで飾るか,とにかくできるだけ残虐で常軌を逸した行動をとればとるほど,無罪を勝ち取るチャンスも広がる。  「本人に選択の余地がなかったのなら,本人の責任ではない」「環境と本人の持って生まれた資質が問題を起こした」という論理。 (続きを読む
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masudakotaroさん
masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第九講 私の中の悪魔】  自分の行動の本当の原因に,アクセスできないことがある。  そこでその結果,自分の行動を誤って偽の原因に帰することがある。  人の言動の原因について,当人よりも第三者の判断に特権を与えるということを,私たちは結構している。つまり,私たちの社会の仕組みは案外そうなっている。  一般に過失致死の場合は,意図を持っておこなわれた殺人の場合よりも,加害者に課せられる罪は,ずっと軽い。  「故意」であるということは,逸脱行為の罪を重くする。  「故意」という判定の前提には,意図の自覚ということがあるように思われる。意図の,本人による自覚。  本人の主張する理由としばしば食い違う「本当の」理由が,そもそも存在すると信じる根拠は何なのか。また逆に,本当の理由が本当に「本当」であると信じる根拠は何なのか。  「本当の理由」の存在を信じる私たちの素朴な信念が,「直接経験」への信頼というもうひとつの素朴な信念と首尾一貫していないという事実。  「自らの心的経験や行動の理由などについては,人はそれを直接的に知る特権を常に持っている」という信念。  他我問題:人が泣いているのを見て,どうして(自分が悲しいのと同じ意味で)悲しいとわかるのか。他人が近くしている赤信号の色は,本当に自分の知覚している赤色と同じか,あるいは同じだといかにして知り得るのか。  「自分がいま経験している赤い色や鋭い歯痛の感覚は,直接的で疑問の余地がない。しかし他人の経験している赤い色や痛みについての知識は別で,間接的であり,あてにはできない。  直接経験の「最終性」:「歯が痛い」というとき,少なくとも当人にとっては痛いから端的に痛いのであって,その真偽をさらに遡って問うたり,またそのために他のより直接的なデータに訴えたりすることはできない。  私たちの知覚や判断や行動は,それ自体私たち自身によって直接経験されるものであり,その明白さは真偽を問う余地さえない。しかし反面,その直接経験が何に由来し,起因したかを検討する必要が生じた場合,私たちは本人の申し立てを認めず,むしろ第三者の特権を認めるのだ。  直接経験そのものについては本人の特権を認めつつ,その前後の因果関係については第三者の特権を認めるという複雑な操作が,暗々裡に人々の常識となり,社会規範の根底を成すに至ったのは,どのような事情によるのか。  私たちは一見,自己の経験の自覚的直接性を疑うことなく生きているように見える。  しかし反面,知覚や判断や行動の由来・理由・動機・原因などを最終的に特定化する必要が生じたときには,私たちは第三者の観察にむしろ特権を与える。  その場合「責任」は,本人の自覚化された意図と第三者による因果関係との間で重みづけ,ないしは斟酌される。  これは私たちの日常の行動様式を規定するだけではなく,社会規範をも陰に陽に裏づけている,信憑の体系である。また,同時代人によって共有されるが,時代にともなってグローバルには変化する人間像の体系という意味で「時代の人間観」とも呼べる。  そこでこの「時代の人間観」をより深く理解するために,私たちはその人間観の本質的な複合性を自覚し,その依ってきたる所以と根拠を洗い直してみなければならない。  「自分のことは自分が一番よく知っている」,「自分は基本的には自分の思うとおりに行動できる」。そうした信念は「すみずみまで自覚化できる意図によって,ひとつに統一された自己」という,いわば共同幻想に基づくものである。  因果的行為論:なんらかの意志に基づく身体的挙動を重視。意思の内容ではなく,意思の効果が重要であると考える。意思の内容は責任論で論じればたりるとする。  目的的行為論:行為の目的性を重視。目的性,すなわち意図された内容およびそれを実現する意思=故意。因果関係による支配ではなく,因果関係を支配する行為者の主体的な介入があって,はじめて行為となり得ると考える。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  •  機械論-局在論の系譜:不随意運動を重視する,あるいは人や動物の行動をなるべく不随意的なものとして解釈しようとする立場。  生気論-全体論(反局在論)の系譜:どちらかといえば随意運動を重視する,あるいは行動の随意性や自発性・合目的性・協調性などを重視する立場。  生物学,とくに運動生理学のふたつの系譜は,潜在的と顕在的という心理過程の関係という,私たちの関心とも密接につながっている。 1. 顕在的な心的過程の一番はっきりした例は自発的・意図的な随意運動に見られるが,これすらが大脳皮質の機能とは限らず,より低次の脳や脊髄の機能に担われるケースがある。 2. 汎機械論の立場を心理学にまで推し進めれば,潜在的過程の原則で顕在的過程をも理解しようとする考え方が予想される。そして他方,汎生気論の立場を推し進めれば,顕在的過程の原則で潜在的過程をも理解しようとする考え方が予想される。  ある行為が「目的にかなっている」ことは,しばしば自発性・意図性あるいは随意性の指標とされる。  その逆は,盲目性・機械性とされる。  合目的性と機械性は,実は矛盾しない。自発的でなくすなわち随意的でない運動も,場面に応じた柔軟な合目的性を持つということが,十分にあり得る。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第八講 無自覚の「意志」】 行動,特に無意識的で反射的な行動の変化が,認知あるいは言語のレベルでの方向の再整理に先立つ。 とっさの反応はできるが,あらためて問われたり,自問すると混乱してしまう。 本人は刺激に気づいていないのに身体が勝手に反応する。たとえば同時し失認といって,視野の中の個々のものはわかるのに全体の関係が認知できない症状を持つ患者。そういう患者でも,本人は視覚刺激の存在に自覚的には気づいていないのに,眼球はその方向へ動いていた。 線分の方向を自覚的に検知し,言語で報告することができなかったのに,カードによるスロット課題の遂行となると,たちまち方向の情報を活用できる。 感覚系と運動系をつなぐ神経経路はひとつではなく,いくつかの異なるレベルがある。そのうちの低次のものは自覚できず,高次のものだけが自覚化できる。 姿勢・運動制御の経路は昆虫や鳥や哺乳類でも比較的下等な種でむしろ優勢であり,これに対して物体認知の経路は,サルやヒトなど高等な動物ではじめて優勢となる神経メカニズム。姿勢・運動制御の経路がおおむね無自覚的あるいは潜在的であり,物体認知の経路がおおむね自覚的あるいは顕在的なのは,むしろ当然。 自発的意志とはいったい何なのか。自由意志は自覚的であり,意識的である。つまり「意志」は通常顕在的メンタル・プロセスの典型的な例とみなされる。 自分の「意志」を報告できたし,その前後に起こった理由づけや思考や怒りなどの情動も含めて,すべて自覚でき,言語によって報告できたように見える。 行為はたいていの場合手を動かしたり,足を動かしたりといった筋肉運動を伴っており,その生理学的機構はかなりのところまで解明されている。この場合の「機構」というのは,徹頭徹尾ものの世界の因果関係で記述されている。この記述は完全に機械論的記述であり,ロボットやサイボーグでも,人間でも,本質的には同じ過程であると考えられている。「自由意志」はどこで蒸発してしまったのか。 意図的な行動のひとつの特徴は,それがなにがしかの意味で「目的にかなう(合目的的である)」ということ。意識的な心的過程の最たるものは自発的意志であり,その有力な特徴が合目的性なので,この合目的的な行動のメカニズムということが,生理学上の大きな関心事となる。 条件づけとはすなわち環境からの刺激に対して適合的な行動を学習することにほかならず,適合的とは合目的的と言い換えることができる。 オペラント条件づけ=道具的条件づけ 古典的条件づけ はじめは反応を引き起こすことができなかった条件刺激が,より強い無条件刺激と繰り返しペアで呈示されることによって,単独でも反射を引き起こすようになる。合目的的で環境に適応的な反応の仕方を学んだ。 条件づけそのものを可能にするメカニズムと,その効果を貯えるメカニズムは別である。古典的条件づけの場合には,条件づけメカニズムそのものは頭部神経節にあるが,貯蔵する機能は胸部や腹部の神経節にも分散している。 オペラント条件づけは,はじめから頭部のない昆虫でも成立する。 古典的条件づけのほうは,頭部神経節なしでは成立しないが,いったん成立して十分に固定されれば,頭部がなくなっても学習の効果は残る。 断頭カエルでも,普通のカエルと同じように,右肢を固定してから右側の背中に酸を垂らすと,左肢で掻く。→目的にかなう行動(随意運動)は脊髄レベルで組織化され得る。 除脳犬(無大脳犬):大脳のない犬は,刺激を与えられない限り眠っているように見えた。しかし,大きな音を立てると目覚め,痛み刺激によってうなり,立たせると自分の足で歩き,口に食物を入れると飲み込んだ。日差しの入る窓辺へ行って寝そべり,気持ちよさそうにうたた寝さえした。 除脳犬は駐立姿勢(四つ足で立った姿勢)を保ち,前へ引っ張れば前肢で支えて,後ろへ引っ張れば後肢で支えて抵抗するというように,大脳のある普通の犬と同じ行動をとった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第七講 操られる「好み」と「自由」】 人の行動は内発的と外発的という二種類の動機づけによってなされる。 人の示す好き嫌いや選択行動に影響及ぼす,潜在的な要因は何か。 自覚的過程と無自覚的過程とはどのように相互作用するのか。 親近性原理:単純に商品を「見知っている」「聞き覚えがある」「なじみがある」という状態にするだけで,消費者の欲望は高まり,他社のライバル商品よりも,広告の商品を選ぶようになる。 親近性効果=単純呈示効果:特定の対象をただ繰り返し経験するだけで,その対象に対する好感度,愛着,選好性(その対象を選ぶ可能性)などが増大する。特に「ただ繰り返し経験するだけ」というところがミソ。 実物そのものをじかに体験する必要はなく,実物を連想するものなら何でもよい。 どのような対象の場合でも,好感度は単純に経験が繰り返されればされるだけ,一律に増大する。 閾下(サブリミナル)単純呈示効果:実際には経験したことがあるが,その経験を本人が忘れていて,当の対象についてまったく見覚えもない場合。そういう場合でも,好感度はやはり上昇する。 「聞き覚えのあるもの」として再認できない場合がほとんどであっても,そのメロディに対する態度には変化が見られた。つまり好感度が増していた。 意識的な再認とは独立に,潜在記憶に基づいて好ましさの判断をおこなう過程がある。 被験者の再認判断に関する確信は,まったくあてにならない。 「見覚えがある」という人の判断が一般にあてにならず,またその判断にいくら「自信」があても,やはりあてにならない。 確信度と関係なく再認はまったくできていないにもかかわらず,より好きなほうを選ぶという選好課題では,明らかに経験済みの刺激がより高い確率で選ばれている。 「すでに呈示されたことがあるのはどちらの図形か」ということを訊くのに,直接的な訊き方ではなくて「好きなほうを選べ」という間接的な訊き方をしたほうが,被験者はよりよい成績を収めることができる。 確信度が上がるほど好感度も上がる。この傾向はしかし,実際に経験したか否かとは関係ない。確信度が高くなっても,再認正答率のほうは必ずしも上がっていないから。 単純呈示効果の存在を説明されても,一般論として「そういうことはあるだろう」と認めても,「自分の場合は違う」となおも言い張ったりする。 十分な数の反復をすれば,閾下の刺激のほうが単純呈示効果が大きくなる。反復したときに効果が増大する度合いは閾下の場合のほうが大きい。 「これはコマーシャルで見た」というはっきりした再認記憶がある場合よりも,ない場合のほうが効果が大きいという可能性。 高級なものあるいはイメージと商品名と,いつも一緒に繰り返し呈示されていると,商品名を見たり聞いただけで,なんとなく高級な感じが連想されてしまう。 マスメディアによる,あるいはマスメディアを通したサブリミナルな操作。 1.発言者あるいは製作者が意図的にあるメッセージを潜在化し,巧妙に流す。 2.当事者自信も潜在的に特定のコトバやシーン,アイテム,ストーリーなどを選択していて,それが結果として,サブリミナルな世論操作や流行操作を成功させる。 情報の送り手も受けても終始無自覚的であるケースがより頻繁に起こっているのかもしれない。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • (二酸化炭素中毒によって,後頭葉視覚野の広い範囲に損傷を受けた患者の知覚。認知機能に関する調査:「見えている」自覚がないが,行動で識別できる。) 1.この患者に線分を見せ,その方向の識別を求めると,言語報告によっても,または手で方向を示す動作によっても,まったくできなかった。垂直線を見せても,水平線を見せても,区別できないのだから,重篤な障害といわざるを得ない。ところが,患者の目の前に郵便箱か,あるいは自動販売機のコイン投入口のようなスロットを置き,そこにカードを差し込むように求めてみたところ,この患者はたちまち健常者とほとんど違わない成績を示した。 2.マッカロー効果:縞模様の方向に応じて違う色が見える特殊な色残効の効果。たとえば赤い横縞と緑の縦縞を交互にくりかえし見た後では,白黒の横縞部分は緑がかって,縦縞部分は赤みがかって見える効果。縞の方向は「見えていない」「識別できない」のに,それでも健常者と同じ色残効を報告できることから,縞模様の方向はある程度脳内で処理され,患者の知覚は間接的には反映されている。 「見えない」プライム刺激が,後の知覚情報処理に影響を与えている。それが何通りかの「間接的な」方法で示されている。知覚過程の測定可能な出力は複数あり,それぞれ異なる神経経路やメカニズムによる。したがって,それらの出力が食い違うことも珍しくない。さらに,そうした出力は意識レベルで「気づき」自覚できるものであったとしても,そこに至るまでの過程は自覚できない場合が多い。 「誤帰属」は知覚においてもあり得るのだろうか。自分の近くの根拠や原因を,ほんとうとは違う対象に「帰する」というようなことが起こりうるかどうか。 対象を知覚し,その距離を正確に判断する盲人の驚くべき能力。 1.高い周波数の反響音が手がかりになっている。 2.ほんとうは反響音を手がかりにしているのだが,その知覚過程は自覚できない。しかしその結果,「これ以上前に歩くと額が壁にぶつかるぞ」といった予期が生じ,額に緊張が走る。ところがこれは自覚できるので,自分の近くの原因をこの自覚でいる額の緊張に帰してしまう。 ソニック・ガイドあるいは超音波測定装置。 1.額の位置から超音波を発信し,対象からの反響音波を受信。それをさらに耳に聴こえる音に変調した上で視覚障害者に聞かせる。そして,たとえば対象までの距離は音の高低で,対象の大きさは音の大小で,対象のきめ(凹凸やざらつき)は音の透明度で,というふうに次元を決めて,外の世界や障害物についての手がかりを与える。 2.十分に早い時期からこうした装置を装着させた視覚障害児は,助けなしでも自由に遊び回れる程度にまで空間定位が可能になる。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 閾下知覚あるいは潜在知覚の証拠には三通りぐらいある。これらはいずれもまずプライム刺激にマスクをかけて見えにくくしている。そして閾下の「見えていない」条件のもとで,それでも後の知覚や行動に効果があることを,何らかの間接的な方法で示している。 1.間接プライミング効果によるもの。 2.プライミング-ストループ法によるもの。 3.選好,つまり好き嫌いの判断。見覚えはなくても,実際に見た経験のあるものは好きになるという効果。 クラツキーは意識を「オンラインのアウェアネス(気づき)」と定義。この意味の意識は「注意」とほぼ対応し,したがって「前注意過程」のほうは無意識的・無自覚的な情報処理過程ということになる。 クラツキーはまた,自動的な処理と注意による処理とを区別した。 1.自動的処理=無意識的処理:目的や課題,本人の意図や構えにかかわらず,刺激によって駆動され自動的に立ち上がってしまう処理過程。 2.注意による処理=意識的処理:本人の意図や構え,努力によって制御の効く処理過程。 注意には刺激依存性のものと自覚的で意図的なものと少なくとも二種類ある。意図的な注意は遅くてより持続的だが,なにか新しい刺激があると刺激依存性のすばやい機構が一瞬の間だけ打ち勝って,注意の焦点が一瞬の間だけそちらに移ってしまう。 「ポップアウト効果」:課題や努力に関係のない自動的な注意。 より重要そうな情報だけをさらなる処理のために残し,残りを捨てるフィルターの役割をするのが人間の注意。 より重要な情報だけをどうやってすばやく選択するのか,選択に必要な「前処理」の実態は何か。 私たちはとかく見えたか見えなかったか,知覚できたかできなかったかというふうに,オール・オア・ナッシングに捉えがちだが,実際にはそうではない。知覚とは,複数のレベルから成り立っている現象だと考えるべき。「見えた」あるいは「あった」という反応は,知覚の測定可能な出力が複数あるうちの,特別なひとつであるにすぎない。 外の現実世界についてのアウェアネスを伴う知覚は,何段階もある前意識的処理の,最終的な産物であるにすぎない。 「初期視知覚過程」=「前注意過程」の存在の証拠(特徴)。 1.刺激依存的。つまり刺激によって駆動される。 2.自動的・盲目的。この刺激による駆動は有無をいわせないもので,それが課題と関係がなくても,また本人の意図でなくても,さらに知識や予見にかかわらず,起こってしまう。 3.局所的で並列的。視野内のあらゆる狭い場所で,処理は同時並行的に進行する。 4.無意識的。その過程の結果は意識的に体験できても,そこに至るプロセスは自覚できない。 視知覚情報処理の大部分は,われわれの意識にとってアクセス不能であり,われわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない。 (続きを読む
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    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第六講 見えないのに見えている】 無意識的知覚の証拠:「カクテルパーティ効果」。パーティで,人の輪に加わって談笑している。その話題に熱中していても,背後の別のグループの会話の中に,たとえば自分の名前が出てきたりすると,突然それが聞こえ,そちらの会話に注意が向いてしまう。はじめ自分のグループの会話だけに集中していて,周囲の会話はまったく意識されていなかったのに。 「前注意過程」=自覚化されないがある程度の処理をおこなっている「前処理」過程を想定。自覚化され意識されている現在の会話の背後で,この無自覚的過程がひそかに働いていて,自分の名前のような極度に重要な情報が入った場合だけ,信号を送って意識のチャンネルを切り替える。 視覚のほうでも,これとよく似た前注意過程の存在が推定されている。 注意の二過程説:前注意過程=無自覚的過程。注意過程=自覚的過程。 単語などの認知情報処理には二種類の過程がある。 1.無意識的な認知過程。自動的で無意識的ですばやく,意図による抑制の効かない活性化のプロセス。 2.意識的な認知過程。意識的で意図による抑制が効くが,遅くて処理容量に限界があるプロセス。 このような二過程説ときわめてよく似た二過程説が,単語の意味のような言語的プロセスだけではなくて,より広く知覚一般に成り立つ。これは脳神経の情報処理のある一般的な構造を反映するとともに,自覚できるメンタル・プロセスと無自覚的なメンタル・プロセスの関係についても,重要な一般的な原理を示している。 1970年代に現れたふたつの有力な方法論によって,潜在知覚研究の別の波がやってくる。 1.逆行性マスキング:ターゲットを瞬間呈示した直後にマスキングと呼ばれる別の強い刺激を呈示して,ターゲットを見えなくする方法。 2.意味的(間接)プライミング:意味的に関連のあるプライミング語をあらかじめ呈示しておくことによって,それに続くターゲット後に対する認知・判断が促進される。 視知覚機能には大きく分けてふたつある。 1.検出と定位に関する機能(別の解釈では行動に直結する機能)。 2.対象の特徴と分析と認知に関する機能。 このふたつは脳内の視覚神経経路としてある程度独立のものであり,並列的に働いている可能性がある。さらに,検出・定位機能にかかわるのは皮質下の経路で,自覚なしにも働きうる。 (チーズマンとメリクルの実験。「意識を伴わない知覚情報処理も,より敏感なプライミング効果には反映される」というマーセルやバロッタたちの結論を否定。)ほとんど見えた気がしない場合ですら,無理やりあて推量で「あったかなかったか」どちらかを選べば,90パーセント近く正答できた。 「あったかなかったか」の検出課題のほうが,形態や意味の類似性判断よりも実は難しく,あるいは判断があてにならない。 (続きを読む
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    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第五講 忘れたが覚えている】 潜在的な記憶:被験者はある課題を遂行することによって,特定の知識を持っていることを示せる。がしかし,その知識を持っていることに自ら(意識的に)気づくことはなく,またその知識に意図的・自覚的にアクセスすることもできない。 エビングハウスは被験者に無意味つづりの単なるリストを暗記させた。また別の実験では対連合学習をさせている。ひとつのつづりと別のつづりとの対応関係を覚える,つまり単語帳の暗記に似た学習だ。その後,彼は三通りの異なった方法で記憶の存在を示した。 1.再生:単純にリストの中にあったつづりを自由に想起できること。 2.再認:自発的には思い出せないが,目の前に示されたり,読み上げられたりすれば,リストの中にあったと判断できる場合。 3.節約法:再生も再認もできないつづりであっても,忘却の後にもういちど学習させると,はじめてのときよりも早く基準に達する,つまり学習の効率が良い。 忘却したと思っても,また事実再生・再認ができなくても,完全に忘却したわけではない。 潜在的な記憶過程が顕在的な記憶過程の根元に存在している。 健忘症:脳損傷に由来する記憶障害の総称。 1.順行性健忘:患者は新しい材料や出来事を記憶できない。ひどい場合には,障害が生じた時点(たとえば脳に出血が生じた時点)から死ぬまで一切の事件を記憶できない。 2.逆行性健忘:障害が生じた時点より以前の出来事を想起できなくなる。しかも,古い事件は比較的よく想起できるのに,新しい事件ほど想起が困難。 記憶についての「多元システム」説:障害を受けやすい記憶と受けにくい記憶がある。 宣言記憶:事柄の知識。意識的な想起が可能な記憶。内容について述べることができる。主に学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で,健忘症では強い障害を示す。 手続記憶:やり方の知識のようなもので,特定の事実やデータ,特定の時間に特定の場所で生じた出来事とは関係がなく,学習された技能や認知的操作の変容に関わる記憶。健忘症でも傷害されずに残る。 健忘症でも損なわれない記憶には,少し違う種類もあって,プライミング(呼び水)効果という。いちどでもちらりと見たものは二度目には見やすくなる,あるいは反応が早まったり強まったりするといった効果。 プライミングを使うと,健常者でも潜在記憶の証拠が出てくることがある。再生や再認のまったくダメな健忘症の患者でも,プライミングでは優秀な成績を示す。 さまざまな手続記憶で共通しているのは,これらの技能の獲得時期が,逆行性健忘の期間内であっても――つまり発症直前であっても――失われずに残ること。 宣言的記憶と手続的記憶は,①貯蔵される情報の種類,②情報の用いられ方,③関与する神経組織の三つの点で違っている。 ダルウィンによれば「エピソード記憶」は損なわれるが,「意味記憶」(の一部)は損なわれない。 エピソード記憶とは,個人的体験のいわば日記的・自伝的な記憶のことで,日時と場所つきで明確に想起可能なエピソードの記憶表象。 意味記憶とは,世間一般でいう知識――事実や概念。 意味記憶は保存されるが,エピソード記憶が損なわれた例。 1.チェスのルールはちゃんと覚えていて言えるのに,どこで習い覚えたかさっぱり記憶にない。 2.ある会社や業界用語などについて詳しく知っているのだが,それは自分がかつてその会社にいたからだということが分からない。 エピソード記憶も意味記憶もともに顕在的であり,宣言的記憶のサブシステムと見られている。(続きを読む
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    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第四講 否認する患者たち】 盲視覚:ある種の脳損傷者に見られる,特殊な視覚機能のこと。神経学的障害によって視野内の一部の領域に欠損があって,その領域では光点を呈示されても検出できない。この見えない領域内に刺激が呈示されると,知覚しているという当人の自覚がないにもかかわらず,(なんらかの仕方で)反応できる。 円の半分を盲視野に,残りの半分を健常視野に呈示すると,患者はしばしば完結した円が見えたと報告する。しかしむろん,盲視野に半円を呈示しただけでは自覚的には何も見えず,どんな形態も報告できない。さらに,健常視野だけに半円を呈示すると,半円を報告できるのみだった。円の完結が認知的な推論や判断の結果ではなくて,残存視覚の結果であること,つまり何らかの意味で「本当に見えている」ことがわかる。 半側無視:片半球大脳皮質の損傷によって,反対側視野に与えられた刺激に対して注意をはらう能力が損なわれることがあり,「半側無視」と呼ばれる。あたかも刺激が存在しないかのように,そちら側の刺激を無視し続ける。 (片側無視は)盲視覚と紛らわしいが,ひとつだけ根本的に違う点がある。それは視野計による検査で視野欠損が認められないという点。つまり単独で光点を呈示すると「見えた」と報告できる(盲視野の患者では「みえない」)のに,複雑な図柄を呈示すると,その片側半分を無視してしまう。 片側無視は,視覚レベルの障害ではなく,より高次の認知障害であると考えられる。 半側無視のケースでは普通,与えられた視覚的対象のうちの片側(多くの場合左)半分が無視されるが,その無視の程度は,はたで見ていて信じられないほどにドラマティックなもの。たとえば一枚の紙を与えて絵を描かせると,紙の中心線から右側だけに描くが,紙の幅を変えると,この境界線もそれに伴って動くことがある。つまり,常に与えられた幅の半分を無視するのだ。 対象の幅と対称性とが,無視される領域の範囲を決定する要因であることがわかっている。 (半側無視の空間症状には奇妙なパラドクスがある)。対象の左側が,はじめからまったく無視されており,患者はその存在にすら気づかない。すると患者は(患者の視覚認知系は)いったいどのようにして,注意をはらう範囲と無視する範囲の境目を決めたのか。 紙の幅を変えたり対象の幅や数を変えるだけで,この境界線もしばしば横方向に変化する。このことは明らかに,患者が少なくともあるレベルでは,対象全体を認知していることを示しているといえないだろうか。 半側無視における注意の範囲の変化ということの事実自体,自覚的な注意過程に先だつ,無自覚的な視覚情報処理過程の存在を示している。 病識欠損:半側無視の患者は自らの病状を自覚せず,その存在を否定することがある。 相貌失認と呼ばれる顔の認知だけに限定された障害がある。よく見知っているはずの顔を認知できなくなる障害だ。なじみ深いはずの顔をまったく再任できず,「なじみ深い」印象を持つことができない。 相貌失認の患者が,自ら自覚的には再認できない顔についても潜在的な知識を持っていることがわかってきた。 相貌失認患者でも,なじみ深い顔について健常者と基本的には同じ情報を持っている。ただその情報が完全に無自覚であるという点で,健常者と違う。 失読症:単語や文を読んで理解する能力の障害の総称。そのような患者でも,単語に関する無自覚的知識を持っていることを示す研究例がある。 失書(文章を書くことに関連した機能の障害)を伴わない失読の症例。このような患者はしばしば単語を全体として認知する能力を失い,読むことができないし,単語の意味も当然理解できない。ところが事物の名前を瞬間的に呈示し,その呈示時間が短すぎて一文字ずつ順に読むことが不能であるような場合でさえ,患者は配列されたたくさんの物体の中から「直観的に」正しいものを選ぶことができた。 失語症:ブローカ失語(運動性失語)とウェルニッケ失語(感覚性失語)が代表的。ブローカ失語は聞き取りはできるがしゃべれない,ウェルニッケ失語はしゃべれるが聞き取れない失語。ただしブローカ失語がしゃべりという運動そのものの障害というよりも統語論的な,つまり情報の処理の障害であること,またウェルニッケ失語も聞き取りの感覚的な障害というよりは意味論的な情報の処理の障害が主症状であることが,現在では定説となっている。 しかし最近になって,ブローカ失語における統語論的な能力,ウェルニッケ失語における意味論的な能力は,それぞれ従来考えられていたよりもはるかによく保存されていることがわかってきた。ただこれらの患者では,統語論的・意味論的情報が(患者自身によって)自覚化されないだけ。 (続きを読む
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    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
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