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『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公…』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)』の読書ノートリスト

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  • 【第三講 もうひとりの私】 「二十の扉」ゲーム:出題者があらかじめ思い定めた事物の名を,二十までの質問に対する「イエス/ノー」の答えが推定できるゲーム。平均二十個の質問によって,大体一個の事物が特定できる。 右眼が左半球に,左眼が右半球に投射するのではなくて,右視野が左半球に,左視野が右半球に投射する。 「分離脳」 言語に関連する機能は,大多数(90パーセント以上)の人々では左半球に集中していることが知られている。 分離脳の患者の右視野に事物の絵や単語を呈示したり,あるいは右手で対象に触らせたりして,左半球だけに情報を入力してあげると,左半球はその刺激を極めて雄弁に記述できる。 これに対して,情報の入力が左手を通して右半球だけに限定されている場合には,患者はそのような反応を示すことができない。 いわゆる言語中枢を持たないはずの右半球系が,単語を「読み」,「理解し」,その対象を同定できたことは,それ自体驚くべき発見だった。 右半球系は視覚情報に基づいて触覚的同定課題を遂行することができるが,その課題遂行を自覚的にモニターし,言語報告することができない。他方左半球系はその(左手の)ふるまいを見て,何が起こっているかを推測する。 右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず,絶えず推測しつつ,しかし推測しているということには気づかずに,事実として認知し記述しているらしい。 左半球の言語系は,右半球の認知系による行動を「外的に」観察し,その知識に基づいて現実を解釈するらしい。 人の心とは,完全には統合されていない多元的なシステム。つまり,心とはひとつの心理学的実態ではなくて,いくつかのサブシステムからなる社会学的な実態。 人は自分の気分(ムード)の起源をつねに正確に自覚しているとはかぎらない。 言語システムは,当人の実際の行動・認知・内的興奮やムードなどを常時観察し,モニターしている。そして,とぼしい内的手がかりをおぎなうために,ニスベットとウィルソンのいう「暗黙の因果理論」に基づいて,解釈をほどこす。 他人の行動と周囲の環境とを観察して,その当人の心の中身を推察するという作業を,私たちはそれと気づかずに常時おこないながら暮らしている。左半球言語系と右半球との関係も,どうやらそれに近い。 両半球はふたりの隣人のようにふるまう。 分離脳の知見は,健常者の心的過程について,ふたつの点を示唆する。 1.健常者の量半球間でも,内側の神経コミュニケーションのほかに,自らの行動を通して外的コミュニケーションがおこなわれている可能性がある。 2.左右両半球という分け方以外にもこうした「多元的メンタル・システム」の区分があって,そのうちの少なくともひとつが無自覚的・潜在的であり,自覚的・顕在的システムとの間で,ゆるい観察的・外的コミュニケーションしか持たないという可能性がある。 人は,自分の認知過程について,自分の行動から無自覚的に推測する存在である。 (続きを読む
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masudakotaroさん
masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【第二講 悲しいのはどうしてか?】 自己に対する内的な知識はきわめて不完全である。それは無意識的な推論によって補われているものであり,極言すれば自分とはもうひとりの他人であるにすぎない。 情動二要因理論。 私たちは悲しいからなくのか,泣くから悲しいのか。 ジェームズ-ランゲ説:泣くから悲しいのだと主張する立場。「情動の末梢説」。 教示や演技など別の理由で表情を作った場合ですら,主観的に経験される情動は,予想外に大きく作られた方向に引きずられる。 情動経験は感覚刺激に依存する。しかしまた顔筋の変化=表情と情動経験の間には連合-相関関係があり,この関係は表情の変化が教示や演技による場合にも変わらない。つまり感覚刺激なしに教示や演技によって表情を作った場合ですら,このような強い連合関係のために,情動の経験が想い起こされてしまう。 ジェームズ主義では,表情を作ることがむしろ先立ち,それによって逆に主観的経験としての情動が形成されるという筋道。 との説も,日常感覚的には承認しがたい時間的生起順序・因果関係している。つまりこれらの説では,身体の生理的変化が先で,次にこれが原因で情動が生じるというのだ。しかし私たちの日常的経験は,これとは逆のように思える。 時間的生起順序・因果関係を承認しにくいのは,これらの理論が,本人も自覚的にアクセスできない意識化の過程の存在を示唆しているから。「身体的過程→潜在的認知過程→自覚的情動経験」という関係が重要。 情動二要因理論の大前提=情動による生理的喚起=興奮状態は,情動の種類(喜び,怒り,悲しみなど)にかかわらず共通である。 情動二要因理論では,情動経験について二段階のシナリオを考える。このふたつが満たされてはじめて情動認知が成立する。 1. 生理的な喚起(興奮)状態の認知。 2. 情動ラベルづけ(喚起状態の推定,あるいは原因への帰属)。 人は自分の主観的な情動の経験を「決定する」ために,①自分の内的状態と,②その状態が生じている環境とを評価する。 つり橋に対する恐怖からの緊張と性的興奮との間には,生理的には曖昧な区別しかない。そこで状況の認知(美人に声をかけられた)から,興奮状態を作り出した原因を「謝って」そこ(魅力的な異性との出会い)に帰してしまう。この帰すること=帰属によって,性的興奮度や,初めて出会った異性に対する関心の度合いがいっそう高まったものと想像される。 実際の生理的興奮が起こっていなくても,「自分は今生理的に興奮している」という認知さえあれば,常道のラベルづけをおこない,情動認知が起こりうる。生理的興奮そのものが情動経験のための必要条件なのではなく,生理的興奮の自己認知が必要条件。 興奮条件ではむしろよく眠れたのに,リラックス条件ではなかなか眠りにつけない。 就寝時に強く自覚される生理的興奮を100パーセント薬のせいにできる。そのため生理的興奮の情動へのラベルづけが起こりにくく,情動認知が低くなる結果,不眠症状が軽くなるのではないかと考えられる。これに対してリラックス条件では,「鎮静剤を飲んだのに」依然として興奮を自覚するので,それをいつもより高く推測し,ふだんより強い情動認知をする。その結果,不眠はむしろひどくなってしまう。 本人が自覚できず,したがって申し立てることもできないが,行動には反映されているような,無意識的な認知過程。そういうプロセスの存在を示している。 情動二要因論の骨子: 1.生理的興奮そのものは情動の種類に関わらず,案外類似している。 2.感情のように一見生理学的要因に直結しているように見えるものでさえ,案外無意識的な認知過程(たとえばラベルづけ)の結果である一面が大きい。 3.行動に顕れる無自覚の認知過程と,言語報告に現れる無意識的な過程とは別物である可能性がある。人は自分の気持ち・行動のほんとうの理由を案外知らない。そこではたらく過程は非生理的できわめて認知的でありながら,それでいて意識的・自覚的ではない。意識的過程は結局,意識的過程をしか(直接的には)知り得ない。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【序 私の中の見知らぬ私】 人は自分で思っているほど,自分の心の動きをわかってはいない。 自分でも気づかない無意識的な心のはたらきに強く依存している。 「潜在的な認知過程」にもっとも近いのは「暗黙知」という概念。 記憶障害の神経心理学では,本人の自覚を伴う顕在記憶と,自覚のない潜在記憶とをしばしば区別する。 潜在記憶システムと顕在記憶システムとは異なる神経機構を持つ。 本人の自覚がないにもかかわらず,刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている。そうした無自覚的な心のはたらきを「潜在的な認知過程」と名づける。 人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけではなく,潜在的・暗黙的・無意識的な過程にも強く依存している。 暗黙知がつねに先立ち,明証的な知の基礎となっている。 暗黙知と明証的な知は互いに密接に作用しあっていて,それが人間の心のはたらきを人間独自のものにしている。 【第一講 自分はもうひとりの他人である】 そもそも自己知覚には二種類の手がかりがある。ひとつは内的な自分だけの手がかり,もうひとつは外的な公共の手がかり。 認知的不協和理論:個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき,認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。そこで当然,それを解消または提言しようとする動機づけが生じる。しかし多くの場合,外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので,結果として内的な「認知」のほうが変わる。つまり態度の変容が起こる。 認知的不協和の低減というこのような考え方自体,本人のあずかり知らぬ無意識的な理由付け・合理化過程の存在を示している。 自己知覚理論:自分の態度や感情を推測する過程と,他人の態度や感情を推測する過程とは,本質的に同じである。本人にしかわからない私的な刺激に左右されると思われている自己記述も,実は他者が知ることのできる顕在的・公共的な事象に起源を発している。 自分はもうひとりの他人であるかもしれない。 自己知覚と他者知覚との間の,無意識的な推論過程としての類似性。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
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