読書家の新技術 (朝日文庫)』の読書ノート作成者:BafanaBafana さん
『2015/01/20 作成
p.75
ここでも谷沢(引用注:谷沢永一)は、近代合理主義的人間至上主義が合理外のことを忘れて破綻しかかっていることを、卑小な現世哲学に切りつめて乗り切ろうとしている。ここで谷沢が想定しているのは、たとえば、貧富の差、肉体的障害、社会的差別、ということに対して、ほとんどダダをこねているに等しい要求がしばしば左翼陣営から叫ばれていることだろう。こういう要求が異常なものになりがちなのは、近代合理主義的人間至上主義が合理外の「運」というものを視野の外に置いた結果であることは、私も谷沢以上に認める。「以上に」というのは、私は、こういうダダをこねている人に、一方では同じ人間として(これを儒教では「仁」という)かぎりなく共感するからであり、そして、異常な要求をするという袋小路に入るしかない近代合理主義を、それこそ「運」をも取り込んだ理論を創出することによって克服しようとしているからだ、微力ながら。
ここでも谷沢(引用注:谷沢永一)は、近代合理主義的人間至上主義が合理外のことを忘れて破綻しかかっていることを、卑小な現世哲学に切りつめて乗り切ろうとしている。ここで谷沢が想定しているのは、たとえば、貧富の差、肉体的障害、社会的差別、ということに対して、ほとんどダダをこねているに等しい要求がしばしば左翼陣営から叫ばれていることだろう。こういう要求が異常なものになりがちなのは、近代合理主義的人間至上主義が合理外の「運」というものを視野の外に置いた結果であることは、私も谷沢以上に認める。「以上に」というのは、私は、こういうダダをこねている人に、一方では同じ人間として(これを儒教では「仁」という)かぎりなく共感するからであり、そして、異常な要求をするという袋小路に入るしかない近代合理主義を、それこそ「運」をも取り込んだ理論を創出することによって克服しようとしているからだ、微力ながら。
BafanaBafana さん
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