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『下に見る人』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『下に見る人』の読書ノートリスト

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  • 結婚 P120 確かに三十代前半までは、子育て地獄にいる友人達を「よかった、あんな生活じゃなくて」と思って見ていました。しかし、四十代が視界に入った時に結婚すらしていない自分を冷静に見て、「あっ、私は周囲から哀れまれている」ということが、はっきりとわかったのです。それはまさに敗北感以外の何物でもなく、「負けるが勝ち」などという発想は露ほどもありません。  かつて子育てで死にそうな顔をしていた友人達も、子供が小学校に入ると次第に余裕が出てきたらしく、いつのまにか目の下のクマは消えています。仕事を再開して、結婚も子供もキャリアも、とバリバリ頑張っている人も。そんな友達から、 「酒井は結婚しないの?そろそろ子供のこととか、考えた方がいいよ。やっぱり子供って、すっごく可愛いもの」  などと言われると、「数年前は、私が彼女のことを『可哀想』と思っていたが、今や立場は逆に!」と実感。そうか、子育て地獄っていつまでも続くものではなかったのね。  そういえば『徒然草』の中には、子供を持たない人に対して、子煩悩らしき田舎者の武士が、 「ということは、情ってものをご存知ないんだねぇ、薄情なお心かと思うと、恐ろしいようだ。子供がいてこそ、情というのは身に沁みるんだけどねぇ」  と言ったという記述があります。生涯、結婚もせず子も持たなかった吉田兼好は、「関東の田舎者でも、子を持つとちょっとはまともなことを思うんだね」と、この期に及んで上から目線で考えている。 P122  今となってみると、三十代というのは負け犬と勝ち犬の距離が最も離れていた時期であったことがわかるのでした。あの頃は、互いに自己の存在を正当化しようと、必死に突っ張っていたものです。  四十代にもなると、既婚者も子離れが進んだり、また子供が反抗期であったりオタクになったりと、「子供は自分の思い通りにはならないものなのだ」ということを知る時期に。対して独身者は、子育てという苦行を乗り越えてきた既婚者に、素直に尊敬の念を抱くように。……ということで、既婚者と独身者が、「いや本当に、勝ちとか負けとかじゃないわねぇ」と、再び歩み寄ってくるのです。  この先も、互いに「勝ち」とか「負け」といった単語が脳裏をかすめる瞬間は、あることでしょう。  しかしそんな中でも、「とはいえ人間、結局は一人なのだわね」ということを噛み締め合う時は、確実にやってくるのです。 「あの頃は、勝ちとか負けとか言っていたものじゃった……」 「若かったのぅ……」 と、すっかりシワだらけになった友と語り合う日のことが、今から楽しみでなりません。 ……いや本当に、これは負け惜しみじゃなくって。(続きを読む
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sonojituさん
sonojitu さん(2013/02/08 作成)
  • 得意先 P98  大人になった今は、発注側が「上」で受注側が「下」というのは、「そういうことにしておいた方がわかりやすいから、そうしておきましょう」という、一種の取り決めであり、プレイのようなものであることがわかるのです。フラットな状態で何でも民主的に決めるより、上下の落差をつくっておいた方が、こと仕事に関してはスムーズに進むことがあるのですから。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2013/02/08 作成)
  • P65「女子高生」 おニャン子が人気者になった時、既に女子大生になっていた私は、その現象を見て「チッ」と思っていました。「若ければ若いほど偉い」という価値観のもと、大人を見下して女子高生ライフを謳歌した我々でしたが、女子高生という価値ある方書きは三年間の期間限定。高校を卒業してしまえば、かつて馬鹿にしていた女子大生に、自分達がならなくてはいけなかったのです。  「若ければ若いほど偉い」という価値観を自分達で広めておいて、その価値観に自分達の首が絞められた、ということになりましょう。 P67  どうやら私達は女子高生時代、気付かなくていいものに、気付いてしまったようです。若者が常に自分より年上の人に憧れる世の中であれば、年をとることに希望がもてるはず。しかし女子高生の時、「若いということには価値がある。そして自分の価値は、今が最高なのだ」と気付いてしまったら、後は自己評価がどんどん下がるばかりではありませんか。  しかし、それでも人は何とか生きていくことができるのです。四十代になった私は、自分より年上の人を見ては、まだ「あの人よりはマシ」とか「ああはなりたくない」などと思っているのです。これは果たして、不毛と言おうかポジティブシンキングと言おうか。思考の癖というものは、何歳になっても変わらないのでした。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2013/01/29 作成)
  • P13  時代によっていじめの被害者像、加害者像も変化しているわけですが、しかしこれらのいじめ行為に共通して見ることができる心理が、「他人を下に見たい」という欲求なのでしょう。自分がどんな立場にいようと、他人をどうにかして下に見ることによって、自らの精神の安寧を得ようとする人が、我が国にはやたらと多いのではないか。  もちろん私も、その一人であるわけです。幼稚園に入って、集団で行動することが始まった瞬間に、お弁当を食べる速度、お遊戯の上手下手、先生からの寵愛具合……と、様々な点で優劣をつけられるようになった。その時に、「上」でいることの快感と「下」になることへの恐怖は、既に植え付けられていたのです。  小学校、中学校と進むうちに、上と下を分ける物差しは、どんどん増加していきます。勉強やスポーツのみならず、容姿、異性からのモテ具合等、あらゆる場面で、自分は上なのか下なのかを意識せざるを得なくなってくる。  それは大人になってからも同じなのであり、「『下』になりたくない」「『上』でありたい」という欲求によって動くことの、何と多いことか。その欲求を満たすには、努力して上に行くことが一番であるわけですが、努力の苦しさにふとため息をついた時、脇で目につくのは、「他人を下に見る」という、甘い誘惑。その欲求に応じる時の快感はまた、癖になるものであり……。 「下に見たい」という欲求。それは、日本にとっての大きな病巣でありつつ、同時に小国日本をここまでの経済大国にした原動力の一つのような気もするのです。考えてみれば私も、今までの人生の様々な局面において、他者を下に見ることによって、安心したり自信を持ったりしてきました。「下に見る」側は自分の行為をすぐ忘れてしまうけれど、その時の行為と心理をこれから少しずつ思い出しつつ、「なぜ私は、そうしてしまうか」ということを、考えてみたいと思います。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2013/01/29 作成)
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