「想起」を達成するための方法を、彼は哲学的問答法(ディアレクティケー)と呼んだ。ソクラテスの問いと応答による方法に示唆された手続きだったからである。それは特殊な形態の会話であって、議論の「主導者」と答え手の間で遂行される。その目的は、論理的な分析を通じて第一原理へと遡行することにある。その手順は種概念の考察に始まり、類概念の認識認識へと遡っていき、そしてさらに類からより高次の実在へと知性に可能なかぎり進んでいく。その最終局面においては、ついに直知の働きによって、突如として理解のひらめきが生じ、善のイデアそのものが認識される。これこそは、われわれの立てる諸前提(仮説)すべての意味と正当性がそれに依存している当の最終究極の根本前提にほかならないのである。この究極のイデアを認識すれば、逆の肯定すなわち論理的総合が可能になり、いかにして諸帰結が相互に本来的な仕方で出てくるのかが示されることになろう。これら分析と総合の過程は、それぞれ「総合」と「分割」という名で知られている。P.140-141(
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