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tsuzuki670 さんのプロフィール

tsuzuki670 さん
男性  1991年06月07日生  東京都  学生
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  • 入社1年目の教科書

    入社1年目の教科書

    岩瀬 大輔 / ダイヤモンド社 / ビジネス・経済

    全体としては、新たな発見があったというよりは、読んでいる間に「いよいよ僕も社会人になるんだな」という自覚を深める、という点で意義があった。自己啓発本ってそういうものみたいだ。つまり、目新しいことなんて何も書かれていない。どこかで聴いたことのあるような話ばかりである。だから価値の由来は言葉の貴重さにあるのではなく、その言葉がいかに強い調子で語られ、身が引き締まり再確認できるか、っていう点にあるんじゃないかな。その中でも気づきのあった箇所や、特に身の引き締まった箇所等を以下に列挙。 ・装丁がとてもきれい。 ・頼まれたことは、必ずやりきる。リマインドを受け取ったら、すまないことをした、と思うべし。 ・100点の仕事を提出する必要は全くない。50点の仕事をできるだけ早く提出せよ。(LFAのことを踏まえると、自分にとって上記の2つは人生的に重大な課題だと感じる。) ・コピーを頼まれたら、コピーしながらその資料を全部読んでしまえ。 ・1年目は何があっても遅刻はするな。「遅延が起きても必ず間に合う、しっかりした新人」になれ。万が一遅れる時は必ず”電話で”連絡を入れること。 ・上司、社長レベルの人でも、積極的に会合に同行させてもらったり、食事に誘ったりせよ。断られるのが当たり前、断られても失うものは何もない。「上司が部下を誘うのは難しいのだから、部下の方から上司を誘えばいい」というのはなるほど納得である。 ・打ち合わせの後や、用件を伝えたり質問したりする前には、簡単なメモを作るとよい。 ・頼まれなくても議事録を書け。これは大学でやる人がいた。見習わなきゃ!議事録の取り方にも上手下手が相当あるらしい。できるようになりたい。 ・会議では「新人だから聴いている」のではなく、「新人だから新人らしい視点で発言する」こと。 ・掃除のおばちゃんにも、上司に対するのと変わらない気持ち良い挨拶をすること。 ・早く帰りたいときは、その都合をなるべく早く宣言しておくこと。 ・「どういう生き方を子どもに語り継ぎたいか。自分の子どもにどういう人生を生きてほしいのか。それを体現するのが仕事だと思うのです。」(p78) ・等身大の感性がいい。「子どもや孫に『こんな仕事をしたんだよ』と胸を張って言える。もっとあれをやっておけば良かったなどと死ぬ間際に後悔しないように生きたいのです。」(p76) ・先輩とランチに行こう!就活でお世話になった人に進路の報告をしておいてよかった。 ・裁量の大きい仕事 ・経営者 ・能力のある人 (続きを読む
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    2015/03/24 作成
  • リアル公務員

    リアル公務員

    町田智弥 / 英治出版 / 社会・政治

    公務員のあるあるネタをまとめただけの面白本、ではなく、著者の仕事観が表現された良書だった。 【公務観】 「空気」として、生活の基盤を提供する。「風」として、動きを起こして生活に活力をもたらす。 「公務員の仕事は住民の暮らしを便利にも不便にもしうる」 「『社会性のない公務員』なんて何の役にも立たない」 本書の核心は以下。公務員である前に一人の国民であり住民であることを自覚する。社会の一員たること。思考の面でも行動の面でも、行政という組織に閉じこもってしまえば、己が果しうる役割を大きく制限してしまうことになる。そして「社会の一員として」行政組織と住民とを接続するために必要なのが、「わかりやすさ」。 以下引用。「いま必要なのは『公務員としての自分』よりも『社会の一員としての自分』に自覚をもつこと、『公務員』だからではなく、『社会の一員として』公的な仕事を担う誇りと責任をもつこと。そして、みんなと協力し合って『公的な仕事』に取り組むこと。このことに無自覚のままで『公務員という立場』を前提として仕事をしている限り、世間からの公務員への批判はなくならないでしょう。 就職したときから今まで、私は公務員という立場をあまり意識していません。社会に対して私たちは何ができるのか、私の役割は何なのか。一人でも多くの人が心豊かに暮らせるまちをつくりたいという想いが原点であり、いまもそのための方法を模索しています。」(pp.164-165) 【アイデア】 事業者に発注する際、受注者がいい仕事をするようにモチベーションを高める仕組みが必要。金銭的インセンティヴを持たせる契約や、成果物に受注者名を含めて公表する仕組みなど。 窓口業務において問題発生件数を抑えるリスクヘッジは「個人単位」ではなく「窓口単位」で行うべき。 役所には企業のようなお客様センターがない。窓口のワンストップ化が有効。 【豆知識】 国勢調査は2010年から戸別回収に加えて郵送での回答が認められるようになった。 「ゆるキャラ」は自治体的な世界の歪みの表れである。 国がつくる自治体向けのマニュアルは、自治体からすると「使えない」ものである場合が多い。 【感想】 僕はあまりマンガの入った本は買わない。つくりや考えの雑なものが多い気がするからだ。しかしこの本はなぜか興味をひいて、珍しく購入した。勘が働いたのだろう、結果としては僕がいま読んでおくに相応しい内容の本だった。(「手続き論でケンカをするよりは、達成したい目的に労力を集中するべき」という教訓など。) 本文の内容とは離れるが、僕は本音と建前の使い分けというものが余りよくわかっていない。行政は本音と建前を器用に交錯させてできた織物みたいなものなんだと思うんだけど。おそらく僕の場合、他人に対してだけではなく自身に対してさえ使い分けというものが出来ていないようだ。自身の頭の中を見渡せば、そこにあるものはどこまでも本音な気もするし、どこまでも建前な気もする。つまり、劇場の舞台も舞台裏も知ったうえで操作しているという感覚を、他者に対しては無論、自己に対してすらもっていないのだ。 なめらかに語りながら、そこにある態度・意図・流れ・視点・気分・立場を操作して、関わりの終着点を自身の意図するところへと少しでも引き寄せ、近づけること。そしてその意図同士を読みあい、応答すること。理解させぬために語らぬこともあれば、語らぬけれど理解させようとすることもある。言葉を通じて、その一義的な伝達内容をやりとりするだけではなく、その伝達の在りようを通じて二義的な意味をやりとりすること。官庁訪問という場所ではきっとそれが試されるのだろうし、それを理解できぬ僕はそこで面接官と「話し」ながらも「話せていない」、奇妙にふわふわした感覚を味わった。 とはいえ、僕が言葉の裏にある/裏で生成される関係に対してまるで無頓着であるという訳ではないようだ。フィリピンで藤原に「言葉の端々によって上に立とうとする」とか、LFAで大槻には「言葉で殺そうとしてもかわされる、さすが」といわれたことを思い出す。 何の話だかよく分からなくなってしまったが、関わりながらその関わりをメタ認知することが仕事の中で必要になってくるような気がする。その技術によって関わりを豊かなものにするかどうかはその使い方にかかっている。僕はいま「語らぬことによって表明する」へのことにほんのりとした嫌悪を抱いている。(「言いたいことはちゃんと言葉にして責任とれよ」という倫理。)それがこれからどうなるのか、その予期は楽観のみであることはできないが、未来の己を信じたい。 (続きを読む
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    2015/03/03 作成
  • 生きがいについて (神谷美恵子コレクション)
    いまのところ、「死にがい」についての記述がない。すなわち、生を死と連続的なものと捉えたところの「生きがい」の記述がない。(続きを読む
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    2015/03/02 作成
  • 夜と霧 新版

    夜と霧 新版

    ヴィクトール・E・フランクル / みすず書房 / 文学・評論

    強制収容所での経験を心理学的に記述した著作。収容段階、収容所生活、解放段階の3つに分かれている。 理屈で応えたくはない。僕自身の最期をここに感じながら応えたい。大いなる問いに向き合おうとする、この状態から抜けだすことは容易だ。しかし少なくともいまの僕はそれを望んではいない。 この著作の眼目は、第2章の後半、生についてより一般化された事実を論じる箇所だろう。109ページ以降。このような極限状態にあっても、人間は「どのような人間であるか」を決定する内面的自由を保持している。そしてその自由を積極的に行使することこそが人間の価値であり、生きることの意味だと。 未来をもつこと。目的をもつこと。120ページ。「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐えうる」(p128)特定の目的に生を還元することは、平時にも妥当だろうか?「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない」(p134) 「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」(p129)「この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する」という表現をみると、これは岡本太郎的な「生に対する刻一刻の跳躍」を意味するのだろうか。 仏教の八苦の思想に通ずるものがあるだろうか?キリスト教の受苦とは?キリストが引き受けたものであり、一般的な信徒に課されたものではない? 「わたしたちのひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最期の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている、と私は語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいほしいと願っているのだ、と。」(p139)このとき人は「眼差す」側ではなく「眼差される」側として存在するということ。そして「死に目覚める」とは何か。 僕もやがて老いるだろう。そして死に近づくだろう。そこにあるのは必ず、苦しみだ。直接の肉体的な苦痛はなかったとしても、不自由による苦痛、喪失による苦痛からは逃れえない。そのときフランクルの言葉はどのような意味をもつか。 とても厳しい、とてもとてもとてもとても厳しい考えだ。アウシュビッツにおいて、「尊厳を維持せよ」と語ること、それは激励であるよりも叱咤に聴こえる。例えばこのような記述。「現実をまるごと無価値なものに貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえ、ついには節操を失い、堕落することにつながった。なにしろ『目的なんてない』からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受けとめず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。」(p121) 「この世にはふたつの種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともでない人間と」(p144)これも厳しい考え方だ。もちろん、あれだけの環境を生き抜いた人間が厳しい考え方を抱かない方がおかしいのだとも言えようが。 愛の話。61ページ、妻を想い、愛こそが人間の達する最高の境地だということ。そこには相手からの見返りが必要ないどころか、相手の実体的な存在すら不要だということ。 自然、その美の救い。66ページ。「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」 真摯に受け止めたいし、真摯に受け止めたいからこそ、その主張に感じる「理解不能な部分」を審らかにしておきたい。 宗教的な記述が少ないことに驚く。それは彼が科学者としてこの文章をものしたからか。「ユダヤ」という言葉を使わなかった理由と同様、これを特定の民族・宗教的受難者の経験の記述に留めたくなかったからか。 栄養失調者腹部が膨張するのはタンパク質の不足によるもので、この現象は飢餓浮腫と呼ばれる。 フランクルの他の著作にも触れてみるといいかもしれない。 旧訳者と新訳者の両名によるあとがきも、この著作をめぐる物語を感じさせるものだった。 (続きを読む
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    2015/02/26 作成
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