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『カモのきょうだいクリとゴマ』からの引用(抜き書き)読書ノート

引用(抜き書き)カモのきょうだいクリとゴマ』の読書ノート作成者:Tucker さん

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ネタバレ注意!
ふうがわりな育ての親のことなどわすれて、カモの社会になじんでくれればよいのです。
だけどね。
たまには、おもいだしてくれているかもしれない。
たとえば、冷たい水の池にうかんでひるねをしていて、目がさめたときなどに、ねぼけ頭で、ぼんやり考えているのではないかしら。
人間の家の洗面ボウルで泳ぎ、かがみの前でティッシュをひっぱっていたときのことは、おふろの湯ぶねにもぐって、栓についた銀色の玉のくさりをつついていたことなどを。
あれは夢だったのかな、と。
MEMO:
真っ先に思い出したのはコンラート・ローレンツ「ソロモンの指環」(早川書房)の”ガンの子 マルティナ”のエピソード。
図らずもハイイロガンの育ての親になってしまったローレンツ博士の奮闘記だ。

マルティナは昼は2分おき、夜は1時間おきに親の「存在確認」をする。
ここでうっかり応答を忘れようものなら、マルティナは必死の形相で騒ぎ出す。
そのため、ローレンツ博士は、やがて寝言で応答できるようになった、と書いている。

2羽の成長の様子は、読んでいて、思わずにやけてしまう。
黙っていてもカルガモが後をついてくる、というのは、カルガモ好きとしてはうらやましい以外のなにものでもない。

ただ、いくら写真を見て、説明されてもクリとゴマの区別はつけられなかった。

やがて、この2羽の「個性」の違いに気がつく。
クリは好奇心旺盛だが几帳面で臆病、ゴマは少々のことでは騒がない、のんびり屋でくいしんぼう。

面白いのは、人間の子供の「反抗期」に相当する時期があったということ。
成長して、だんだん力がついてくるので、一人(一羽)でいろいろやりたいが、経験がないので、なにかと不安、という時期があるのは人も鳥も同じなのだろか。

世話が大変でも、楽しい日々はあっという間に過ぎ去り、やがて、野生に返す日がやってくる。
この類の話では「お約束」かもしれないが、別れのシーンは、やはり悲しい。

が、クリとゴマは、その後、(別々に)一度だけ「里帰り」をする。

クリとゴマを離した遊水地から著者の家までの道程は知らないはずなのに、なぜか家の場所を正確に知っていた2羽。
まるで飛べるようになったから、挨拶に来たかのように。

その後、著者は、遊水地で口笛と鳴き声で「挨拶」をかわすようになる。

最初のうちこそ、姿も見せたが、そのうち声だけに。
次第に疎遠になっていくが、それはクリとゴマがカルガモ社会に溶け込んでいった証。

望んだとおりの結果になったのだが、寂しさは隠せない。

著者は、世話になった獣医に
「今度から野鳥が保護されたら里親になって欲しい」
と冗談交じりに言われたとき、
「とんでもない」
と、すぐに断る。
それは「世話の大変さ」と同時に「別れのつらさ」があったからかもしれない。
さん
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