西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)』の読書ノート作成者:akinomiya さん
『2013/05/25 作成
無限な神の観念は、有限な〈私〉を超えている デカルト
存在するすべてのものは、神のうちに存在する スピノザ
経験にこそ、いっさいの知の基礎がある ロック
すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている ライプニッツ
存在するとは知覚されていることである バークリー
人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない ヒューム
原初、ことばは詩であり音楽であった これはルソーか、ヘルダーか?
ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない カント
私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する これはフィヒテか、シェリングか?
生命とは結合と非結合との結合である ヘーゲル
かれらは、それを知らないが、それをおこなっている マルクス
事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する ・・・誰だっけ?
生は夢と行動のあいだにある ベルクソン
世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である フッサール
その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう ウィトゲンシュタイン
存在するすべてのものは、神のうちに存在する スピノザ
経験にこそ、いっさいの知の基礎がある ロック
すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている ライプニッツ
存在するとは知覚されていることである バークリー
人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない ヒューム
原初、ことばは詩であり音楽であった これはルソーか、ヘルダーか?
ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない カント
私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する これはフィヒテか、シェリングか?
生命とは結合と非結合との結合である ヘーゲル
かれらは、それを知らないが、それをおこなっている マルクス
事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する ・・・誰だっけ?
生は夢と行動のあいだにある ベルクソン
世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である フッサール
その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう ウィトゲンシュタイン
MEMO:
「我思う、ゆえに我有り cogito, ergo sum」
これを初めて知ったのは、寺沢武一さんの『コブラ』。
「シドの女神」という話で、何十体もの同じ女神像が、支配者に「我に従え」というキーワードを打ち込まれる前に、このキーワードを打ち込まれたため、相手を破壊したり、自爆したりした場面があった。
そういや、大学の講義に『方法序説』を読む講義があったなあ。
しかし20年も生きてるか生きていないかの大学生に、こんなもんが理解できるとは到底思えんが。
「cogito, ergo sum」が『方法序説』のラテン語訳であることを、今回初めて知った。
スピノザは、気になっていたりする。
『エチカ』を買おうかどうかも、悩んでいる最中。
それに、この歌が頭から離れないんだよね。
♪雪の降る夜は 楽しいエチカ♪
それはペチカじゃ! ・・・おそまつ。
各哲学者の内容を理解してるのかって? してるわけなかろう。
だが、読んでいるだけでいいの。
誰かさんの説はひっかからなくても、別の誰かさんの説が、ひっかかるかもしれないからね。
カントやヘーゲルといえど、これは何を言ってるのかは分かる。
ただし彼らが何を言いたいのかと、私が理解しているかどうかは別ものだ。
「いっさい」という単語が、2冊を通してしょっちゅう出てきたなあ。
やけに目について、逆にうっとうしかった。
「はじめに」「あとがき」の内容は読みやすかったのに、これはどうしたことか。
これを初めて知ったのは、寺沢武一さんの『コブラ』。
「シドの女神」という話で、何十体もの同じ女神像が、支配者に「我に従え」というキーワードを打ち込まれる前に、このキーワードを打ち込まれたため、相手を破壊したり、自爆したりした場面があった。
そういや、大学の講義に『方法序説』を読む講義があったなあ。
しかし20年も生きてるか生きていないかの大学生に、こんなもんが理解できるとは到底思えんが。
「cogito, ergo sum」が『方法序説』のラテン語訳であることを、今回初めて知った。
スピノザは、気になっていたりする。
『エチカ』を買おうかどうかも、悩んでいる最中。
それに、この歌が頭から離れないんだよね。
♪雪の降る夜は 楽しいエチカ♪
それはペチカじゃ! ・・・おそまつ。
各哲学者の内容を理解してるのかって? してるわけなかろう。
だが、読んでいるだけでいいの。
誰かさんの説はひっかからなくても、別の誰かさんの説が、ひっかかるかもしれないからね。
カントやヘーゲルといえど、これは何を言ってるのかは分かる。
ただし彼らが何を言いたいのかと、私が理解しているかどうかは別ものだ。
「いっさい」という単語が、2冊を通してしょっちゅう出てきたなあ。
やけに目について、逆にうっとうしかった。
「はじめに」「あとがき」の内容は読みやすかったのに、これはどうしたことか。
akinomiya さん
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