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『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』の読書ノートリスト

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  • こんなことが起こったのはたった一度だけ。でもヴェネチアには他にもこういうところが山ほどあるらしい。しかし、一度で十分だ、特に冬、この地方特有の霧、あの有名なネッビアが、水に映る影はもちろん、建物、人、列柱、橋、彫像など、およそ形を持つものすべてを突然消し去ることによって、この場所を、どんな宮殿の奥深くにある聖域よりもはるかにはかないものにしてしまう時だ。船のサービスはすべてキャンセルされるし、飛行機は何週間も飛ばす、店は閉まり、郵便物は戸口に散乱しなくなる。その効果は、まるで誰かの不器用な手が、あの続き部屋(エンフィラード)を裏返しにして、町全体を裏地でくるんだみたいな感じだった。~略~こんな日こそ、日ごろ出来ない読書をしたり、一日中電気をつけっぱなしにしたり、自分の欠点を大目に見たり、コーヒー制限をゆるめたり、BBCのワールド・サービスを聴いたり、いつもより早く床に入ったりするのがいい。要するにそれは、急に姿を消し、見られることを止めてしまった町が引き起こした自己忘却の時間だ。知らないうちに、きみはそれからサインを受け取る。ヴェネチアのように、連れがいなくて、一人だと特にそうだ。ヴェネチアに生まれるという幸運を逸してしまった以上、せめてなにもかも見えなくなってしまうという特権を共有することに、誇りを見つけることができるのだ。 P62-63(続きを読む
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haruga6さん
haruga6 さん(2012/12/28 作成)
  • まるでぼくはあの巨大な水彩画の中の、小さな動く点みたいだった。そしてジョヴァンニ・エ・パーオロ病院のところへ出ると、そこで右に曲がった。その日は暖かくて天気も良く、空は青くてすべてが素晴らしかった。フォンダメンテとサン・ミケーレ島に背を向けて、病院の壁をまるで抱きかかえるように、左肩をほとんど壁にこすりつけながら、太陽に向かって目を細めた。その時だ。突然ぼくは思った。ぼくは猫なんだ。今、魚を食ったばかりの猫。その時誰かがぼくに呼びかけたら、きっとぼくはニャーと返事したことだろう。ぼくは絶対的に、動物的な幸せを満喫していた。それから十二時間後、もちろんニューヨークに着いた後のことだが、ぼくは自分の人生でおそらく最悪の状況に対面した――少なくともその時はそう思えた。でもぼくの中には、猫がまだ居残っていた。その時その猫がいなかったら、ぼくは今、どこかべらぼうに金のかかる精神病院の壁を、よじ登っていたにちがいない。 p106(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/28 作成)
  • 「さあ、描いてみて!」冬の光が囁く、病院のレンガ塀にせきとめられ、あるいは宇宙の長旅をすませて、やっとのことで聖ザッカリーア教会の切妻壁前(フロントーネ)のパラダイスという故郷に辿りついた時に。地球がその光を運ぶ天体にもう一方の頬っぺたを差し出している間に、聖ザッカリーアの大理石の貝模様の中で、あともう小一時間ほど憩う光の表情には、疲労がただよってくるのが分かる。これが冬の光の一番純粋な時なのだ。その時それは、温度、あるいはエネルギーを持ってはいない。そんなものは、どこか宇宙のかなたに、あるいは近くの積雲の中にでも、捨て去ったのか、それとも置いてきたのだろう。光の粒子の、ただ一つの野望は、物体に届いて――大きかろうが小さろうが――とにかく目に見える画像にすることなのだ。それは親密な光、ジョルジョやベッリーニの光だ。ティエポーロやティントレットの光では決してない。町はその肌ざわり、無限の彼方からやってきた光の愛撫をゆっくり味わいながら、暮れなずんでゆく。形ある物というのは、結局、無限をも親密なものにしてしまうのだ。 P84(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/28 作成)
  • それ(運河、水)は本当に楽譜のようにも見える。よく演奏されるので、隅は折れ曲がってしまってはいるけれど――譜は潮のように満ちてはひいてゆき、運河は小節記号、そして、もちろんヴァイオリンのネックにも似たゴンドラは言うに及ばない。実際この町全体が、特に夜になると、巨大なオーケストラのようにも見える。ぼんやりと明かりの灯ったパラッツォの楽譜立て、絶えまない波のコーラス、冬の夜空の星のファルセット。その音楽は、言うまでもなくその楽隊よりも素晴らしく、しかも、誰の手も、楽譜の頁をめくることはできないのだ。 P100(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/28 作成)
  • 波が砂のうえに残す模様と、ジュラ期の海獣魚竜を祖先に持つ人間という名の怪物(モンスター)が、その模様をじっと見詰めるということとの間には、たしかに何か進化論的な、自伝的なかかわりがあるように思われる。ヴィネチアのファザードの垂直方向にのびるレース模様は「時」、その別名は「水」が、堅い地表(テッラ・フエルマ)に刻み付けた最高に美しい線である。それに直截的な依存関係ではないとしても、そのレースを陳列するものが方形になる性質があること、つまりこの町の建物の形と、形という概念を軽蔑している水の無秩序性(アナキー)との間には、明らかに何か対応があるように思える。それはまた空間が、他のどこよりも、ここではそれが時間にかなわないことをよく承知していて、時間が持っていない唯一のもので、精一杯対抗しようとしているみたいでもあるのだ――すなわち美によって。だから水はこの答を受け取るかのように、それをねじ曲げ、それを叩き付け、それをずたずたにする。だが結局は何も傷つけることなく、その大半をアドリア海に流しこむのだ。 p48(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/28 作成)
  • 時こそが神なのではないかという考えに、ぼくは常に執着していた。少なくとも神の霊とは、そのようなものではないだろうか。もしかしたらこの考えは、ぼく自身が考え出したものだったかもしれないのだ。しかし今はよく覚えていない。それはともかく、もしも神の霊が水面を動いたとしたら、水はそれを映し出したはず、とぼくはいつも思っていた。~略~ぼくはただ、水は時のイメージだと思っている。だからぼくは、少しばかり異教徒風に、水辺で、それもできれば海のそばで、大みそかを迎えるようにしている。 P47(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/27 作成)
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