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『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公…』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)』の読書ノートリスト

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  •  無自覚的故意性が何らかのかたちで立証された場合にはどうだろうか。自覚的な場合と同じ罪にすべきか,あるいは無自覚的にも故意性が存在しない場合と,同じ処理をするべきか。  責任の概念 1. 自由意思論に基づく古典主義:自由意思はすべての人間が持っている。そう考えて古典主義は行為者を捨象し,行為を前面に押し出す。自由主義に基づく罪刑法定主義であり,犯罪と刑罰との均衡を求める考え方。 2. 機械的決定論に基づく近代主義:罰せられるべきは行為ではなく,社会的危険性を持つ犯人自身であるとして,個々の犯罪人を対象にする。犯罪を個人の資質と社会環境との交互作用の必然的結果と見るため,行為者の自由意思を否定するか,あるいは自由意思の問題は刑法上直接の意味はないとする決定論の立場をとる。  行為能力の前提には,意思能力(=自分の行為の結果を判断する能力)が必要とされる。  自覚能力の欠如,すなわち自己の行為を客観的に記述し,規範に照らして評価する能力(=自覚的過程)の有無が問題とされる。  人を普通に拳銃で殺せば間違いなく重い罪に問われるが,十人以上連続的に殺して,その死体とセックスするか,食べるか,それとも皮を剥いで飾るか,とにかくできるだけ残虐で常軌を逸した行動をとればとるほど,無罪を勝ち取るチャンスも広がる。  「本人に選択の余地がなかったのなら,本人の責任ではない」「環境と本人の持って生まれた資質が問題を起こした」という論理。 (続きを読む
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masudakotaroさん
masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 閾下知覚あるいは潜在知覚の証拠には三通りぐらいある。これらはいずれもまずプライム刺激にマスクをかけて見えにくくしている。そして閾下の「見えていない」条件のもとで,それでも後の知覚や行動に効果があることを,何らかの間接的な方法で示している。 1.間接プライミング効果によるもの。 2.プライミング-ストループ法によるもの。 3.選好,つまり好き嫌いの判断。見覚えはなくても,実際に見た経験のあるものは好きになるという効果。 クラツキーは意識を「オンラインのアウェアネス(気づき)」と定義。この意味の意識は「注意」とほぼ対応し,したがって「前注意過程」のほうは無意識的・無自覚的な情報処理過程ということになる。 クラツキーはまた,自動的な処理と注意による処理とを区別した。 1.自動的処理=無意識的処理:目的や課題,本人の意図や構えにかかわらず,刺激によって駆動され自動的に立ち上がってしまう処理過程。 2.注意による処理=意識的処理:本人の意図や構え,努力によって制御の効く処理過程。 注意には刺激依存性のものと自覚的で意図的なものと少なくとも二種類ある。意図的な注意は遅くてより持続的だが,なにか新しい刺激があると刺激依存性のすばやい機構が一瞬の間だけ打ち勝って,注意の焦点が一瞬の間だけそちらに移ってしまう。 「ポップアウト効果」:課題や努力に関係のない自動的な注意。 より重要そうな情報だけをさらなる処理のために残し,残りを捨てるフィルターの役割をするのが人間の注意。 より重要な情報だけをどうやってすばやく選択するのか,選択に必要な「前処理」の実態は何か。 私たちはとかく見えたか見えなかったか,知覚できたかできなかったかというふうに,オール・オア・ナッシングに捉えがちだが,実際にはそうではない。知覚とは,複数のレベルから成り立っている現象だと考えるべき。「見えた」あるいは「あった」という反応は,知覚の測定可能な出力が複数あるうちの,特別なひとつであるにすぎない。 外の現実世界についてのアウェアネスを伴う知覚は,何段階もある前意識的処理の,最終的な産物であるにすぎない。 「初期視知覚過程」=「前注意過程」の存在の証拠(特徴)。 1.刺激依存的。つまり刺激によって駆動される。 2.自動的・盲目的。この刺激による駆動は有無をいわせないもので,それが課題と関係がなくても,また本人の意図でなくても,さらに知識や予見にかかわらず,起こってしまう。 3.局所的で並列的。視野内のあらゆる狭い場所で,処理は同時並行的に進行する。 4.無意識的。その過程の結果は意識的に体験できても,そこに至るプロセスは自覚できない。 視知覚情報処理の大部分は,われわれの意識にとってアクセス不能であり,われわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 【序 私の中の見知らぬ私】 人は自分で思っているほど,自分の心の動きをわかってはいない。 自分でも気づかない無意識的な心のはたらきに強く依存している。 「潜在的な認知過程」にもっとも近いのは「暗黙知」という概念。 記憶障害の神経心理学では,本人の自覚を伴う顕在記憶と,自覚のない潜在記憶とをしばしば区別する。 潜在記憶システムと顕在記憶システムとは異なる神経機構を持つ。 本人の自覚がないにもかかわらず,刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている。そうした無自覚的な心のはたらきを「潜在的な認知過程」と名づける。 人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけではなく,潜在的・暗黙的・無意識的な過程にも強く依存している。 暗黙知がつねに先立ち,明証的な知の基礎となっている。 暗黙知と明証的な知は互いに密接に作用しあっていて,それが人間の心のはたらきを人間独自のものにしている。 【第一講 自分はもうひとりの他人である】 そもそも自己知覚には二種類の手がかりがある。ひとつは内的な自分だけの手がかり,もうひとつは外的な公共の手がかり。 認知的不協和理論:個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき,認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。そこで当然,それを解消または提言しようとする動機づけが生じる。しかし多くの場合,外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので,結果として内的な「認知」のほうが変わる。つまり態度の変容が起こる。 認知的不協和の低減というこのような考え方自体,本人のあずかり知らぬ無意識的な理由付け・合理化過程の存在を示している。 自己知覚理論:自分の態度や感情を推測する過程と,他人の態度や感情を推測する過程とは,本質的に同じである。本人にしかわからない私的な刺激に左右されると思われている自己記述も,実は他者が知ることのできる顕在的・公共的な事象に起源を発している。 自分はもうひとりの他人であるかもしれない。 自己知覚と他者知覚との間の,無意識的な推論過程としての類似性。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
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