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『歴史・地理』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『歴史・地理』関連の読書ノートリスト

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  • オンドル夜話―現代両班考 (中公新書 682)
    (P110)七年間にわたる日本とのたたかいで、朝鮮は疲弊の極に達した。朝野は麻のごとく乱れた。ヤンバン支配階級は懲りもせず闘争に明け暮れた。(続きを読む
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    midnightwakeuperさん
    midnightwakeuper さん(2013/09/10 作成)
  • 王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)
    p.195 首長制社会と国家の一般的指標(表)(続きを読む
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    suilijingjiaさん
    suilijingjia さん(2013/10/24 作成)
  • 新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)
    四世紀の後半、諸部族の移動や攻勢の前に「ローマ人」のアイデンティティは危機に瀕し、ついに変質した。 そして、新たに登場した「ローマ」を高くかかげる思潮は、外国人嫌いを伴う、排斥の思想だった。 つまり、国家の「統合」ではなく「差別」と「排除」のイデオロギーである。 これを私は「排他的ローマ主義」と呼んだが、この思想は、軍事力で実質的に国家を支えている人々を「野蛮」と軽蔑し、「他者」として排除する偏狭な性格のものであった。 この「排他的ローマ主義」に帝国政治の担い手が乗っかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。 国家は魅力と威信を失い、「尊敬されない国」へと転落していく。  (p203) *** 最盛期のローマ帝国は、担い手も領域も曖昧な存在であったにもかかわらず、一つの国家として統合され、維持されていた。 そして、その曖昧さこそが、帝国を支える要件であったのは、本書で見てきたとおりである。 そうした曖昧さを持つローマ帝国を実体あるものとしたのは「ローマ人である」という故地に由来するアイデンティティであった。 アイデンティティなるものは本来、他と区別して成立する独自性を核としている。 にもかかわらず、最盛期のローマ帝国がこのアイデンティティの下で他者を排除するような偏狭な性格の国家とならなかったのは、それが持つ歴史とその記憶ゆえであった。 ローマ帝国には、あのリヨンのクラウディウス帝演説の銅板に刻まれているように、外部から人材を得てきた歴史があり、その記憶があった。 そうした王政・共和政時代以来の国家発展の歴史を認識し記憶することにより、人々は偏狭な自己認識に陥らなかったのである。  (p205~206) (続きを読む
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    akinomiya さん(2013/06/11 作成)
  • お世継ぎのつくりかた 大奥から長屋まで 江戸の性と統治システム (ちくま学芸文庫)
    p24  より具体的にいうと、この日本ではつい最近まで「お世継ぎ」が女性に限られた構造の社会と、男性に限られた社会とが平和共存的に並立していたのである。  なお付け加えれば、それを社会の構造と表現したが、むしろ性の違いを反映した二つの民俗をもつ世間が実在したと、いいなおしたほうがより性格であるかもしれない。 (続きを読む
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    yanyakassaino9 さん(2013/09/28 作成)
  • 王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)
    p.147 ところで私は、ここで言う大地域(大共同体)を、『隋書』倭国伝に「軍尼」とあるのを参考にして「クニ」と呼ぶ。その階級的首長を「大首長」あるいは「オウ」と呼んで、小共同体の首長とは区別している。さらに、大共同体(クニ)がいくつか集まった小さな平野や盆地規模の大共同体群を「国」と呼び、その階級的首長を「王」と呼ぶことを提案している。(続きを読む
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    suilijingjiaさん
    suilijingjia さん(2013/10/24 作成)
  • 歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代
    p251対日平和条約で、日本政府は戦争裁判の判決を受諾し「日本国民」への刑の執行を引き受けている。巣鴨プリズンには、シンガポールやジャカルタから送還されてきた朝鮮人戦犯が収容されていた。…「日本国民」でなくなった朝鮮人(曖昧な言い方で南北分裂を無視している)を拘留し続けるか裁判国に問い合わせし… 朝鮮人戦犯は釈放を求めて提訴しているが「国籍変更は刑の執行に関係ない」との判決だった。 p252 韓国の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」2006年、戦犯もまた強制動員の犠牲者であると認定した。 2007年ソウルで韓国在住の戦犯者の遺族会が発足し…(日本在住と)二つの遺族会は、日本に謝罪と補償を求め、靖国神社に合祀されている朝鮮人戦犯の合祀取り下げを求めている。 (続きを読む
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    midnightwakeuperさん
    midnightwakeuper さん(2013/11/23 作成)
  • ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書)
    物語には「始まり」がある。 (続きを読む
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    hellohello2さん
    hellohello2 さん(2012/11/30 作成)
  • コバウおじさんを知っていますか―新聞マンガにみる韓国現代史 (草の根ビジュアル)
    p81最近の日本で記憶に残るのは、イラクへの自衛隊派遣に関する法案が、それに賛成する自民党議員と反対する野党議員たちとの体による格闘の末、プロレスラー出身の議員が自民党にいたためか採決されてしまったことである*(実際は「中道」で平和主義を標榜する公明党の賛成のため。太田明宏委員長はプロレスラーではなく相撲部出身です) p84日本とアジアの人が、これからの日本について議論する番組で、元文部科学大臣だった外相が、教科書選定委員が教育現場の教員たちから自治団体の役員に変わったことについて『現場の教員にマルクス主義者が多いので偏りかねない』と言ったことに注目したい。…(共産主義を秘密警察・密告制度までして弾圧しつづける)韓国とは違って思想的に自由だという印象を持っていた日本の政治家の言葉に、一瞬耳を疑った。*(「耳を疑う」という表現にホントに日本語わかっているのかと目を疑う) (続きを読む
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    midnightwakeuperさん
    midnightwakeuper さん(2013/11/22 作成)
  • 朝鮮近代史 (平凡社ライブラリー (267))
    1863年、哲宗が死…当時、純祖の世子にして王位につかず卒した翼宗(この称号は死後追贈)の王妃趙氏は、大王妃として王宮内の最長老の地位…(彼女は)安東金氏(←前章で政治について無能であり人民収奪に過酷で、各地に頻繁に農民反乱を招いたとされる)の反対をおしのけ、(それまで)市井の無頼の徒(であった)興宣君李是応の第二子命福を新王につかせた。これが高宗(1863〜1907)で当時12歳、 直系でなく擁立された国王の実父を大院君と呼び、国家の実権を握った。(続きを読む
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    midnightwakeuperさん
    midnightwakeuper さん(2013/09/15 作成)
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