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sonojitu さんのプロフィール

sonojitu さん
東京都 
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  • 説経節―山椒太夫・小栗判官他 (東洋文庫 (243))
    古典というものが、後人のもって模範典型とすべき完成された作品であるとする概念からみれば、説教節のような粗野で卑俗な文体のさくひんは、その序列からはみ出すものであるかもしれない。しかし、民族の文学遺産という観点に立てば、説教節の語り物はもっともっと重視されなければならないはずのものであった。さらに言うならば、文学の営為をあまりにも個人に属するものとして受けとめがちな現代の私たちにとって、説教節においては、伝統と創造が互いに排斥し合うのではなく、それぞれを必要なものとして緊密に結びつけつつ、その語り物が民衆の共有財産として育まれ、すぐれた創造として達成されたということは、一つの衝撃ともなり、反省の手がかりにもなるであろうと考える。(続きを読む
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    2013/02/06 作成
  • 琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)
    (続き) P16 昔の修業時代や、その後の琵琶弾き稼業に関する話をいてもらっても、どの思い出話も物語化されて語られた。物語中の人物に容易に転移してしまう山鹿は、その人物の声を一人称で語り、それと対話した昔の山鹿じしんも一人称の声で登場する。そんな語りの現場では、個々のペルソナを統括するはずの語り手の「我」という主語が不在であるとしかおもえなかった。 自己同一的な発話主体をもたないモノ語りというのは、山鹿とのかぞえきれないディスコミユニケーションの経験からみちびかれた私の実感である。 P17 山鹿良之については、晩年の日常生活を記録した青池憲司監督の映画『琵琶法師、山鹿良之』がある(毎日映画賞受賞、1992年)。えりすぐりの演奏録音をあつめた日本伝統文化振興財団制作のCD、『肥後の琵琶弾き・山鹿良之の世界』がある。 聞こえてくるのは、日常の言語活動にとってはノイズとしか思えないような声と四弦のざわめきである(ちなみに、琵琶法師の琵琶には、意図的にノイズをひびかせるためのサワリとよばれる独特の仕掛けがある)。 P22 西アジアのペルシャ周辺を発祥の地とした琵琶は、中国で改良されて、奈良・平安時代の日本に渡来した。琵琶が渡来楽器であるように、盲人が琵琶を弾いて芸能や宗教祭祀にたずさわる習俗も、大陸から渡来したものだろう。 P30 薩摩琵琶をもちいた『ノヴェンバー・ステップス』『エクリプス』」などの作曲者である武満徹(1930〜96) は、…(続きを読む
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    2012/10/31 作成
  • 下に見る人

    下に見る人

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 文学・評論

    得意先 P98  大人になった今は、発注側が「上」で受注側が「下」というのは、「そういうことにしておいた方がわかりやすいから、そうしておきましょう」という、一種の取り決めであり、プレイのようなものであることがわかるのです。フラットな状態で何でも民主的に決めるより、上下の落差をつくっておいた方が、こと仕事に関してはスムーズに進むことがあるのですから。(続きを読む
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    2013/02/08 作成
  • 「もの忘れ外来」のボケない技術(テク) (PHP文庫)
    「もの忘れ外来」受診者の臨床診断の内訳(2004〜2006年/総数724人) アルツハイマー型 35% うつ病 21% MCI(軽度認知障害) 13% Treatable dementia(特発性正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫、髄膜腫、甲状腺機能低下症、ビタミンB欠乏症など) 12% レビー小体型 8% 脳血管障害性 5% 前頭側頭型 1% その他 5% P85 私たちの個人の脳の仕組み自体が、社会との関わりにおいて最も充実するようにできているため、私たちが最も生きがいを感じたり、幸福感を持つのは、社会との関わりである人間関係においてですが… P86 自分が考えていることや思考パターンをもう一人の自分が認識することを「メタ認知」(認知心理学用語の「metacognition」の日本語訳)といいますが、人と関わることは「メタ認知」を冷静に行うことにつながり、「メタ認知」を意識することで、結晶性知能を伸ばすことができるのです。 認知症の症状というと「もの忘れ」等の記憶障害が中心だと思うかもしれませんが、実は認知症で最も深刻な症状は「もの忘れ」ではなくて、この「メタ認知」の崩壊なのです。認知症になると、「自分が、何が分かっていて、何が分かっていないか」が分からなくなってしまうのです。(中略)「メタ認知」の崩壊が起こってしまうと、「覚えていた何かを忘れてしまった」ということ自体を認知できなくなるので、その人らしく生きていくことは困難になります。 P87 現在、アルツハイマー病の発症の危険性を増すといわれている生活習慣病には、高血圧、高コレステロール血症、糖尿病などがあります。アルツハイマー病の発症の危険が高まる病気や怪我としては、うつ病、脳梗塞、頭部打撲等がありますが、心臓、肺、肝臓など、すべての臓器の病気が間接的にボケにつながってくるので、医者嫌いの人もそういわずに医者を上手に利用してください。 P97 規則正しい呼吸や修錬は、脳の状態を整えている神経伝達物質のセロトニンの分泌に良好の作用を及ぼすともいわれています。座禅がうつ状態からの脱却にも効果があるのはそのためなのです。(続きを読む
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    2012/10/27 作成
  • 下に見る人

    下に見る人

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 文学・評論

    P13  時代によっていじめの被害者像、加害者像も変化しているわけですが、しかしこれらのいじめ行為に共通して見ることができる心理が、「他人を下に見たい」という欲求なのでしょう。自分がどんな立場にいようと、他人をどうにかして下に見ることによって、自らの精神の安寧を得ようとする人が、我が国にはやたらと多いのではないか。  もちろん私も、その一人であるわけです。幼稚園に入って、集団で行動することが始まった瞬間に、お弁当を食べる速度、お遊戯の上手下手、先生からの寵愛具合……と、様々な点で優劣をつけられるようになった。その時に、「上」でいることの快感と「下」になることへの恐怖は、既に植え付けられていたのです。  小学校、中学校と進むうちに、上と下を分ける物差しは、どんどん増加していきます。勉強やスポーツのみならず、容姿、異性からのモテ具合等、あらゆる場面で、自分は上なのか下なのかを意識せざるを得なくなってくる。  それは大人になってからも同じなのであり、「『下』になりたくない」「『上』でありたい」という欲求によって動くことの、何と多いことか。その欲求を満たすには、努力して上に行くことが一番であるわけですが、努力の苦しさにふとため息をついた時、脇で目につくのは、「他人を下に見る」という、甘い誘惑。その欲求に応じる時の快感はまた、癖になるものであり……。 「下に見たい」という欲求。それは、日本にとっての大きな病巣でありつつ、同時に小国日本をここまでの経済大国にした原動力の一つのような気もするのです。考えてみれば私も、今までの人生の様々な局面において、他者を下に見ることによって、安心したり自信を持ったりしてきました。「下に見る」側は自分の行為をすぐ忘れてしまうけれど、その時の行為と心理をこれから少しずつ思い出しつつ、「なぜ私は、そうしてしまうか」ということを、考えてみたいと思います。(続きを読む
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    2013/01/29 作成
  • 下に見る人

    下に見る人

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 文学・評論

    結婚 P120 確かに三十代前半までは、子育て地獄にいる友人達を「よかった、あんな生活じゃなくて」と思って見ていました。しかし、四十代が視界に入った時に結婚すらしていない自分を冷静に見て、「あっ、私は周囲から哀れまれている」ということが、はっきりとわかったのです。それはまさに敗北感以外の何物でもなく、「負けるが勝ち」などという発想は露ほどもありません。  かつて子育てで死にそうな顔をしていた友人達も、子供が小学校に入ると次第に余裕が出てきたらしく、いつのまにか目の下のクマは消えています。仕事を再開して、結婚も子供もキャリアも、とバリバリ頑張っている人も。そんな友達から、 「酒井は結婚しないの?そろそろ子供のこととか、考えた方がいいよ。やっぱり子供って、すっごく可愛いもの」  などと言われると、「数年前は、私が彼女のことを『可哀想』と思っていたが、今や立場は逆に!」と実感。そうか、子育て地獄っていつまでも続くものではなかったのね。  そういえば『徒然草』の中には、子供を持たない人に対して、子煩悩らしき田舎者の武士が、 「ということは、情ってものをご存知ないんだねぇ、薄情なお心かと思うと、恐ろしいようだ。子供がいてこそ、情というのは身に沁みるんだけどねぇ」  と言ったという記述があります。生涯、結婚もせず子も持たなかった吉田兼好は、「関東の田舎者でも、子を持つとちょっとはまともなことを思うんだね」と、この期に及んで上から目線で考えている。 P122  今となってみると、三十代というのは負け犬と勝ち犬の距離が最も離れていた時期であったことがわかるのでした。あの頃は、互いに自己の存在を正当化しようと、必死に突っ張っていたものです。  四十代にもなると、既婚者も子離れが進んだり、また子供が反抗期であったりオタクになったりと、「子供は自分の思い通りにはならないものなのだ」ということを知る時期に。対して独身者は、子育てという苦行を乗り越えてきた既婚者に、素直に尊敬の念を抱くように。……ということで、既婚者と独身者が、「いや本当に、勝ちとか負けとかじゃないわねぇ」と、再び歩み寄ってくるのです。  この先も、互いに「勝ち」とか「負け」といった単語が脳裏をかすめる瞬間は、あることでしょう。  しかしそんな中でも、「とはいえ人間、結局は一人なのだわね」ということを噛み締め合う時は、確実にやってくるのです。 「あの頃は、勝ちとか負けとか言っていたものじゃった……」 「若かったのぅ……」 と、すっかりシワだらけになった友と語り合う日のことが、今から楽しみでなりません。 ……いや本当に、これは負け惜しみじゃなくって。(続きを読む
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    2013/02/08 作成
  • 下に見る人

    下に見る人

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 文学・評論

    P65「女子高生」 おニャン子が人気者になった時、既に女子大生になっていた私は、その現象を見て「チッ」と思っていました。「若ければ若いほど偉い」という価値観のもと、大人を見下して女子高生ライフを謳歌した我々でしたが、女子高生という価値ある方書きは三年間の期間限定。高校を卒業してしまえば、かつて馬鹿にしていた女子大生に、自分達がならなくてはいけなかったのです。  「若ければ若いほど偉い」という価値観を自分達で広めておいて、その価値観に自分達の首が絞められた、ということになりましょう。 P67  どうやら私達は女子高生時代、気付かなくていいものに、気付いてしまったようです。若者が常に自分より年上の人に憧れる世の中であれば、年をとることに希望がもてるはず。しかし女子高生の時、「若いということには価値がある。そして自分の価値は、今が最高なのだ」と気付いてしまったら、後は自己評価がどんどん下がるばかりではありませんか。  しかし、それでも人は何とか生きていくことができるのです。四十代になった私は、自分より年上の人を見ては、まだ「あの人よりはマシ」とか「ああはなりたくない」などと思っているのです。これは果たして、不毛と言おうかポジティブシンキングと言おうか。思考の癖というものは、何歳になっても変わらないのでした。(続きを読む
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    2013/01/29 作成
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