【5】
興味深いことに,このような作品世界のことばの使い分けは,日本人が日常的に使用しているかどうかにも関係がない。先に役割語の説明をした時に,例として「わし,じゃ」という博士語に言及した。普通に考えれば,誰も使っていない「わし,じゃ」ということばを翻訳で使う方が「違和感がある」と言えるかもしれない。しかし,作品世界では,むしろ,年長の賢者に「わし,じゃ」と言わせない方が「違和感がある」と感じられるのである。
女は女ことばを使うものだと広く信じられているために,女性の発言を日本語に翻訳するときには,翻訳者が女ことばの知識を使う。
「女らしいことばとは何ですか」と聞くと,たいていの人は,「それは,女性が話している言葉づかいです」と答える。つまり,日本では女性は女ことばを話していると強く信じられているのである。
長い間聞いてきたということは,西洋ヒロインの身体と日本語の女ことばが私たちの中でがっちりつながっているということである。もし女ことばを話さないヒロインがいたら,その言葉づかいは,その人物の特異な性格を表現していると解されるだろう。
【6】
「おれ,おまえ,ぞ,ぜ」に代表される「男ことば」は,密着した男同士の親しさを象徴する言語資源となっていったのである。ここで,「おれとおまえ」の男同士の親しさは,上下関係に基づく親しい関係である点に注意を要する。(中略)この秩序立った上下関係を前提にして,上の者が下の者を指導・保護し,下の者が上の者に依存するという親しい関係が作り出されているのである。
敬語を使うことが,敬意よりも「あなたを遠ざけたい」というニュアンスを伝えてしまうことになりかねなくなってしまった。そこで敬意を表現したいときにその距離感を縮めるために編み出された工夫が,「です・ます」の敬体を,「オレじゃないっス」「そうっスか」のように「ス」と縮める方法である。
【7】
流入する欧米諸国の技術・知識を広く普及させるためには,書き言葉と話し言葉を一致させる必要があるという言文一致論が生まれた。
「言文一致論」とは,話し言葉(言)に基づいたやさしい書き言葉(文)を考え出して,広く国民にいきわたらせ,近代化を促進しようとする考え方を指す。
標準語とは,その当初から,中流階層の男性国民を話し手として想定していたという点で,隠れた男性性をともなった「(男の)標準語」だったのである。標準語にすでに男性性が含まれているとしたら,「男ことば」は,「(男の)標準語」の「男の」の部分を強調するときに用いられる,特別な言葉づかいということになる。
一方,女ことばは,標準語の女版として位置付けられる。女ことばと対になるのは,男ことばではなく,「(男の)標準語」なのである。
翻訳は,黒人の登場人物に擬似東北弁を話させることで,標準語の優位を人種によって正当化してきた。翻訳は,国外の人種や階級の優劣を利用して,日本語の差別関係をグローバルに補強する役割をになっているのである。
【8】
擬似東北弁から開放された黒人女性の発言に用いられるのは,標準語ではなく女ことばである。一方,黒人男性の発言は男ことば化標準語に訳される。
つまり,擬似東北弁から解放された黒人の話し手の翻訳には,白人中流の話し手の翻訳に見られた男女の言葉づかいの違いが,そのまま当てはめられるようになったのだ。
女性の発言はすべて女ことばに翻訳されるのかと言うと,そうでもない。女性の発言でも標準語に訳される場合もあるからだ。では,女ことばと標準語は,どのように使い分けられているのだろうか。
すぐ思い当たる傾向は,(中略)女性にかかわる話題の場合には女ことばで訳されるというものだ。
美容院や洗濯機,水くみ,宝石,ファッションのように女の領域に関わる発言は,話し手の人種や階級,職業にかかわりなく女ことばに訳される。
どうやら,女性の発言を標準語と女ことばに訳し分けるひとつの基準は,親しい関係が強調されているかどうかにあるらしい。話し手が,話している内容や聞き手に対して,親しみのあるアイデンティティを表現していることを伝える場合には,女ことばに訳されると考えられる。
日本に住んでいる外国人女性の中には,自分の発言が女ことばに翻訳されることを不快に思っている人が多い。
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