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『人文・思想』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『人文・思想』関連の読書ノートリスト

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  • 読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門
    基礎知識は熟読によってしか身につけることはできない。しかし、熟読できる本の数は限られている。そのため、熟読する本を絞り込む、時間を確保するための本の精査として、速読が必要になるのである。(P.45)(続きを読む
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    h_nagashimaさん
    h_nagashima さん(2012/09/07 作成)
  • 面白い本 (岩波新書)
    読書は道楽。そういう割り切りが大事だと私は思っている。成功するためにとか、何かの役に立つようにとか、目的をもって本を読むのはおカド違いというものだ。それではせkつかくの面白い本も、面白くなくなってしまう。本を読むことに何も意味を求めない。純粋に面白ければそれでいい。それが私の読書の理想だ。(続きを読む
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    Tuckerさん
    Tucker さん(2013/02/09 作成)
  • 誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)
    文章においては、凡庸さは恥です。(P.184)(続きを読む
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    h_nagashimaさん
    h_nagashima さん(2012/09/13 作成)
  • 翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける
    【5】 興味深いことに,このような作品世界のことばの使い分けは,日本人が日常的に使用しているかどうかにも関係がない。先に役割語の説明をした時に,例として「わし,じゃ」という博士語に言及した。普通に考えれば,誰も使っていない「わし,じゃ」ということばを翻訳で使う方が「違和感がある」と言えるかもしれない。しかし,作品世界では,むしろ,年長の賢者に「わし,じゃ」と言わせない方が「違和感がある」と感じられるのである。 女は女ことばを使うものだと広く信じられているために,女性の発言を日本語に翻訳するときには,翻訳者が女ことばの知識を使う。 「女らしいことばとは何ですか」と聞くと,たいていの人は,「それは,女性が話している言葉づかいです」と答える。つまり,日本では女性は女ことばを話していると強く信じられているのである。 長い間聞いてきたということは,西洋ヒロインの身体と日本語の女ことばが私たちの中でがっちりつながっているということである。もし女ことばを話さないヒロインがいたら,その言葉づかいは,その人物の特異な性格を表現していると解されるだろう。 【6】 「おれ,おまえ,ぞ,ぜ」に代表される「男ことば」は,密着した男同士の親しさを象徴する言語資源となっていったのである。ここで,「おれとおまえ」の男同士の親しさは,上下関係に基づく親しい関係である点に注意を要する。(中略)この秩序立った上下関係を前提にして,上の者が下の者を指導・保護し,下の者が上の者に依存するという親しい関係が作り出されているのである。 敬語を使うことが,敬意よりも「あなたを遠ざけたい」というニュアンスを伝えてしまうことになりかねなくなってしまった。そこで敬意を表現したいときにその距離感を縮めるために編み出された工夫が,「です・ます」の敬体を,「オレじゃないっス」「そうっスか」のように「ス」と縮める方法である。 【7】 流入する欧米諸国の技術・知識を広く普及させるためには,書き言葉と話し言葉を一致させる必要があるという言文一致論が生まれた。 「言文一致論」とは,話し言葉(言)に基づいたやさしい書き言葉(文)を考え出して,広く国民にいきわたらせ,近代化を促進しようとする考え方を指す。 標準語とは,その当初から,中流階層の男性国民を話し手として想定していたという点で,隠れた男性性をともなった「(男の)標準語」だったのである。標準語にすでに男性性が含まれているとしたら,「男ことば」は,「(男の)標準語」の「男の」の部分を強調するときに用いられる,特別な言葉づかいということになる。 一方,女ことばは,標準語の女版として位置付けられる。女ことばと対になるのは,男ことばではなく,「(男の)標準語」なのである。 翻訳は,黒人の登場人物に擬似東北弁を話させることで,標準語の優位を人種によって正当化してきた。翻訳は,国外の人種や階級の優劣を利用して,日本語の差別関係をグローバルに補強する役割をになっているのである。 【8】 擬似東北弁から開放された黒人女性の発言に用いられるのは,標準語ではなく女ことばである。一方,黒人男性の発言は男ことば化標準語に訳される。 つまり,擬似東北弁から解放された黒人の話し手の翻訳には,白人中流の話し手の翻訳に見られた男女の言葉づかいの違いが,そのまま当てはめられるようになったのだ。 女性の発言はすべて女ことばに翻訳されるのかと言うと,そうでもない。女性の発言でも標準語に訳される場合もあるからだ。では,女ことばと標準語は,どのように使い分けられているのだろうか。 すぐ思い当たる傾向は,(中略)女性にかかわる話題の場合には女ことばで訳されるというものだ。 美容院や洗濯機,水くみ,宝石,ファッションのように女の領域に関わる発言は,話し手の人種や階級,職業にかかわりなく女ことばに訳される。 どうやら,女性の発言を標準語と女ことばに訳し分けるひとつの基準は,親しい関係が強調されているかどうかにあるらしい。話し手が,話している内容や聞き手に対して,親しみのあるアイデンティティを表現していることを伝える場合には,女ことばに訳されると考えられる。 日本に住んでいる外国人女性の中には,自分の発言が女ことばに翻訳されることを不快に思っている人が多い。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/12/23 作成)
  • 琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)
    P9 耳からの刺激は、からだの内部の聴覚器官を振動させる空気の波動である。私たちの内部に直接侵入してくるノイズは、視覚の統御、意識主体としての「私」の輪郭さえあいまいにしかねない。そんな不可視のざわめきのなかへみずからを開放し、共振させてゆくことが、前近代の社会にあっては、<異界>とコンタクトする方法でもあった。 「耳なし芳一の話」を英文で再話したハーンじしん、片目に障害があったことはよく知られている。視覚の不自由なかれが、霊的な世界に関心を寄せる「耳の人」だったことは、平川祐弘 が述べている。 P10 たとえば、奄美や沖縄にはユタという女性シャーマンがいる。彼女らが神霊の使いとなるときっかけは、家庭内の不幸や近所づきあいのトラブルなどに起因する心身の変調である。心身の変調(巫病という)は、ときに精神の錯乱となるが、そんなときの相談あいては、精神科医ではなく、ひと時代まえまでは近くに住む先輩ユタだった。 心身の変調・錯乱が、「ユタになれ」という神の思し召しと判断されると、神の命令をこばむかぎり病は治らないとされる。先輩ユタに弟子入りして修行がはじまるのだが、その段階では、心身の変調や錯乱も霊能の強さとしてポジティブにうけいれられる。そして一定期間の修行をおえた者は、あの世とこの世、狂気と正気というふたつの人格の交替を統御できるシャーマンになってゆく。 巫病を成巫儀礼の階梯とするユタは、一般に晴眼者である。それにたいして、巫病を経ずに、師匠のもとでの修行だけでシャーマンになるのは、北部九州のトウニン、近畿地方のダイサン、東北地方のイタコ・オナカマなど、いずれも盲目のシャーマンである。 巫病を必須の階梯とする召命型(召命は、神に召される意)のシャーマンにたいして、巫病のプロセスを経ないシャーマンを、修行型という。修行型のシャーマンは視覚の障害者に多いのだが、視覚障害者のばあい、心身の変調・錯乱などを経験しなくても、一定の修錬によって、この世ならぬモノ(=霊)とのコンタクトが可能だったのだ。 P11 聴覚と皮膚感覚によって世界を体験する盲目のかれらは、自己の統一的イメージを視覚的に(つまり鏡にうつる像として)もたないという点で、自己の輪郭や主体のありようにおいて常人とは異なるだろう。それはシャーマニックな資質のもちぬしに、盲人が多いことの理由でもある。そして自己の輪郭を容易に変化させうるかれらは、前近代の社会にあっては、物語・語り物伝承の主要な担い手でもあった。 平安時代の貴族社会で行われた「つくり物語」(『源氏物語』以下のフィクションの物語をさす)はともかく、民間で語られた物語は、過去(むかし)の死者たちの語りである。モノ語りを語るとは、見えないモノのざわめきに声をあたえることであり、それは盲人のシャーマニックな職能と地つづきの行為である。そして声によって現前する世界のなかで、語り手がさまざまなペルソナ(役割としての人格・霊格)に転移してゆくのであれば、物語を語るという行為は、近代的な意味でのいわゆる「表現」などではありえない。 むしろ「表現」の前提にある「自己」が拡散し、さまざまなペルソナに転移してゆく過程として、物語を語るという行為はある。語る行為が不可避的に要求する主体の転移と複数化は、民俗学ふうにいえば一種の憑依体験だが、視覚を介さずに世界とコンタクトする盲人は、物語の伝承とパフォーマンスにおいて非凡な能力を発揮したのである。 P13 近世の語り物音楽を代表する浄瑠璃・文楽も、もとは座頭の三味線芸から出発した。 …芸能者が同時に宗教者でもあるという中世的な芸能伝承のありかたは、西日本の琵琶法師によって近代まで伝えられた。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2012/10/31 作成)
  • イスラームの日常世界 (岩波新書)
    イスラームは,いまや第三世界にとどまらず地球的規模に広がっている.その世界観が,幅広い世代にわたって,十億もの人びとの心をひきつけるのはなぜか。(続きを読む
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    Tatsuyaさん
    Tatsuya さん(2013/03/07 作成)
  • サラリーマン・サバイバル
    「吸収型」の頭から「発信型」の頭に変えていくためには、今までの教育で身に着けてきた「知識」を一度全部捨てる勇気がいるわけだ。・・・入ってくる情報をなるべく少なくして、一つのことにこだわって考えてみることだ。(続きを読む
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    JAZZ_MANさん
    JAZZ_MAN さん(2013/05/06 作成)
  • アタマがみるみるシャープになる! 脳の強化書
    脳番地の鍛え方トレーニング1 朝、今日の目標を20文字以内で書く 例)他人から頼まれたことを笑顔で受ける (続きを読む
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    Icho_Hibiseさん
    Icho_Hibise さん(2016/03/01 作成)
  • レトリックのすすめ

    レトリックのすすめ の引用ノート

    野内 良三 / 大修館書店

    P37 喩える 岡本かの子「金魚撩乱」より 撩乱として白砂よりもより膜性の、幾十筋の皺がなよなよと縺れつ縺れつゆらめき出た。 ゆらめき離れてはまた開く。大きさは両手の親指と人差し指で大幅に一囲みして形容する白牡丹ほどもあろうか。 それが一つの金魚であった。その白牡丹のような白砂の鰭には更に菫、丹、藤、薄青等の色斑があり、 更に墨色古金色等の斑点も交じって万華鏡のような絢爛、波瀾を重畳させつつ嬌艶に豪華に また淑々として上品に内気にあどけなくもゆらぎ拡ごり拡ごりゆらぎ、更にまたゆらぎ拡ごり、 どこか無限の遠方からその生を操られるような神秘な動き方をするのであった。(続きを読む
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    さん
    さん(2013/01/24 作成)
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