教育方法をひとつくらい考案しても、人間としてのなんらかの完成の構想を霊感とするものでなければ、なにほどの価値もない。一国の民衆の教育が問題となるとき、この構想は文明の構想でなければならない。この構想を過去に求めてはならない。そこには不完全なものしかないのだから。いわんや未来への夢想に求めるべきではない。必然的にわれわれとおなじく凡庸であり、それゆえ過去にもはるかに劣るからだ。
教育とは、その対象が子どもにせよおとなにせよ、個人にせよ民衆にせよ、あるいは本人自身であるにせよ、もろもろの原動力(モビル)を生まれさせることだ。
行動に不可欠な量のエネルギーを供給する原動力なしには、いかなる行動も実践にうつされえないからだ。
ところで権力は目的ではない。〈中略〉権力はひたすら手段のみを構成する。権力と政治の関係はピアノと作曲の関係に等しい。
不幸なことにわれわれは、ピアノの製作とソナタの作曲を混同してしまった。(
続きを読む)