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『楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)』からの引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)』の読書ノートリスト

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  • それで彼は、最後の自画像を描こうと決心した。それは落ちぶれて無為のまま、堕落し、士気喪失したマルキーズの人々の間で、彼らと同じように忘れられた世界の片隅で零落している自分自身の姿を、身をもって証すことだった。彼はイーゼルの横に鏡を置いて、衰えた瞳がようやく捉えた、今にも消えてしまいそうに霞んだその像をキャンヴァスに描き取ろうとして、二週間以上作業をした。間近に迫る避けようもない自分の最期を、屈辱的な眼鏡の奥で視線にその分別をたたえながら静かに見つめている、ぐったりしているがまだ死んでいない男。その視線の中で、冒険や狂気、探究、敗北、闘争に満ちた激しい人生が語られていた。一つの生命には必ず終わりが来るものだよ、ポール。白い短髪に痩せた体躯、そして平然たる大胆さをもって最後の攻撃を待っている。おまえは確信してはいなかったが、たくさん描いてきた自画像ーーブルターニュの農民の姿で、ツボの曲面に描かれたペルーのインカ人の姿で、ジャン・ヴァルジャンになぞらえて、オリーヴ園のキリスト教のように、ボヘミアンとして、あるいはロマンティックな人物像としてーーの中でこれが、別れの、人生の終局を目前にした芸術家の自画像が、もっとも自分を現していると直観的に感じてきた。 P334(続きを読む
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haruga6さん
haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • 長いあいだ、アブサン酒をちびちび飲みながら、フィンセントはときにはおまえの理解を超えるようなことを話した。けれども、夜明けにフィンセントが、目に涙をためてうめくようにして言った言葉を、おまえは理解したし、けっして忘れはしなかった。 「自分の絵が人々に精神的な慰めを与えられたら、と俺は思っているんだよ、ポール。キリストの言葉が人々に慰めを与えたようにな。古典絵画では『光輪』は永遠を意味していた。その『光輪』とは今、俺が絵の中で色彩の放射と振動とで取り戻そうとしているものなんだ」 ポール、おまえには彼の絵で使われている色彩が暴力的で度を越していると思えて、その花火のような眼をくらませる光景が好きではなかったが、それからは、以前よりも敬意を払っていたね。狂ったオランダ人には、おまえの背筋を時にぞくっとさせるような殉教者のような資質があった。 P329(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • おまえがおまえが狂ったオランダ人に感謝しなければならないとしたら、彼が初めて、おまえの関心をポリネシアに向けてくれたことだ。彼が手に入れ、気に入っていた小説、フランス商船の高級船員ピエール・ロティの『ロティの結婚』のおかげだった。その小説はタヒチが舞台で、そこでは美しく肥沃な自然の中、人々は自由で健全で、偏見も悪意もなく、自然のまま本能のまま快楽に身を委ねながら暮らしていて、野性的な情熱と活力に満ちた、削減する前の地上の楽園だった。人生に矛盾なんてよくあることだよ、ちがうかね、コケ。文明が西洋社会から取り除いてしまった根源的、宗教的な力を求めて、金銭が支配する頽廃したヨーロッパから、エキゾティックな世界へ逃れることを夢見ていたのは、フィンセントだった。けれども彼はヨーロッパの監獄から逃げ出すことはできなかった。それに対して、おまえはタヒチに行ったし、今はマルキーズ諸島まで屋ってきて、狂ったオランダ人が夢みたものを現実にしようとしていた。 「喜んでくれよ。おまえの夢を叶えてやったよ、フィンセント」とコケは声を張り上げて叫んだ。「ほら、ここに『愉しみの家』ができたよ。おまえはアルルで俺の人生をひどく狂わせやがったが、憧れのオルガスムスの家だ。俺たちが考えていたようなものにはならなかったけどね。おい、わかったか、フィンセント」 P328(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • 口論は夜明けまで続いた。おまえは言い争ってもすぐに忘れるたちだったね、ポール。けれどもフィンセントはそうではなかった。彼はいつまでも青ざめたままでひどく不安そうで、何日もそのことについてぶつぶつ文句を言っていた。狂ったオランダ人にとって重要でない、どうでもいいものは何一つなかった。すべてが生存の神経中枢に触れ、神、生、死、狂気、芸術など大きな課題に結び付けられていた。 P327(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • ここのところの性的興奮に彼は苦しんでいた。彼は「姦淫すること」(ルーテル派の元説教師はこの言葉を使っていた)に用いるエネルギーは、芸術家としての仕事に向かうエネルギーを減少させていると思い込んでいた。元牧師の清教徒的偏見をポールはからかった。彼にとっては反対に、ペニスが満足していなければ、絵筆を取る勢いがまったくなかった。 「ちがう、ちがう」激昂しながら、狂ったオランダ人は言った。「俺の傑作はセックスを完全に絶っているとき描いたんだよ。精液で描いた作品だ。そのセックス・エネルギーを、女にじゃなくてキャンヴァスにぶちまけたんだよ」 「バカなこと言うなよ、フィンセント。それなら、俺には余りあるほどのセックス・エネルギーがあるってことじゃないか。絵にも女にも回せるだけのよ」 P326(続きを読む
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    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • 「黄色い家」では最初からすべてがうまくいかなかった。まず、ポールは散らかっているのを我慢できなかったが、フィンセントにとってそれは当たり前の状態だった。二人は仕事もきっちり分担した。ポールが料理をし、オランダ人が買い物をした。掃除についてはある日一方が掃除をしたら、次の日は他方が行った。本当のところは、ポールが片付けて、フィンセントが散らかした。 P325(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • けれども、今、距離を置いて、壮大な眺めが広がっている「愉しみの家」で思い返してみると、激しやすく子供っぽくて、病人が命を救ってくれる医師に頼るように、おまえに頼りきっていた、その狂ったオランダ人は無防備なほどお人好しで、このうえなく寛容だった。人を妬まず、恨みもせず、謙虚に身も心も芸術に捧げて物乞いのような生活をしながら、そのことを全く気にかけていなかった。極度に感じやすく、妄想に取りつかれていたフィンセントは、あらゆる形の幸せから遠ざけられているようにポールには思えた。彼は漂流者が板切れにつかまるようにおまえにしがみつき、ジャングルの中で生き延びる方法を教えてくれる賢者か猛者のようにおまえを信じ切っていた。それほど大きな責任をおまえに課したのだよ、ポール。フィンセントは、芸術にも、色彩にも、絵にも精通していたが、人生については何もわかっていなかった。だから彼はいつも不幸だったのだ。だから狂って、三十七歳の若さで腹にピストルの弾を撃ち込んで死んでしまったのだ。それなのに軽薄な奴らが、パリの暇人どもらが、フィンセントの悲劇をおまえのせいにするなんて、なんて不当なことだろう。アルルで共同生活をしていた二か月のあいだにも、おまえはもう少しで気が狂ってしまいそうだったし、そのうえ、オランダ人画家によって殺されそうだったのに。 P325(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • フィンセントは、ポールが気に入るように、新しい家で絵を描きたい気分になるようにと細部にいたるまで気を配りながら、夢中になって昼も夜も働いて、その家にペンキを塗り、家具を入れ、飾り付けをし、壁を絵で埋めていた。 けれどもお前には「黄色い家」は居心地がよくなかったね、ポール。というよりも、視線を移すとどこからも攻撃的に襲ってくる、まぶしくてくらくらする色彩の洪水に気分が悪くなった。またフィンセントが心遣いをしながら、またへつらいながらおまえを迎え、おまえにいい印象を与えようとして「黄色い家」で彼がやったことを誇示しながら案内し、それらがおまえに気に入ってもらえたかどうかを知ろうとやきもきしているのも、居心地が悪かった。実際、その家はおまえに警戒心を抱かせ、なにか圧迫感を与えた。フィンセントは過剰ともいえるほど愛情にあふれ、親切だったので、おまえは最初の日から、この手の人間はおまえの自由を束縛することになるのではないか、そして自分の生活というものがなくなってしまうのではないか、フィンセントがおまえの生活に入り込んできて、愛情いっぱいの看守人となるのではないか、と感じ始めていた。おまえのように自由な人間にとって、この「黄色い家」は監獄になる可能性があった。 P324(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • 今、おまえは狂ったオランダ人を不憫に思い、慈しみの気持ちさえ持つようになった。しかし、一八八八年十月、兄の呼びかけに応じるようにとのテオ・ファン・ゴッホの勧告と圧力を受け入れて、おまえは彼と生活を共にするためにアルルに行き、彼を嫌うようになってしまった。かわいそうなフィンセント!おまえの来訪を待ちわび、おまえと彼が芸術家の共同体ーー真の僧院、小さなエデンの園ーーの開拓者になることを夢想していたのに、その計画の失敗が彼の精神の健康を破壊して気を狂わせ、殺してしまった。 P323(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
  • 狂ったオランダ人の思い出は、アトゥオナで暮らしはじめて数か月、ほとんど一瞬たりともおまえから離れることがなかった。どうしてだろうか、コケ。ほぼ十五年のあいだは、おまえの記憶から彼をきれいに消し去ることができていた、疑いなく幸運なことだった。なぜならフィンセントの思い出はおまえを落ち着かない気持ちにさせ、苦しめ、おまえの仕事をだめにしてしまったかもしれないから。けれどもここ、マルキーズ諸島では、おまえもあまり絵を描かなくなっていたから、あるいは疲れていたし病気でもあったから、心遣いの細やかさと狂気を伴った、人の善いフィンセント、かわいそうなフィンセント、我慢のならないフィンセントのイメージが絶えずおまえの意識になだれこんでくるのを阻む手だてがなかった。プロヴァンスで八週間に及ぶ困難な共同生活をしたときの数々の出来事、逸話、論争、憧れ、夢は、あれから十五年を経て、数日前の出来事さえすっかり忘れがちな現在の記憶状況でも、ポールは鮮やかに思い出すことができた。 P322(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2012/12/07 作成)
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