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midnightwakeuper さんのプロフィール

midnightwakeuper さん
男性  大阪府  会社員・自営業
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  • オンドル夜話―現代両班考 (中公新書 682)
    (P110)七年間にわたる日本とのたたかいで、朝鮮は疲弊の極に達した。朝野は麻のごとく乱れた。ヤンバン支配階級は懲りもせず闘争に明け暮れた。(続きを読む
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    2013/09/10 作成
  • 検証 日韓会談 (岩波新書)

    検証 日韓会談 (岩波新書)

    高崎 宗司 / 岩波書店 / 社会・政治

    p19「講和会議に、韓国は招請されなかった」「反対理由は『韓国はされる国であって戦争状態になかった』『100万人の在日朝鮮人が連合国人として補償を受ける権利を取得することは不都合』」(続きを読む
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    2013/09/04 作成
  • 司馬遼太郎さんに倣って東アジアの「海道をゆく」
    (p234)小笠原島が捕鯨船の薪水補給基地として…注目…島に移住を試みる欧米人…。最初に移住…は1830年で、米国人ナザニール・セボレー、英国人リチャード・ミリチャンプ、マテオ・マザロ等5人と彼等の妻となるハワイやポリネシアの先住民を引き連れての総勢23人で…豚などの家畜、種子とともに現在の二見港に上陸し英国旗を掲げた。  その後、仲間内で考え方の違いや仲違い、死亡などで、最後まで島に残ったのは米国人ナザニエル・セボレーとその家族だけとなった…末裔は…1946年に135人…当時の島民は約八千人…  移住の頃は小笠原は英国領として国際的認知が進んでいた。ところが…熱がさめたように…こだわりを捨て領有権は(アメリカ海軍アジア提督の)ペリーの軍政下に置かれていく。  ペリーの支配下、セポレーを長とする“ピール島=父島植民政府”が成立。ペリーは小笠原を琉球とともに日本本土を開国する前進基地と考えていたようである。 (p236)1854年…日米和親条約を締結…英国に代わって米国がアジア太平洋の覇権を握った歴史的瞬間であった。小笠原諸島の日本領帰属は、その大いなるプレゼント…(続きを読む
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    2013/10/26 作成
  • 検証 日朝交渉 (平凡社新書)
    p177「拉致被害者のうち生存者は五人で、八人が死亡しているという北朝鮮からの通知は、被害者の家族に大きな衝撃を与えた」「しかし、ここで苦痛に耐え、怒りを抑えながら理性的な外交を進めることが必要であったと思われる。日朝国交樹立を求めていく道は、拉致問題を解決するためにも唯一の現実的な道であった」(続きを読む
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    2013/11/15 作成
  • 歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代
    p251対日平和条約で、日本政府は戦争裁判の判決を受諾し「日本国民」への刑の執行を引き受けている。巣鴨プリズンには、シンガポールやジャカルタから送還されてきた朝鮮人戦犯が収容されていた。…「日本国民」でなくなった朝鮮人(曖昧な言い方で南北分裂を無視している)を拘留し続けるか裁判国に問い合わせし… 朝鮮人戦犯は釈放を求めて提訴しているが「国籍変更は刑の執行に関係ない」との判決だった。 p252 韓国の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」2006年、戦犯もまた強制動員の犠牲者であると認定した。 2007年ソウルで韓国在住の戦犯者の遺族会が発足し…(日本在住と)二つの遺族会は、日本に謝罪と補償を求め、靖国神社に合祀されている朝鮮人戦犯の合祀取り下げを求めている。 (続きを読む
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    2013/11/23 作成
  • コバウおじさんを知っていますか―新聞マンガにみる韓国現代史 (草の根ビジュアル)
    p81最近の日本で記憶に残るのは、イラクへの自衛隊派遣に関する法案が、それに賛成する自民党議員と反対する野党議員たちとの体による格闘の末、プロレスラー出身の議員が自民党にいたためか採決されてしまったことである*(実際は「中道」で平和主義を標榜する公明党の賛成のため。太田明宏委員長はプロレスラーではなく相撲部出身です) p84日本とアジアの人が、これからの日本について議論する番組で、元文部科学大臣だった外相が、教科書選定委員が教育現場の教員たちから自治団体の役員に変わったことについて『現場の教員にマルクス主義者が多いので偏りかねない』と言ったことに注目したい。…(共産主義を秘密警察・密告制度までして弾圧しつづける)韓国とは違って思想的に自由だという印象を持っていた日本の政治家の言葉に、一瞬耳を疑った。*(「耳を疑う」という表現にホントに日本語わかっているのかと目を疑う) (続きを読む
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    2013/11/22 作成
  • 朝鮮近代史 (平凡社ライブラリー (267))
    1863年、哲宗が死…当時、純祖の世子にして王位につかず卒した翼宗(この称号は死後追贈)の王妃趙氏は、大王妃として王宮内の最長老の地位…(彼女は)安東金氏(←前章で政治について無能であり人民収奪に過酷で、各地に頻繁に農民反乱を招いたとされる)の反対をおしのけ、(それまで)市井の無頼の徒(であった)興宣君李是応の第二子命福を新王につかせた。これが高宗(1863〜1907)で当時12歳、 直系でなく擁立された国王の実父を大院君と呼び、国家の実権を握った。(続きを読む
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    2013/09/15 作成
  • 植民地朝鮮の日本人 (岩波新書 新赤版 (790))
    p63「1895年11月には断髪令が布告された。日本政府と朝鮮政府に対する朝鮮国民の反感は高まり、翌年1月には義兵闘争が起こった。そのため、朝鮮人は開港地に出入りしなくなり」「2月には、朝鮮国王がロシア大使館に避難…その過程で朝鮮人政治家と日本人数十人が殺され」「韓城(ソウル)は不景気になった」 p69「97年10月国号を大韓帝国と改称し、皇帝と称しはじめた高宗は、諸外国均衡政策をとり、木浦と鎮南浦に各国共同租界を設定することを自主的に宣言した。しかし関税自主権を掌握した訳でもなければ、疎開地行政に対する主導権を取った訳でもなかった」(続きを読む
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    2013/11/17 作成
  • コバウおじさんを知っていますか―新聞マンガにみる韓国現代史 (草の根ビジュアル)
    1973年日本のホテルから拉致され、韓国で傷だらけで発見されたのち自宅軟禁の金大中らしい人物が「政治活動はしません」というプラカードを持って出てきて「そーら彼は自由です」と警官が言う場面は検閲で第2版(駅売りが第一版、より部数の多い宅配は第2版となる)プラカードを白紙にされた。読者は白紙に思いを読み取った。 p98韓国では全国いたるところに「コバウ」の名をつけた店がある。喫茶店から呑み屋、文房具店、靴屋、不動産屋、おそらく数百店にのぼるだろう。ソウルの代表的な夕刊紙『東亜日報』に1955年から45年間連載された『コバウおじさん』の人気はそれほどなのである。(続きを読む
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    2013/11/22 作成
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