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『社会・政治』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『社会・政治』関連の読書ノートリスト

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  • 反米の系譜学―近代思想の中のアメリカ (MINERVA人文・社会科学叢書)
    「義憤に駆られて自国の擁護に立ち上がることが、現代の学術研究において許されるなら、私は素朴な闘争の呼びかけから本書を始めたいと思う。今やアメリカを奪還すべき時である。文芸批評家や哲学者、そしてポストモダン思想家を自称する連中から、今やアメリカを奪還すべき時である。彼らこそ、まさに『アメリカ』という言葉を、グロテスクで、淫猥で、怪物的で、無能で、矮小で、平板で、精彩を欠き、破壊的で、奇形で、無教養で、そして(つねに括弧つきの)『自由』ものを示す、一つのシンボルに転化して来たのである。私はわが同胞に向けられた攻撃について警鐘を鳴らし、『現代哲学による批判にはこう反論せよ、文芸批評による批判にはこう反論せよ』と警告を発しながら、講演会場を渡り歩くことだろう。」(1997刊、「序論 アメリカを奪還せよ」p.I) (続きを読む
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    kohaku_nanamoriさん
    kohaku_nanamori さん(2013/09/15 作成)
  • 「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機
    【第1章】 でもこの二つ(被害者の人権と加害者の人権)は、けっして対立する概念ではない。どちらかを上げたらどちらかが下がるというものではない。シーソーとは違う。対立などしていない。どちらも上げれば良いだけの話なのだ。加害者の人権への配慮は、被害者の人権を損なうことと同義ではない。 人は変わる。絶対に変わる。変わらない人などいない。最近の死刑判決では「更生の可能性がない」とか「矯正の余地はない」などのフレーズが常套句になっているけれど、なぜ裁判官にこのような断言ができるのだろう。なぜこれほどあっさりと可能性を排除できるのだろう。 「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と断言する人たちに、僕はこの質問をしてみたい。もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなって良いのですか。 ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。 親に捨てられて身寄りがない子どもの命は、普通の子どもよりも価値がないということになる。 命の価値が、被害者の立場や環境によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の大原則である罪刑法定主義が崩壊する。 被害者遺族の思いを想像することは大切だ。でももっと大切なことは、自分の想像など遺族の思いには絶対に及ばないと気づくことだ。 遺族の気持ちを想うことと恨みや憎悪を共用することは、絶対に同じではない。想うことと一体化することは違うし、そもそも一体化などできない。被害者遺族の抱く深い悲しみや絶望、守ってやれなかったと自分を責める罪の意識や底知れない虚無、これを非当事者がリアルに共有することなどできない。恨みや憎悪などの応報感情だけを共有しながら、一体化したかのような錯覚に陥っているだけだ。 無用な諍いや争いを回避するためならば、少しばかり領土や領海が小さくなってもかまわない。弱腰と呼びたいのなら呼ぶがよい。でもこれだけは絶対に譲らない。私たちは自国と他国の人たちの命を何よりも大事にする。 マルティン・ニーメラーが戦後に書いた詩。 最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声をあげなかった。 なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。 次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、 私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。 彼らが労働組合員を攻撃したときも、 私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私は労働組合員ではなかったから。 やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れて行ったとき、 やはり私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。 そして、彼らが私の目の前に来たとき、 私のために抗議の声をあげる者は、誰一人として残っていなかった。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/06/21 作成)
  • 「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機
    【第5章】 だいたいネクタイって変だ。首を巻く細長い布。実用性は何もない。防寒にも役立たない。人類が滅んだあとに地球にやってきた異星人は,大量に発見されるこの奇妙な布切れの用途について首を傾けるだろう。まさか首に巻いていたなどとはなかなか発想できないに違いない。だって意味がないからだ。 明治以降,日本が他国と結んだ同盟は,日英同盟と日独伊三国同盟くらいのはずだ。なぜなら同盟とは,「国家目標を達成するために二つ以上の国が軍事上の義務を伴った条約に基づいて提携すること」を意味する。つまり集団的自衛権が前提になる。 建前としては,日本に軍隊は存在していない。だから他国との(軍事)同盟など,論理的にはありえない。 捕虜となった彼らのほとんどは兵士ではない。村を略奪したときに捕まえた農民たちだ。だから女もいる。特に若い女性の場合は,まずは大隊長や中隊長の「慰安婦」とされ,さらにいくつかの中退に分配されて複数の兵士たちの相手をつとめ,最後には殺される。さんざんにもてあそんだ十代後半の少女を殺害してから,その大腿部をスライスして油で炒めて食べた部隊もあったという。まさしく中国の農民たちにとっては,比喩ではなく野獣の軍隊だ。 軍人らしい軍人を作るという大義名分のもとに,古年兵による初年兵への私的制裁は当たり前のように行われました。「君」とか「あなた」などの言葉を使っただけでも殴られる。足腰が立たなくなるほどに蹴られる。捕虜を銃剣で突き殺さねば自分が半殺しにされる。こうして初年兵たちは,普通なら持ち合わせているはずの感情や良識や人間性を,暴力によって根こそぎ奪われ,ただ上官の命令に反射的に服従し,命令さえあれば平気で人間を虐殺する機械に変わっていきました。だからこそ日本の軍隊は捕虜や一般市民に対して,これほどに残酷な犯罪行為を,ためらいなく行うことができたのでしょう。 人工衛星の打ち上げをミサイル発射だとアナウンスするならば,それは乱暴すぎると言わねばならない。向こうが無茶苦茶だからこちらも無茶苦茶でよいとは思わない。街場の喧嘩ではないのだ。筋は通すべきだ。どうしても「事実上はミサイルなのだ」と断言したいのなら,その理由と根拠を明示すべきだ。 でもこのままの形で風化すべきではない。なぜなら彼らがサリンを撒いた(不特定多数を殺傷しようとした)理由を,この社会はまだ解明できていない。つまり動機がわからない。しかも解明できていないとの意識を,ほとんどの人は持っていない。彼らが凶暴で凶悪だからとか,麻原からマインドコントロールされていたからなどの浅いレトリックによって,何となく納得したような気分になっている。 確かに実行犯たちが「麻原から指示を受けたからサリンを撒いた」ことは明らかだ。でもならばなぜ,麻原がそのような指示を下したのか。何を狙い何を目的にしていたのか,その理由や背景がわからない。わからないのに裁判は一審のみで終了した。早く麻原を処刑せよとの声に,司法とメディアが従属した。 麻原法廷を典型に,やるべきことの多くをこの社会はやっていない。それでは教訓どころか副作用しか残らない。こんなふうに引きずり続けるのなら,跡形もなく風化して一切を生奥から消してしまったほうがよほどいい。風化の仕方を間違えている。 こうした反体制的な作品がハリウッドの娯楽映画として当たり前のように制作されることに,アメリカの凄みと本質がある。短絡的で手前勝手で自己陶酔的などうしようもない国だけど,復元力は確かにある。それを支えるのは徹底した情報公開と,権力を監視するジャーナリズムへの国民の信頼だ。 イラク戦争終結後,アメリカを支持した国の多くも過ちを認め,イギリスのブレア政権やオーストラリアのハワード政権は国民の支持を失い,ブレアに至っては退陣してから3年後の2011年に,イラク戦争に関する独立調査委員会の公聴会で証人喚問されて,自らの判断の過ちを認めている。つまり国レベルで過ちを,しっかりと検証しようとしている。どのように風化すべきかを考えている。 でも日本では,そんな動きはまったくない。当時の政権は言うに及ばず,アメリカ支持を主張していた識者や評論家やジャーナリスト,そして多くのメディアも,自らの過ちを自己検証するどころか認めてすらいないし,責任を追求されてもいない。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/06/21 作成)
  • 別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
    【5 仕事のように続く犯罪】 木嶋最後の意見陳述。 「今回の裁判では,いままでの人生を振り返って,自分の価値観が間違っていたということに気づかされました。数多くのウソをついてきたことに対して,本当に深く反省しています。ずっと毎日,弁護士さんとかとお話ししていくなかで,自分の生き方や考え方が間違っていることに気づかされました。今日まで弁護活動を続けてくださって,私のいたらなさからご迷惑ばかりおかけしたにもかかわらず,今日まで支えてお守りくださったことをたいへんありがたく思っています。今回学んだことをこれから強く噛みしめて,生き直したいと思います。ただし私は,寺田さん,安藤さん,大出さんを殺害していません。以上です」 木嶋は最終弁論の場を,自分が犯した罪を殊勝に反省する場に見せかけて,自分の再生と復活を力強く宣言する場に変えてしまった。 【6 死刑判決】 木嶋はたぶん犯罪なしには生きる歓びを感じられない種類の人間である。しかし,こういう女と付き合った男が多数いるのだから,木嶋ばかりが異常というわけではない。 この事件の裁判を傍聴して痛感するのは,ブログやメールなどヴァーチャルな世界における饒舌さに比べ,リアルな世界での会話が極めて貧困なことである。 突飛な譬えをすれば,この事件におけるインターネットはゴキブリホイホイのようなものかもしれない。木嶋が独身シニアホイホイという罠をインターネット上に仕掛けたから,デジタル世界に仕組まれた色香に惑わされた男たちがぞろぞろ這いこんできた。 殺された三人には申し訳ないが,彼らにもう少し女性に対する抵抗力や,人間を見る洞察力があれば,最悪の結果だけは免れたような気がする。 この事件はそれと同時に,“妹の力”の偉大さも教えてくれた。木嶋の魔手から危うく難を逃れることができたのは,決まって姉や母が木嶋を見て出す“警戒警報”のおかげだったからである。 判決文が起訴状や検察側の冒頭陳述と何ら変わらないとすれば,何のために審理に百日もかけたのかわからなくなってくる。 三十五回の公判を通じて各事件には,証拠の濃淡があったはずである。とりわけ「東京事件」の寺田のマンションの合鍵問題は,まったく解明されないままだった。市民感覚を取り入れるために始まった裁判員制度ならば,ふつう疑問をさしはさむところだが,そうした市民の常識が,この判決文にはまったく反映されていなかった。とりわけ三件の殺害事件の「判断と検討」の中に頻出する「被告人の他には見当たらない」「優に認められる」「失火で説明するのは困難」といった独断的な文言は,裁判官失格と言われても仕方がない。「優に認められる」で有罪にされたのではたまったものではない。判決文は右陪席の裁判官が書く通例通りなら,これを書いたのはおそらく,木嶋が“名器”などの臆面もない発言をする度,眉をひそませていた東大出の美人裁判官である。二十八歳という彼女の年齢を,それこそこの判決文に頻繁に出てくる「合わせ考慮すると」,仕方ないとも言えるが,「量刑の理由」の最後の,「被告人は,当公判艇において独自の価値観を前提に不合理な弁解に終始するばかりか,各被害者を貶める発言を繰り返すなど,真摯な反省や改悛の情は一切うかがえないことも合わせ考慮すると,被告人の刑事責任は誠に重大である」という文章は,あまりにも感情的に過ぎる。彼女は木嶋佳苗が大嫌いなのだろうが,それと判決とは別問題である。気持ちはわからないではないが,今後の裁判員裁判制度を考えると,もやもやしたものが残った。 ところが次の質問者が,「百日裁判を終えたいまの率直な気持ちを教えてください」と,どうでもいい質問をして,二十七歳の男性裁判員が言った答えを聞いて頭が真っ白になった。 「達成感がありました」 いくら凶悪な犯罪者とはいえ,人間一人を死刑台に贈り込んでおいて,「達成感がありました」はあるまい。 百日もかけたこの裁判員裁判で,木嶋佳苗の真実は見えてきただろうか。 それ一つとっても,われわれが知りたい真実は,すべて曖昧模糊たる木嶋佳苗ワールドに滑り込んでいってしまうのである。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/09/08 作成)
  • 「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機
    【第2章】 死刑判決を言い渡す裁判官たちは、せめて一度くらい処刑場に足を運び、執行を自分の目で見て確認すべきではないだろうか。実際に見なければわからないことはたくさんある。もちろん見てもわからないこともたくさんある。でもだからといって、見ないことの理由にはならない。 「ある程度の苦痛やむごたらしさはやむを得ない」と法廷で宣言するのなら、どの程度に苦痛を感じていると推量できるのか、どの程度にむごたらしいのか、それを知らなければならない。自分の目で見なければならない。 家でトンカツやステーキを食べながら、テレビに映る海岸に打ち上げられたクジラの救出劇に声援を送る。とても身勝手だ。人はそういう生きものだ。その矛盾は仕方がない。ただしその矛盾に対して、どれだけ自覚的でいられるかが重要だ。 別に個人の嗜好に異議を唱えるつもりはない。あなたら肉をたっぷり食べる。そこに水を差すつもりはない。でもならば、せめて知るべきだ。この肉のもとになった生きものたちがどのように殺されているのか。どのように解体されているのか。だって同じ命だ。それくらいは知ろう。知ったうえで味わいながら「肉は大好きだ」と言えばいい。 ライオンの側から撮られたドキュメンタリーは、生きるために彼らが行うかりを正当化する。でも獲物の側であるトムソンガゼルの側から撮られたドキュメンタリーは、ライオンを残虐で危険な存在として描写する。どちらも嘘ではない。どちらも事実だ。でも視点によって世界はくるくると変わる。 メディアはそうした視点の一つでしかない。僕たちはメディアによって事実を見せられているのではなく、事実に対しての視点を見せられているに過ぎない。でもこれに気づきながらメディアに接する人は少ない。 がんばらなければ生きてゆけない状況になった人に、がんばらなくても生きてゆける人が「がんばれ」と声をかける。そのグロテスクさに、なぜ多くの人は気づかないのだろう。なぜ臆面もなく「がんばれ」などと言えるのだろう。 ならば沈黙するべきだ。無理矢理に常套句を紡ぐ必要はない。今はまだ茫然自失の時期のはずだ。徹底して自失すればよい。黙り込めばよい。 丸腰の容疑者を特殊部隊が一方的に殺害することの意味がわからない。拘束して裁判にかけるべきとの異議が出ない理由がわからない。 東京地裁104号法廷で初めて目撃した麻原彰晃の異常な言動。どう見ても精神が崩壊しているとしか思えない彼を被告人席に座らせて、当たり前のように進行する裁判。読み上げられる判決文。その瞬間に法廷を脱兎のごとく飛び出して、「死刑です。死刑です。今、死刑判決が出ました」とカメラに向かって叫ぶテレビ局の記者たち。翌日には麻原の様子を、7反省の色なし」とか「醜い責任逃れ」などと描写したほとんどのメディア。 なぜウサマ・ビンラディンは、家族とともにいた家の中で、無抵抗のまま米軍特殊部隊に射殺されねばならなかったのだろう。 一連のアメリカの行動には抑制がまったくない。そもそもこれは戦闘行為ではない。戦争はすでに集結している。しかも他国の領土だ。もしもこれが許されるのなら、自国にとって都合の悪い人は(司法手続きなしで)殺戮することが、今後の国際ルールとなってしまう。例えば大田区の蒲田西口商店街雑踏に突然武装ヘリから降下してきた米軍特殊部隊が、タコ焼きを頬張っていた丸腰のテロリストを包囲して問答無用で射殺する。そんなことが許されるだろうか。 いずれにせよ、何がビンラディンを同時多発テロに追い込んだのか。そもそも同時多発テロは、どれほどに計画的だったのか。ビルが崩落することを、ビンラディンはどの程度まで予見していたのか。多くの犠牲者に対しては何を思うのか。再発を防ぐためには何をすべきなのか。そうした追求が何もないままに、ビンラディンをこの世から消滅させることだけを最優先する。 ビンラディンは武器を持たないまま娘の前で射殺された。麻原は精神が崩壊したまま被告人席に座らされ続けて死刑判決が確定した。悪は世界から消滅させること。それが当然の前提になっている。悪とは何か。なぜその悪は生まれたのか。今後も同じような事件が起きる可能性はないのか。そんな煩悶がまったくない。 自民党は、日本の憲法改正のための条件は諸外国に比較しても例外的に厳しすぎるとして、改憲の発議要件を国会議員の三分の二以上から過半数に緩和すべきであると主張する。でもここで例として挙げられたアメリカやフランス、イタリアやドイツが、過半数制を採用しているかといえば、それはまったく違う。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2014/06/21 作成)
  • イスラエル (岩波新書)
    第1章 統合と分裂のイスラエル社会 ―超正統派ユダヤ教徒と世俗的ユダヤ人 ①ユダヤ民族とユダヤ教のはざまで ・人種の坩堝 ・多文化、多宗教社会 ・超正統派ユダヤ教徒たち ・世界のユダヤ人社会 ・シオニズムと反ユダヤ主義 ・イスラエル人という国民意識 ・「誰がユダヤ人か?」問題 ・宗教政党の躍進・ユダヤ教原理主義(続きを読む
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    tmkn さん(2012/12/31 作成)
  • イスラエル (岩波新書)
    第2章 シオニズムの遺産 ②シオニストの夢と現実 ・実践的シオニズム ・社会主義シオニズム ・労働の征服 ・アラブ人の排除 ・「土地なき民に民なき土地を」 ・精神的シオニスト ・政治的シオニスト、ヴァイツマン ・イギリスとユダヤ人シオニスト ・イギリスのパレスチナ占領 ・バルフォア宣言(続きを読む
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    tmkn さん(2012/12/31 作成)
  • フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質
    *日常のありふれたことに喜びを見出せば、毎日がハッピーで楽しいことがいっぱいになる。 *面倒な家事や雑用は、自分なりに楽しみながら片付ける工夫をしてみる。 *人生を前向きにとらえることが大切。ユーモアのセンスも忘れずに。 *そのときやっていることを最大限に楽しむには、五感をフルに生かすこと。 *あせらず落ち着いて、1日じゅうあわただしく過ごさないようにする。本気でそう心がけていれば、そのときやっていることに集中して取り組めるようになる。(続きを読む
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    yo-koさん
    yo-ko さん(2015/07/13 作成)
  • フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質
    *いちばん良い物を「もったいないから」と取っておくのはやめる。毎日いちばん良い物を使う。 *家を掃除してきれいに片付け、良い物だけ取っておくようにする。 *何かを買うときは、予算内でいちばん良い物を買う。収入以上の出費をしないように、いつも予算を頭に置いておく。 *いつも良いマナーを心がける。とくに身近な人たちに対して忘れずに。 *毎日、ひとりのときでも、自分らしく生活を楽しむための工夫をする。そうすることで、素敵な暮らしのセンスが身についていく。(続きを読む
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    yo-koさん
    yo-ko さん(2015/07/13 作成)
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