ラスキンの「穏やかな経済」というのは、富裕なことは権力をもつことで、貧しい者を必要としているのとは違う。ポリティカル・エコノミーと商業経済学とは一線を引く(102頁)。
社会を家族と見立て、経済学は個人を単位とするのではなく、有機的社会のつながりを分析要素とする。
➡ その意味では、E.デュルケームの『社会分業論』を想起できる。
『この最後の者にも』の論点8つ
① 経済人モデルは過度な抽象化
② リッチになるような商業経済学は、名誉を分析できない
③ 富の蓄積増を軸にする社会は、方向性を誤る
④ 権力としての富裕が、権力乱用を隠蔽し、自己欺瞞・破壊的
⑤ 労働価値は、労働に内属する価値
⑥ 労働生産性は、正しい物が正しい者に届くか否か
⑦ 需要は人格志向に源
⑧ 真の経済学は、消費と労働の人格連関(106頁)
➡ 現代的意義として、①は全人思想へ。⑥は途上国援助や生活保護のような事例があろう。
プルーストやガンディーもラスキンからよく学んだ。
特に、ガンディーは本書から、3点学んだ。法律家の仕事でも、理髪屋の仕事でも同じ価値を有する(209頁)と考えるように変わった。
富は、権力ではなく、名誉ある富を志向するのであり、生に内在する労働と価値生産が正当評価される社会システムにある。
また、権力抑制し、協働の「穏やかな経済」を実現するためのもの(223頁)。
➡ してみれば、現代のラスキン思想は、アベノミクスが「投機経済」で穏やかではなく、ソワソワ経済、つまり、一瞬たりとも気を抜けない、過度な緊張経済なのではないか、という思いに至る。権力争いの選挙も、慎重に選ばないといけないのはいうを待たない。
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