彼らはイスラエル人を盗人と考えることによって、盗まれるものを持つ人々と同様の羨むべき地位に自分を置こうとするのである。ユダヤ人が、フランスを盗もうとするから、フランスが自分達のものだと感じられるのである。このように、彼らは、所有者としての資格を得るために、反ユダヤ主義を選んだのである。p.25
反ユダヤ主義者の求める平等主義の共同体が、結局、あの、私刑や、スキャンダルの際に生まれる群衆や一時的な組合の一つのタイプに外ならないからである。そこにおける平等は、機能の無差別の結果にすぎない。社会的つながりは怒りによっている。p.30
彼等には近代的社会組織が理解出来ないので、、原始的共同体が突然再現し、その溶解度まで達する危機の時代に、ノスタルジーを持つのである。自分の人格が、急に集団の中で位置を占め、群衆の激流に運び去られることを願うのである。p.31
この群衆は、有産階級にとっては、一つの安全弁である。有産階級は、それをそそのかすことによって、自分にとって危険な社会制度に対する憎悪を、無害な、個人に対する憎悪にすりかえるのである。p.48~49
彼等は、善を決定せずにすませるために、悪を決定したのである。
悪と戦うことに夢中になればなる程、善を問題にしようという気は失われる。p.49
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