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『人文・思想』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『人文・思想』関連の読書ノートリスト

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  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第九講 私の中の悪魔】  自分の行動の本当の原因に,アクセスできないことがある。  そこでその結果,自分の行動を誤って偽の原因に帰することがある。  人の言動の原因について,当人よりも第三者の判断に特権を与えるということを,私たちは結構している。つまり,私たちの社会の仕組みは案外そうなっている。  一般に過失致死の場合は,意図を持っておこなわれた殺人の場合よりも,加害者に課せられる罪は,ずっと軽い。  「故意」であるということは,逸脱行為の罪を重くする。  「故意」という判定の前提には,意図の自覚ということがあるように思われる。意図の,本人による自覚。  本人の主張する理由としばしば食い違う「本当の」理由が,そもそも存在すると信じる根拠は何なのか。また逆に,本当の理由が本当に「本当」であると信じる根拠は何なのか。  「本当の理由」の存在を信じる私たちの素朴な信念が,「直接経験」への信頼というもうひとつの素朴な信念と首尾一貫していないという事実。  「自らの心的経験や行動の理由などについては,人はそれを直接的に知る特権を常に持っている」という信念。  他我問題:人が泣いているのを見て,どうして(自分が悲しいのと同じ意味で)悲しいとわかるのか。他人が近くしている赤信号の色は,本当に自分の知覚している赤色と同じか,あるいは同じだといかにして知り得るのか。  「自分がいま経験している赤い色や鋭い歯痛の感覚は,直接的で疑問の余地がない。しかし他人の経験している赤い色や痛みについての知識は別で,間接的であり,あてにはできない。  直接経験の「最終性」:「歯が痛い」というとき,少なくとも当人にとっては痛いから端的に痛いのであって,その真偽をさらに遡って問うたり,またそのために他のより直接的なデータに訴えたりすることはできない。  私たちの知覚や判断や行動は,それ自体私たち自身によって直接経験されるものであり,その明白さは真偽を問う余地さえない。しかし反面,その直接経験が何に由来し,起因したかを検討する必要が生じた場合,私たちは本人の申し立てを認めず,むしろ第三者の特権を認めるのだ。  直接経験そのものについては本人の特権を認めつつ,その前後の因果関係については第三者の特権を認めるという複雑な操作が,暗々裡に人々の常識となり,社会規範の根底を成すに至ったのは,どのような事情によるのか。  私たちは一見,自己の経験の自覚的直接性を疑うことなく生きているように見える。  しかし反面,知覚や判断や行動の由来・理由・動機・原因などを最終的に特定化する必要が生じたときには,私たちは第三者の観察にむしろ特権を与える。  その場合「責任」は,本人の自覚化された意図と第三者による因果関係との間で重みづけ,ないしは斟酌される。  これは私たちの日常の行動様式を規定するだけではなく,社会規範をも陰に陽に裏づけている,信憑の体系である。また,同時代人によって共有されるが,時代にともなってグローバルには変化する人間像の体系という意味で「時代の人間観」とも呼べる。  そこでこの「時代の人間観」をより深く理解するために,私たちはその人間観の本質的な複合性を自覚し,その依ってきたる所以と根拠を洗い直してみなければならない。  「自分のことは自分が一番よく知っている」,「自分は基本的には自分の思うとおりに行動できる」。そうした信念は「すみずみまで自覚化できる意図によって,ひとつに統一された自己」という,いわば共同幻想に基づくものである。  因果的行為論:なんらかの意志に基づく身体的挙動を重視。意思の内容ではなく,意思の効果が重要であると考える。意思の内容は責任論で論じればたりるとする。  目的的行為論:行為の目的性を重視。目的性,すなわち意図された内容およびそれを実現する意思=故意。因果関係による支配ではなく,因果関係を支配する行為者の主体的な介入があって,はじめて行為となり得ると考える。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    (二酸化炭素中毒によって,後頭葉視覚野の広い範囲に損傷を受けた患者の知覚。認知機能に関する調査:「見えている」自覚がないが,行動で識別できる。) 1.この患者に線分を見せ,その方向の識別を求めると,言語報告によっても,または手で方向を示す動作によっても,まったくできなかった。垂直線を見せても,水平線を見せても,区別できないのだから,重篤な障害といわざるを得ない。ところが,患者の目の前に郵便箱か,あるいは自動販売機のコイン投入口のようなスロットを置き,そこにカードを差し込むように求めてみたところ,この患者はたちまち健常者とほとんど違わない成績を示した。 2.マッカロー効果:縞模様の方向に応じて違う色が見える特殊な色残効の効果。たとえば赤い横縞と緑の縦縞を交互にくりかえし見た後では,白黒の横縞部分は緑がかって,縦縞部分は赤みがかって見える効果。縞の方向は「見えていない」「識別できない」のに,それでも健常者と同じ色残効を報告できることから,縞模様の方向はある程度脳内で処理され,患者の知覚は間接的には反映されている。 「見えない」プライム刺激が,後の知覚情報処理に影響を与えている。それが何通りかの「間接的な」方法で示されている。知覚過程の測定可能な出力は複数あり,それぞれ異なる神経経路やメカニズムによる。したがって,それらの出力が食い違うことも珍しくない。さらに,そうした出力は意識レベルで「気づき」自覚できるものであったとしても,そこに至るまでの過程は自覚できない場合が多い。 「誤帰属」は知覚においてもあり得るのだろうか。自分の近くの根拠や原因を,ほんとうとは違う対象に「帰する」というようなことが起こりうるかどうか。 対象を知覚し,その距離を正確に判断する盲人の驚くべき能力。 1.高い周波数の反響音が手がかりになっている。 2.ほんとうは反響音を手がかりにしているのだが,その知覚過程は自覚できない。しかしその結果,「これ以上前に歩くと額が壁にぶつかるぞ」といった予期が生じ,額に緊張が走る。ところがこれは自覚できるので,自分の近くの原因をこの自覚でいる額の緊張に帰してしまう。 ソニック・ガイドあるいは超音波測定装置。 1.額の位置から超音波を発信し,対象からの反響音波を受信。それをさらに耳に聴こえる音に変調した上で視覚障害者に聞かせる。そして,たとえば対象までの距離は音の高低で,対象の大きさは音の大小で,対象のきめ(凹凸やざらつき)は音の透明度で,というふうに次元を決めて,外の世界や障害物についての手がかりを与える。 2.十分に早い時期からこうした装置を装着させた視覚障害児は,助けなしでも自由に遊び回れる程度にまで空間定位が可能になる。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第二講 悲しいのはどうしてか?】 自己に対する内的な知識はきわめて不完全である。それは無意識的な推論によって補われているものであり,極言すれば自分とはもうひとりの他人であるにすぎない。 情動二要因理論。 私たちは悲しいからなくのか,泣くから悲しいのか。 ジェームズ-ランゲ説:泣くから悲しいのだと主張する立場。「情動の末梢説」。 教示や演技など別の理由で表情を作った場合ですら,主観的に経験される情動は,予想外に大きく作られた方向に引きずられる。 情動経験は感覚刺激に依存する。しかしまた顔筋の変化=表情と情動経験の間には連合-相関関係があり,この関係は表情の変化が教示や演技による場合にも変わらない。つまり感覚刺激なしに教示や演技によって表情を作った場合ですら,このような強い連合関係のために,情動の経験が想い起こされてしまう。 ジェームズ主義では,表情を作ることがむしろ先立ち,それによって逆に主観的経験としての情動が形成されるという筋道。 との説も,日常感覚的には承認しがたい時間的生起順序・因果関係している。つまりこれらの説では,身体の生理的変化が先で,次にこれが原因で情動が生じるというのだ。しかし私たちの日常的経験は,これとは逆のように思える。 時間的生起順序・因果関係を承認しにくいのは,これらの理論が,本人も自覚的にアクセスできない意識化の過程の存在を示唆しているから。「身体的過程→潜在的認知過程→自覚的情動経験」という関係が重要。 情動二要因理論の大前提=情動による生理的喚起=興奮状態は,情動の種類(喜び,怒り,悲しみなど)にかかわらず共通である。 情動二要因理論では,情動経験について二段階のシナリオを考える。このふたつが満たされてはじめて情動認知が成立する。 1. 生理的な喚起(興奮)状態の認知。 2. 情動ラベルづけ(喚起状態の推定,あるいは原因への帰属)。 人は自分の主観的な情動の経験を「決定する」ために,①自分の内的状態と,②その状態が生じている環境とを評価する。 つり橋に対する恐怖からの緊張と性的興奮との間には,生理的には曖昧な区別しかない。そこで状況の認知(美人に声をかけられた)から,興奮状態を作り出した原因を「謝って」そこ(魅力的な異性との出会い)に帰してしまう。この帰すること=帰属によって,性的興奮度や,初めて出会った異性に対する関心の度合いがいっそう高まったものと想像される。 実際の生理的興奮が起こっていなくても,「自分は今生理的に興奮している」という認知さえあれば,常道のラベルづけをおこない,情動認知が起こりうる。生理的興奮そのものが情動経験のための必要条件なのではなく,生理的興奮の自己認知が必要条件。 興奮条件ではむしろよく眠れたのに,リラックス条件ではなかなか眠りにつけない。 就寝時に強く自覚される生理的興奮を100パーセント薬のせいにできる。そのため生理的興奮の情動へのラベルづけが起こりにくく,情動認知が低くなる結果,不眠症状が軽くなるのではないかと考えられる。これに対してリラックス条件では,「鎮静剤を飲んだのに」依然として興奮を自覚するので,それをいつもより高く推測し,ふだんより強い情動認知をする。その結果,不眠はむしろひどくなってしまう。 本人が自覚できず,したがって申し立てることもできないが,行動には反映されているような,無意識的な認知過程。そういうプロセスの存在を示している。 情動二要因論の骨子: 1.生理的興奮そのものは情動の種類に関わらず,案外類似している。 2.感情のように一見生理学的要因に直結しているように見えるものでさえ,案外無意識的な認知過程(たとえばラベルづけ)の結果である一面が大きい。 3.行動に顕れる無自覚の認知過程と,言語報告に現れる無意識的な過程とは別物である可能性がある。人は自分の気持ち・行動のほんとうの理由を案外知らない。そこではたらく過程は非生理的できわめて認知的でありながら,それでいて意識的・自覚的ではない。意識的過程は結局,意識的過程をしか(直接的には)知り得ない。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
     私たちは、たった一つのコミュニティに拘束されることを不自由に感じる。(P171)  今日、コミュニティの問題で重要なのは、複数のコミュニティへの多重参加である。それを可能とするためには分人という単位を導入するしかない。(P172)    まったく矛盾するコミュニティに参加することこそが、今日では重要なのだ。(P172)  私たちにの内部の分人には、融合の可能性がある。(P173)  (続きを読む
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    kasuta さん(2013/04/24 作成)
  • 西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)
    無限な神の観念は、有限な〈私〉を超えている  デカルト 存在するすべてのものは、神のうちに存在する  スピノザ 経験にこそ、いっさいの知の基礎がある  ロック すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている  ライプニッツ 存在するとは知覚されていることである  バークリー 人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない  ヒューム 原初、ことばは詩であり音楽であった  これはルソーか、ヘルダーか? ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない  カント 私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する  これはフィヒテか、シェリングか? 生命とは結合と非結合との結合である  ヘーゲル かれらは、それを知らないが、それをおこなっている  マルクス 事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する  ・・・誰だっけ? 生は夢と行動のあいだにある  ベルクソン 世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である  フッサール その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう  ウィトゲンシュタイン (続きを読む
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    akinomiya さん(2013/05/25 作成)
  • 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
     人間には、いくつもの顔がある。私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒臭がられるだけで、コミュニケーションは成立しない。  だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人individual」ではない。複数の「(分割可能な)分人」である。(P36)    分人はすべて、「本当の自分」である。  私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないのにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。  それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。(P38) (続きを読む
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    kasutaさん
    kasuta さん(2013/04/23 作成)
  • 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
     愛とは「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、他者を経由した自己肯定の状態である。  なぜ人は、ある人とは長く一緒にいたいと願い、別の人とはあまり会いたくないと思うのだろう。相手が好きだったり、嫌いだったりするからか?それもあるだろう。しかし、実際はその相手といるときの自分(=分人)が好きか、嫌いか、ということが大きい。(P136)  愛とは相手の存在が自分を愛させてくれることだ。そして同時にあなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。(P138)(続きを読む
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    kasutaさん
    kasuta さん(2013/04/24 作成)
  • 思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき
    ・知識を得る方法 (a)自分の体験や自分の受けた教育 (b)マスターマインド、つまり身近にいる協力者の体験など (c)大学の公開講座 (d)図書館(本は文明の最大の利器として活用すべきである) (e)特別講座(夜間講座とか通信講座) ・「世界は勝利者を望んでいる。敗者に用はない」(続きを読む
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    yo-ko さん(2014/07/05 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第三講 もうひとりの私】 「二十の扉」ゲーム:出題者があらかじめ思い定めた事物の名を,二十までの質問に対する「イエス/ノー」の答えが推定できるゲーム。平均二十個の質問によって,大体一個の事物が特定できる。 右眼が左半球に,左眼が右半球に投射するのではなくて,右視野が左半球に,左視野が右半球に投射する。 「分離脳」 言語に関連する機能は,大多数(90パーセント以上)の人々では左半球に集中していることが知られている。 分離脳の患者の右視野に事物の絵や単語を呈示したり,あるいは右手で対象に触らせたりして,左半球だけに情報を入力してあげると,左半球はその刺激を極めて雄弁に記述できる。 これに対して,情報の入力が左手を通して右半球だけに限定されている場合には,患者はそのような反応を示すことができない。 いわゆる言語中枢を持たないはずの右半球系が,単語を「読み」,「理解し」,その対象を同定できたことは,それ自体驚くべき発見だった。 右半球系は視覚情報に基づいて触覚的同定課題を遂行することができるが,その課題遂行を自覚的にモニターし,言語報告することができない。他方左半球系はその(左手の)ふるまいを見て,何が起こっているかを推測する。 右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず,絶えず推測しつつ,しかし推測しているということには気づかずに,事実として認知し記述しているらしい。 左半球の言語系は,右半球の認知系による行動を「外的に」観察し,その知識に基づいて現実を解釈するらしい。 人の心とは,完全には統合されていない多元的なシステム。つまり,心とはひとつの心理学的実態ではなくて,いくつかのサブシステムからなる社会学的な実態。 人は自分の気分(ムード)の起源をつねに正確に自覚しているとはかぎらない。 言語システムは,当人の実際の行動・認知・内的興奮やムードなどを常時観察し,モニターしている。そして,とぼしい内的手がかりをおぎなうために,ニスベットとウィルソンのいう「暗黙の因果理論」に基づいて,解釈をほどこす。 他人の行動と周囲の環境とを観察して,その当人の心の中身を推察するという作業を,私たちはそれと気づかずに常時おこないながら暮らしている。左半球言語系と右半球との関係も,どうやらそれに近い。 両半球はふたりの隣人のようにふるまう。 分離脳の知見は,健常者の心的過程について,ふたつの点を示唆する。 1.健常者の量半球間でも,内側の神経コミュニケーションのほかに,自らの行動を通して外的コミュニケーションがおこなわれている可能性がある。 2.左右両半球という分け方以外にもこうした「多元的メンタル・システム」の区分があって,そのうちの少なくともひとつが無自覚的・潜在的であり,自覚的・顕在的システムとの間で,ゆるい観察的・外的コミュニケーションしか持たないという可能性がある。 人は,自分の認知過程について,自分の行動から無自覚的に推測する存在である。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
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