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『人文・思想』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『人文・思想』関連の読書ノートリスト

  • 全 163 件中 131 〜 140 件の引用ノートを表示
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  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
     機械論-局在論の系譜:不随意運動を重視する,あるいは人や動物の行動をなるべく不随意的なものとして解釈しようとする立場。  生気論-全体論(反局在論)の系譜:どちらかといえば随意運動を重視する,あるいは行動の随意性や自発性・合目的性・協調性などを重視する立場。  生物学,とくに運動生理学のふたつの系譜は,潜在的と顕在的という心理過程の関係という,私たちの関心とも密接につながっている。 1. 顕在的な心的過程の一番はっきりした例は自発的・意図的な随意運動に見られるが,これすらが大脳皮質の機能とは限らず,より低次の脳や脊髄の機能に担われるケースがある。 2. 汎機械論の立場を心理学にまで推し進めれば,潜在的過程の原則で顕在的過程をも理解しようとする考え方が予想される。そして他方,汎生気論の立場を推し進めれば,顕在的過程の原則で潜在的過程をも理解しようとする考え方が予想される。  ある行為が「目的にかなっている」ことは,しばしば自発性・意図性あるいは随意性の指標とされる。  その逆は,盲目性・機械性とされる。  合目的性と機械性は,実は矛盾しない。自発的でなくすなわち随意的でない運動も,場面に応じた柔軟な合目的性を持つということが,十分にあり得る。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき
    ・「私たちの強さは、私たちの弱さから生まれる」 ・「私たちは突かれ、刺され、打たれて痛んだとき、初めて心の奥底に潜ませてあった力で武装された怒りに目覚めるのだ。偉大な人は自ら進んで小さい者になろうとする。優位な立場という安楽椅子に座っていれば眠たくなる。押されたり、苦しめられたり、負けたりするときにこそ、何かを学ぶチャンスがようやく訪れるのだ。自分の知恵を使わなければならないし、自分の持つ本来の力を発揮しなければならない。こうして真実を知り、自分の無知を知るのだ。自惚れという狂気も治り、控えめになり、真の心の技術を身につけるようになる。賢人は常に自分を攻撃する者たちの側に身を投じる。自分の弱点を知るということは、敵よりも自分にとって利益のあることである。傷は癒えて、かさぶたのように自分の身からはがれていく。そして攻撃する相手が勝ち誇ろうとするときは、すでに自分は見事な変身を遂げ不死身となって彼らを追い抜いているのだ。 非難は賛辞より安全である。私は新聞で支持されるのを嫌う。私に関して言われていることがすべて私を非難するものであれば、私はこれで成功は間違いなしという確信を得る。しかし、蜜のような賞賛の言葉が私のために語られると、とたんに私は、敵の前で横たわっているように感じる」 ・できるかぎり最高のサービスで奉仕すること、常に前回よりも優れたものを提供すること、これを実践することによって、あなたは最高の教育を受けることになる。あなたが報酬以上の質と量とサービスをするとき、どこの誰よりもその努力から利益を得ているのである。そのようなサービスをすることによって、あなたは自分が選んだ分野に精通することができる。その意味から、前回よりも優れたサービスを心がけるよう勧めているのである。それを習慣づけることによって、あなた自身がその仕事に習熟していくのだ。そうしたサービスを続けていくうち、世間はあなたに仕事以上の報酬を出そうとする。その報酬は複利で計算される。利が利を生んで、あなたへの報酬となって必ず戻ってくる。そうしていくうち、やがてはあなた自身が報酬を決めることになる。(続きを読む
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    yo-koさん
    yo-ko さん(2014/07/10 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第八講 無自覚の「意志」】 行動,特に無意識的で反射的な行動の変化が,認知あるいは言語のレベルでの方向の再整理に先立つ。 とっさの反応はできるが,あらためて問われたり,自問すると混乱してしまう。 本人は刺激に気づいていないのに身体が勝手に反応する。たとえば同時し失認といって,視野の中の個々のものはわかるのに全体の関係が認知できない症状を持つ患者。そういう患者でも,本人は視覚刺激の存在に自覚的には気づいていないのに,眼球はその方向へ動いていた。 線分の方向を自覚的に検知し,言語で報告することができなかったのに,カードによるスロット課題の遂行となると,たちまち方向の情報を活用できる。 感覚系と運動系をつなぐ神経経路はひとつではなく,いくつかの異なるレベルがある。そのうちの低次のものは自覚できず,高次のものだけが自覚化できる。 姿勢・運動制御の経路は昆虫や鳥や哺乳類でも比較的下等な種でむしろ優勢であり,これに対して物体認知の経路は,サルやヒトなど高等な動物ではじめて優勢となる神経メカニズム。姿勢・運動制御の経路がおおむね無自覚的あるいは潜在的であり,物体認知の経路がおおむね自覚的あるいは顕在的なのは,むしろ当然。 自発的意志とはいったい何なのか。自由意志は自覚的であり,意識的である。つまり「意志」は通常顕在的メンタル・プロセスの典型的な例とみなされる。 自分の「意志」を報告できたし,その前後に起こった理由づけや思考や怒りなどの情動も含めて,すべて自覚でき,言語によって報告できたように見える。 行為はたいていの場合手を動かしたり,足を動かしたりといった筋肉運動を伴っており,その生理学的機構はかなりのところまで解明されている。この場合の「機構」というのは,徹頭徹尾ものの世界の因果関係で記述されている。この記述は完全に機械論的記述であり,ロボットやサイボーグでも,人間でも,本質的には同じ過程であると考えられている。「自由意志」はどこで蒸発してしまったのか。 意図的な行動のひとつの特徴は,それがなにがしかの意味で「目的にかなう(合目的的である)」ということ。意識的な心的過程の最たるものは自発的意志であり,その有力な特徴が合目的性なので,この合目的的な行動のメカニズムということが,生理学上の大きな関心事となる。 条件づけとはすなわち環境からの刺激に対して適合的な行動を学習することにほかならず,適合的とは合目的的と言い換えることができる。 オペラント条件づけ=道具的条件づけ 古典的条件づけ はじめは反応を引き起こすことができなかった条件刺激が,より強い無条件刺激と繰り返しペアで呈示されることによって,単独でも反射を引き起こすようになる。合目的的で環境に適応的な反応の仕方を学んだ。 条件づけそのものを可能にするメカニズムと,その効果を貯えるメカニズムは別である。古典的条件づけの場合には,条件づけメカニズムそのものは頭部神経節にあるが,貯蔵する機能は胸部や腹部の神経節にも分散している。 オペラント条件づけは,はじめから頭部のない昆虫でも成立する。 古典的条件づけのほうは,頭部神経節なしでは成立しないが,いったん成立して十分に固定されれば,頭部がなくなっても学習の効果は残る。 断頭カエルでも,普通のカエルと同じように,右肢を固定してから右側の背中に酸を垂らすと,左肢で掻く。→目的にかなう行動(随意運動)は脊髄レベルで組織化され得る。 除脳犬(無大脳犬):大脳のない犬は,刺激を与えられない限り眠っているように見えた。しかし,大きな音を立てると目覚め,痛み刺激によってうなり,立たせると自分の足で歩き,口に食物を入れると飲み込んだ。日差しの入る窓辺へ行って寝そべり,気持ちよさそうにうたた寝さえした。 除脳犬は駐立姿勢(四つ足で立った姿勢)を保ち,前へ引っ張れば前肢で支えて,後ろへ引っ張れば後肢で支えて抵抗するというように,大脳のある普通の犬と同じ行動をとった。(続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第三講 もうひとりの私】 「二十の扉」ゲーム:出題者があらかじめ思い定めた事物の名を,二十までの質問に対する「イエス/ノー」の答えが推定できるゲーム。平均二十個の質問によって,大体一個の事物が特定できる。 右眼が左半球に,左眼が右半球に投射するのではなくて,右視野が左半球に,左視野が右半球に投射する。 「分離脳」 言語に関連する機能は,大多数(90パーセント以上)の人々では左半球に集中していることが知られている。 分離脳の患者の右視野に事物の絵や単語を呈示したり,あるいは右手で対象に触らせたりして,左半球だけに情報を入力してあげると,左半球はその刺激を極めて雄弁に記述できる。 これに対して,情報の入力が左手を通して右半球だけに限定されている場合には,患者はそのような反応を示すことができない。 いわゆる言語中枢を持たないはずの右半球系が,単語を「読み」,「理解し」,その対象を同定できたことは,それ自体驚くべき発見だった。 右半球系は視覚情報に基づいて触覚的同定課題を遂行することができるが,その課題遂行を自覚的にモニターし,言語報告することができない。他方左半球系はその(左手の)ふるまいを見て,何が起こっているかを推測する。 右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず,絶えず推測しつつ,しかし推測しているということには気づかずに,事実として認知し記述しているらしい。 左半球の言語系は,右半球の認知系による行動を「外的に」観察し,その知識に基づいて現実を解釈するらしい。 人の心とは,完全には統合されていない多元的なシステム。つまり,心とはひとつの心理学的実態ではなくて,いくつかのサブシステムからなる社会学的な実態。 人は自分の気分(ムード)の起源をつねに正確に自覚しているとはかぎらない。 言語システムは,当人の実際の行動・認知・内的興奮やムードなどを常時観察し,モニターしている。そして,とぼしい内的手がかりをおぎなうために,ニスベットとウィルソンのいう「暗黙の因果理論」に基づいて,解釈をほどこす。 他人の行動と周囲の環境とを観察して,その当人の心の中身を推察するという作業を,私たちはそれと気づかずに常時おこないながら暮らしている。左半球言語系と右半球との関係も,どうやらそれに近い。 両半球はふたりの隣人のようにふるまう。 分離脳の知見は,健常者の心的過程について,ふたつの点を示唆する。 1.健常者の量半球間でも,内側の神経コミュニケーションのほかに,自らの行動を通して外的コミュニケーションがおこなわれている可能性がある。 2.左右両半球という分け方以外にもこうした「多元的メンタル・システム」の区分があって,そのうちの少なくともひとつが無自覚的・潜在的であり,自覚的・顕在的システムとの間で,ゆるい観察的・外的コミュニケーションしか持たないという可能性がある。 人は,自分の認知過程について,自分の行動から無自覚的に推測する存在である。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
  • 100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか
    理性を伴わない想像力はただの空想だが、想像力を伴わない理性は無味乾燥である。(続きを読む
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    Tatsuyaさん
    Tatsuya さん(2013/02/23 作成)
  • 西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)
    無限な神の観念は、有限な〈私〉を超えている  デカルト 存在するすべてのものは、神のうちに存在する  スピノザ 経験にこそ、いっさいの知の基礎がある  ロック すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている  ライプニッツ 存在するとは知覚されていることである  バークリー 人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない  ヒューム 原初、ことばは詩であり音楽であった  これはルソーか、ヘルダーか? ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない  カント 私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する  これはフィヒテか、シェリングか? 生命とは結合と非結合との結合である  ヘーゲル かれらは、それを知らないが、それをおこなっている  マルクス 事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する  ・・・誰だっけ? 生は夢と行動のあいだにある  ベルクソン 世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である  フッサール その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう  ウィトゲンシュタイン (続きを読む
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    akinomiya さん(2013/05/25 作成)
  • 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
     愛とは「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、他者を経由した自己肯定の状態である。  なぜ人は、ある人とは長く一緒にいたいと願い、別の人とはあまり会いたくないと思うのだろう。相手が好きだったり、嫌いだったりするからか?それもあるだろう。しかし、実際はその相手といるときの自分(=分人)が好きか、嫌いか、ということが大きい。(P136)  愛とは相手の存在が自分を愛させてくれることだ。そして同時にあなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。(P138)(続きを読む
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    kasutaさん
    kasuta さん(2013/04/24 作成)
  • 思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき
    ・知識を得る方法 (a)自分の体験や自分の受けた教育 (b)マスターマインド、つまり身近にいる協力者の体験など (c)大学の公開講座 (d)図書館(本は文明の最大の利器として活用すべきである) (e)特別講座(夜間講座とか通信講座) ・「世界は勝利者を望んでいる。敗者に用はない」(続きを読む
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    yo-koさん
    yo-ko さん(2014/07/05 作成)
  • サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
    【第九講 私の中の悪魔】  自分の行動の本当の原因に,アクセスできないことがある。  そこでその結果,自分の行動を誤って偽の原因に帰することがある。  人の言動の原因について,当人よりも第三者の判断に特権を与えるということを,私たちは結構している。つまり,私たちの社会の仕組みは案外そうなっている。  一般に過失致死の場合は,意図を持っておこなわれた殺人の場合よりも,加害者に課せられる罪は,ずっと軽い。  「故意」であるということは,逸脱行為の罪を重くする。  「故意」という判定の前提には,意図の自覚ということがあるように思われる。意図の,本人による自覚。  本人の主張する理由としばしば食い違う「本当の」理由が,そもそも存在すると信じる根拠は何なのか。また逆に,本当の理由が本当に「本当」であると信じる根拠は何なのか。  「本当の理由」の存在を信じる私たちの素朴な信念が,「直接経験」への信頼というもうひとつの素朴な信念と首尾一貫していないという事実。  「自らの心的経験や行動の理由などについては,人はそれを直接的に知る特権を常に持っている」という信念。  他我問題:人が泣いているのを見て,どうして(自分が悲しいのと同じ意味で)悲しいとわかるのか。他人が近くしている赤信号の色は,本当に自分の知覚している赤色と同じか,あるいは同じだといかにして知り得るのか。  「自分がいま経験している赤い色や鋭い歯痛の感覚は,直接的で疑問の余地がない。しかし他人の経験している赤い色や痛みについての知識は別で,間接的であり,あてにはできない。  直接経験の「最終性」:「歯が痛い」というとき,少なくとも当人にとっては痛いから端的に痛いのであって,その真偽をさらに遡って問うたり,またそのために他のより直接的なデータに訴えたりすることはできない。  私たちの知覚や判断や行動は,それ自体私たち自身によって直接経験されるものであり,その明白さは真偽を問う余地さえない。しかし反面,その直接経験が何に由来し,起因したかを検討する必要が生じた場合,私たちは本人の申し立てを認めず,むしろ第三者の特権を認めるのだ。  直接経験そのものについては本人の特権を認めつつ,その前後の因果関係については第三者の特権を認めるという複雑な操作が,暗々裡に人々の常識となり,社会規範の根底を成すに至ったのは,どのような事情によるのか。  私たちは一見,自己の経験の自覚的直接性を疑うことなく生きているように見える。  しかし反面,知覚や判断や行動の由来・理由・動機・原因などを最終的に特定化する必要が生じたときには,私たちは第三者の観察にむしろ特権を与える。  その場合「責任」は,本人の自覚化された意図と第三者による因果関係との間で重みづけ,ないしは斟酌される。  これは私たちの日常の行動様式を規定するだけではなく,社会規範をも陰に陽に裏づけている,信憑の体系である。また,同時代人によって共有されるが,時代にともなってグローバルには変化する人間像の体系という意味で「時代の人間観」とも呼べる。  そこでこの「時代の人間観」をより深く理解するために,私たちはその人間観の本質的な複合性を自覚し,その依ってきたる所以と根拠を洗い直してみなければならない。  「自分のことは自分が一番よく知っている」,「自分は基本的には自分の思うとおりに行動できる」。そうした信念は「すみずみまで自覚化できる意図によって,ひとつに統一された自己」という,いわば共同幻想に基づくものである。  因果的行為論:なんらかの意志に基づく身体的挙動を重視。意思の内容ではなく,意思の効果が重要であると考える。意思の内容は責任論で論じればたりるとする。  目的的行為論:行為の目的性を重視。目的性,すなわち意図された内容およびそれを実現する意思=故意。因果関係による支配ではなく,因果関係を支配する行為者の主体的な介入があって,はじめて行為となり得ると考える。 (続きを読む
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    masudakotaroさん
    masudakotaro さん(2013/08/10 作成)
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