わたしは強いのではない。
まだ誰かを死ぬほど愛したことがないだけだ。
愛するひとにこのからだを愛撫され、その手のかたちで捏ねられ美しく磨き立てられた賜物のような乳房をいまだ持たず、持たざるがゆえに失う悲しみもいまだ知ることがないだけだ。
愛するひとが黄泉の国へ旅立つとき、あの世への手土産に丹精した乳房を差し出すような、なりふりかまわぬ捨て身の恋を一度もしたことがないだけだ。
喉から血を流していとしい誰かの名前を呼び続けたことも、胸の谷間から脂汗を流してかつてそこにあったやさしい手の記憶を反芻し続けたこともない。
わたしは恋も、愛も、天国も、地獄も、何も知らない。
できることなら、こんなふうにぼろぼろになっても、胸がぺしゃんこに潰れるような思いをしても、年を取りすぎた大きい天使になっても、狂ったように愛し愛され、いとしい誰かと手に手を取ってこの世の淵からこぼれ落ちたい。打ちのめされ、追い詰められ、虚無に向かって行進していくような人生でもかまわない。
こんなふうに誰かを、ただひとりのひとを、一生かけて、馬鹿みたいに愛したい。
そうすれば母の人生が、苛烈ではあったけれど不幸ではなかったのだと信じることができるような気がするのだ。
そうして初めて、わたしはわたし自身の罪深い生を受け容れ、赦すことができるような気がするのだ。
そして明日も今日のように生きていけるような気がするのだ。(
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