「さあ、描いてみて!」冬の光が囁く、病院のレンガ塀にせきとめられ、あるいは宇宙の長旅をすませて、やっとのことで聖ザッカリーア教会の切妻壁前(フロントーネ)のパラダイスという故郷に辿りついた時に。地球がその光を運ぶ天体にもう一方の頬っぺたを差し出している間に、聖ザッカリーアの大理石の貝模様の中で、あともう小一時間ほど憩う光の表情には、疲労がただよってくるのが分かる。これが冬の光の一番純粋な時なのだ。その時それは、温度、あるいはエネルギーを持ってはいない。そんなものは、どこか宇宙のかなたに、あるいは近くの積雲の中にでも、捨て去ったのか、それとも置いてきたのだろう。光の粒子の、ただ一つの野望は、物体に届いて――大きかろうが小さろうが――とにかく目に見える画像にすることなのだ。それは親密な光、ジョルジョやベッリーニの光だ。ティエポーロやティントレットの光では決してない。町はその肌ざわり、無限の彼方からやってきた光の愛撫をゆっくり味わいながら、暮れなずんでゆく。形ある物というのは、結局、無限をも親密なものにしてしまうのだ。
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