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『文学・評論』関連の引用(抜き書き)読書ノートリスト

引用(抜き書き)『文学・評論』関連の読書ノートリスト

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  • 細雪 (上) (新潮文庫)

    細雪 (上) (新潮文庫) の引用ノート

    谷崎 潤一郎 / 新潮社

     彼女たちは、前の年には何処でどんなことをしたかをよく覚えていて、ごくつまらない些細なことでも、その場所へ来ると思い出してはその通りにした。たとえば栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり、楼閣の橋の欄干から緋鯉に麩を投げてやったりなど。(続きを読む
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    NKazuyoshiさん
    NKazuyoshi さん(2013/01/03 作成)
  • エンダーのゲーム〔新訳版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)
    良い指揮官とは、とエンダーは思った。愚かしい脅迫をする必要はないものだ。P172(続きを読む
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    SXR-80-07さん
    SXR-80-07 さん(2015/12/08 作成)
  • 桐島、部活やめるってよ
    なし(続きを読む
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    tsukieさん
    tsukie さん(2013/04/07 作成)
  • 夜になるまえに

    夜になるまえに の引用ノート

    レイナルド アレナス / 国書刊行会

    島ではぼくたちは沈黙を、追放を、検閲をそして、刑務所入りを強いられた。亡命先では同じ亡命者たちから軽蔑と忘却を。 P376(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2013/08/21 作成)
  • 下に見る人

    下に見る人 の引用ノート

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング)

    結婚 P120 確かに三十代前半までは、子育て地獄にいる友人達を「よかった、あんな生活じゃなくて」と思って見ていました。しかし、四十代が視界に入った時に結婚すらしていない自分を冷静に見て、「あっ、私は周囲から哀れまれている」ということが、はっきりとわかったのです。それはまさに敗北感以外の何物でもなく、「負けるが勝ち」などという発想は露ほどもありません。  かつて子育てで死にそうな顔をしていた友人達も、子供が小学校に入ると次第に余裕が出てきたらしく、いつのまにか目の下のクマは消えています。仕事を再開して、結婚も子供もキャリアも、とバリバリ頑張っている人も。そんな友達から、 「酒井は結婚しないの?そろそろ子供のこととか、考えた方がいいよ。やっぱり子供って、すっごく可愛いもの」  などと言われると、「数年前は、私が彼女のことを『可哀想』と思っていたが、今や立場は逆に!」と実感。そうか、子育て地獄っていつまでも続くものではなかったのね。  そういえば『徒然草』の中には、子供を持たない人に対して、子煩悩らしき田舎者の武士が、 「ということは、情ってものをご存知ないんだねぇ、薄情なお心かと思うと、恐ろしいようだ。子供がいてこそ、情というのは身に沁みるんだけどねぇ」  と言ったという記述があります。生涯、結婚もせず子も持たなかった吉田兼好は、「関東の田舎者でも、子を持つとちょっとはまともなことを思うんだね」と、この期に及んで上から目線で考えている。 P122  今となってみると、三十代というのは負け犬と勝ち犬の距離が最も離れていた時期であったことがわかるのでした。あの頃は、互いに自己の存在を正当化しようと、必死に突っ張っていたものです。  四十代にもなると、既婚者も子離れが進んだり、また子供が反抗期であったりオタクになったりと、「子供は自分の思い通りにはならないものなのだ」ということを知る時期に。対して独身者は、子育てという苦行を乗り越えてきた既婚者に、素直に尊敬の念を抱くように。……ということで、既婚者と独身者が、「いや本当に、勝ちとか負けとかじゃないわねぇ」と、再び歩み寄ってくるのです。  この先も、互いに「勝ち」とか「負け」といった単語が脳裏をかすめる瞬間は、あることでしょう。  しかしそんな中でも、「とはいえ人間、結局は一人なのだわね」ということを噛み締め合う時は、確実にやってくるのです。 「あの頃は、勝ちとか負けとか言っていたものじゃった……」 「若かったのぅ……」 と、すっかりシワだらけになった友と語り合う日のことが、今から楽しみでなりません。 ……いや本当に、これは負け惜しみじゃなくって。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2013/02/08 作成)
  • 夜になるまえに

    夜になるまえに の引用ノート

    レイナルド アレナス / 国書刊行会

    むろん、それはかなえられそうにない希望だった。絶望した人間の希望。だが、たいてい希望というのは絶望した人間たちのものなのだ。 p223(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2013/08/15 作成)
  • なぜ書くか: エリザベス・ボウエン/グレアム・グリーン/V・S・プリチェットの往復書簡集
    社会にとって不可欠の存在であっても作家を一個の贅沢品として規定し、社会の攻撃から逃亡し続けることによって作家の生命を保持しようとする姿勢がプリチェットにて顕著であるのに反して、生まれながらに孤独で気むずかしくて、社会との正常な関係をはじめから持たないボウエンにとっては、プリチェットのように積極的に社会から逃れる必要はない。彼女はプリチェットが意識的に志向しようとしているものを、いわば自然にそなえているのだ。~ ~プリチェットは自己の中に社会を侵入させないことによって作家的存在を成立せしめようとしているのであり、ボウエンでは自己が社会から切り離されているという条件を必須のものとしてのみ作家的存在は成立するのである。両者にはそういうヴェクトルの相違はある。だが生きる自己が社会との関係を失っていること、あるいは失うことが書く自己を成立させるという点では両者は結局同じ立場をとっていることになる。 P83-84(続きを読む
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    haruga6さん
    haruga6 さん(2013/03/31 作成)
  • 下に見る人

    下に見る人 の引用ノート

    酒井 順子 / 角川書店(角川グループパブリッシング)

    P13  時代によっていじめの被害者像、加害者像も変化しているわけですが、しかしこれらのいじめ行為に共通して見ることができる心理が、「他人を下に見たい」という欲求なのでしょう。自分がどんな立場にいようと、他人をどうにかして下に見ることによって、自らの精神の安寧を得ようとする人が、我が国にはやたらと多いのではないか。  もちろん私も、その一人であるわけです。幼稚園に入って、集団で行動することが始まった瞬間に、お弁当を食べる速度、お遊戯の上手下手、先生からの寵愛具合……と、様々な点で優劣をつけられるようになった。その時に、「上」でいることの快感と「下」になることへの恐怖は、既に植え付けられていたのです。  小学校、中学校と進むうちに、上と下を分ける物差しは、どんどん増加していきます。勉強やスポーツのみならず、容姿、異性からのモテ具合等、あらゆる場面で、自分は上なのか下なのかを意識せざるを得なくなってくる。  それは大人になってからも同じなのであり、「『下』になりたくない」「『上』でありたい」という欲求によって動くことの、何と多いことか。その欲求を満たすには、努力して上に行くことが一番であるわけですが、努力の苦しさにふとため息をついた時、脇で目につくのは、「他人を下に見る」という、甘い誘惑。その欲求に応じる時の快感はまた、癖になるものであり……。 「下に見たい」という欲求。それは、日本にとっての大きな病巣でありつつ、同時に小国日本をここまでの経済大国にした原動力の一つのような気もするのです。考えてみれば私も、今までの人生の様々な局面において、他者を下に見ることによって、安心したり自信を持ったりしてきました。「下に見る」側は自分の行為をすぐ忘れてしまうけれど、その時の行為と心理をこれから少しずつ思い出しつつ、「なぜ私は、そうしてしまうか」ということを、考えてみたいと思います。(続きを読む
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    sonojituさん
    sonojitu さん(2013/01/29 作成)
  • 人間失格
    なし(続きを読む
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    murakamisouさん
    murakamisou さん(2012/11/23 作成)
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